飯盛山城(いいもりやまじょう)
飯盛山城の基本情報
通称・別名
- 飯盛城、飯森山城、足助城
所在地
- 愛知県豊田市足助町飯盛39-1他
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 足助重長
築城年
- 治承年間(1177〜1181)
主な改修者
- -
主な城主
- 足助氏、鈴木氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(飯盛城址)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
足助城(愛知県豊田市)[0.8km]
松平氏城館(愛知県豊田市)[10.4km]
市場城(愛知県豊田市)[10.7km]
古瀬間城(愛知県豊田市)[12.8km]
寺部城(愛知県豊田市)[13.8km]
奥殿陣屋(愛知県岡崎市)[16.0km]
挙母城(愛知県豊田市)[16.2km]
日近城(愛知県岡崎市)[16.2km]
広見城(愛知県豊田市)[18.2km]
武節城(愛知県豊田市)[19.4km]
飯盛山城の解説文
[引用元:Wikipedia「飯盛山城」の項目]
飯盛山(いいもりやま)は、愛知県豊田市足助町にある山。標高254メートル。
概要
平安時代(1177年~82年頃)に足助氏初代となる足助重長が移住して黍生城に居住した[1]。その後、2代重秀から8代重政まで飯盛城を拠点とした。山頂を3段に削って本丸から三の丸まで城塁が置かれ、西側と北側に矢場、東側には2箇所の空堀が切られた。現在もその痕跡が地形として残されている。飯森山城跡については足助氏が支配した鎌倉時代の「足助七屋敷」に含められている(鈴木氏が支配した戦国時代の「足助七城」とは異なる)[2]。
足助氏衰亡の後は、その菩提を弔うために居館跡に香積寺が置かれた。
江戸時代の初期、香積寺11世の三栄和尚によってモミジやスギの植樹が行われた。さらに大正時代には地域住民によるモミジの植樹も行われた。そして1930年(昭和5年)に足助の地を訪れた大阪毎日新聞社社長の本山彦一によって香嵐渓と命名された。香嵐渓は山裾を流れる巴川と共に東海地方随一の紅葉の名所となっている。
カタクリの群生地がある事でも知られる。
史跡など
- 香積寺
- 香積寺歴代住職の墓
- 足助氏の墓
- 十六羅漢石仏
- 鈴木氏五代の墓
- 装束塚 - 足助重範の娘・滝野が二条良基の死を伝え聞いた際に良基の残した装束を埋めたと伝わる。
- 経塚 - 平安時代の末法思想に基づき、仏教の経典や仏具などを土中に埋めた塚。
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飯盛山城の口コミ情報
2026年08月03日 征夷大将軍たろす
城山城[飯盛山城 周辺城郭]
【所在地】
◆愛知県豊田市足助町
【歴史】
◆城山城は、それが立地する小字名に由来しており、史料による城名や城主を知ることはできない。
城山城の南斜面には、主郭のある尾根頂部から下る尾根が大きく三つあり、それぞれに城郭に伴う遺構が存在した。現在は国道153号バイパスの建設により削平され、すでに消失しているが、国道建設に先立って発掘調査が行われ、堀切・切岸・横堀・掘立柱建物跡が確認されており、堀跡からは16世紀後半から17世紀初頭の瀬戸・美濃窯産すり鉢や志野皿などが出土している。
横堀を多用する縄張りと出土する遺物の年代観からみて、城山城が最も発達した時期は16世紀後葉に比定され、この頃、武田氏の三河侵攻の緊張関係が発生し、通説では元亀2年に足助城が攻略されている。
後に松平軍が領地を回復するが、城山城は南東方向を意識した縄張となっており、東からの進軍に対処する構えを持ち、真弓山城や飯盛山城と連動して普請された可能性もあり、武田氏の三河侵攻を受け改修したものであった可能性が高いといえる。
〈『愛知の山城ベスト50を歩く』愛知中世城郭研究会・中井均 編より〉
【遺構概要】
◆足助町は三州街道の足助宿として栄えた奥三河の拠点である。山地に囲まれた狭い谷に市街地があり、中央を足助川が流れている。足助城山城は足助の町並みを見下ろす北側の山地に所在する。
尾根の頂部となる広い広場の中央部にくびれがあり、この西側を主郭Ⅰ、東側を主郭Ⅱに区分される。
主郭Ⅰは東西に長い曲輪で、西部から北辺にかけて幅約4m、高さ約0.8mの土塁の痕跡を読み取ることができる。
主郭Ⅱも同様に東西に長く北辺に土塁痕が確認され、さらに北端部に高まりが確認され櫓の存在も想定される。主郭Ⅱの南西部に凹みが存在するが、ここに物理探査を試みたところ、階段状遺構が想定され出入り口になっていたと思われる。
主郭Ⅰ・Ⅱ間にあるくびれ部に物理探査を試みたところ、上幅約7m、深さ約6mの堀切の存在が想定され、隣接部にも浅い箱堀が予見された。
主郭Ⅱから北に伸びる尾根上には堀切状の凹部があり、中央に上幅が約4mの土橋もみえ、搦手の防御施設と思われる。
主郭から南西方向に伸びる尾根上には細長い平場があり、通称「馬場」と呼ばれる。
遺構は頂部の主郭Ⅰ・Ⅱと馬場を残し、他は前述の通り国道153号バイパス建設により消失している。
〈『愛知の山城ベスト50を歩く』愛知中世城郭研究会・中井均 編より〉
【散策写真】
◆登城口は国道153号バイパスから側道に入る所にあります〈写真①〉
が、写真のとおり草が生い茂っており道がわからず、私は山頂付近を目指し直登し南東尾根に取り付きました。
本来はそのまま白い柵沿いに進めば右側に登城路が現れます。(下山時に発見w)
◆山頂付近に到着すると前方に石垣造りの虎口らしき凹みを確認!書籍にあった主郭Ⅱ南西部虎口と判断〈写真②〉
この後、折り重なる竹は片付けさせていただきましたw
◆主郭Ⅱ周辺を散策したところ、北東斜面に比較的隅部がはっきり残る石垣を確認!櫓台石垣と思われます〈写真③〉
◆さらに主郭Ⅱの北側には土橋を伴う堀切〈写真④〉
書籍には堀切跡との記述だが、堀切とするとかなりの巨大さ!
◆主郭Ⅱ斜面を北側から西に回り込むと随所に石垣が現れた〈写真⑤〉
◆さらに西側の主郭Ⅰの北側斜面にも随所に石垣が続く♪〈写真⑥⑦〉
なお、書籍にはこれら石垣のことは一切触れられておらず、歴史等不明の謎の城にこれだけ石垣が残ることでさらに謎が深まりました…
◆主郭部から南西に伸びる尾根上の削平地、通称「馬場」〈写真⑧〉
【散策所要時間】
◆登城に少し迷いましたが、登城も含め1時間30分程度
【アクセス】
◆車:GoogleMapさん利用の場合は「おせん川不動滝」を設定してください。
国道153号バイパスの足助トンネルと観音山トンネルの間の側道に入りますので、その辺に自己責任で乗り捨ててください〈写真①〉
東海環状道豊田松平ICからは25分程度。
◆公共交通機関:名古屋鉄道豊田線「浄水駅」から、とよたおいでんバス、さなげ・足助線で「足助田町バス停」下車、徒歩20分程。
または、名古屋鉄道本線「東岡崎駅」から、名鉄バスで「足助田町バス停」下車、徒歩20分程で到着できるようです。
【総評】
◆愛読書である『愛知の山城ベスト50を歩く』にも縄張り図の掲載がなく、遺構の多くも国道建設により消失しているとの情報。アプリでも写真や口コミも少なくあまり魅力を感じず、ずっと後回しにしてたお城でしたが…。
なんのなんの!
主郭周りの随所に石垣が残っており、虎口や堀切の痕跡等も確認でき、期待度が低かったこともありますが、十分満足できたお城でした♪
2026年07月12日 弥勒伊豆守伊之助
飯盛山城
足助西町第二駐車場から大師堂ルートからゆっくり登城、飯森山山頂で暫し休憩し香積寺を経由し駐車場までの周遊で80分程でした。山門が土塁跡とは今回の訪問での収穫でした。
2025年05月09日 ノベルト中務少輔マッジョ
飯盛山城
結構急な長い山道を登っていくため、歩きやすい靴をお勧めします。
2023年05月03日 矢沢弾正大弼頼康
飯盛山城
香積寺さんの脇から、山道を15分ほど。春の気候で気持ちよく散策できました。
2023年03月04日 杉ちゃん尾張守
大観音城[飯盛山城 周辺城郭]
観音寺からさらに道な道を上ること20分くらいで主郭とおぼしき平坦地につきます。そこまでは郭が連続して残っています。整備はされてませんが遺構は残っているように思いました。案内板もないので不安ではありますが。写真は主郭平坦地です。
2023年01月15日 mootze
飯盛山城
秋には有名な、香嵐渓の山が飯盛山城です、足助七城に数えられ、街道の往来を監視していた鈴木氏です、山頂が本郭で1段下がった所が2の郭です、但し、その下は観光用に整備されて、遺構はわかりません
2022年12月03日 ヤマ右兵衛督
飯盛山城
香嵐渓から登り。けっこう登りました。紅葉は少し時期が遅れてましたが、綺麗でした。飯盛山城からは足助城が見えました。
2021年11月22日 やまぴぃ
飯盛山城
毎年、香嵐渓に紅葉を見に行き飯盛山の山頂まで登り景色を楽しんでいますが、飯盛山の山頂が飯盛山城址だったこと今年になってしりました。恥ずかしい限りです…。飯盛山の山頂は香嵐渓の中でも紅葉が綺麗で、裏スポット的で違う意味でもお薦めです。是非に。
2021年03月19日 隼人佑しんじ
飯盛山城
犬山城主成瀬家始祖の流れを汲んでいるとのこと…
実際に昇ってみると勉強になりますね〜😅
2021年03月06日 大納言Z出雲守369
飯盛山城
西町第2駐車場から登山道を登ります、そう、ここは登城というより軽い登山でした。3月上旬に訪れたのでまだ早く何も咲いてませんでしたが、もう少ししたら、カタクリの花が登山道に満開に咲き誇ります。20分程で山頂に到達します。
2021年02月28日 Yana弾正大弼
飯盛山城
香積寺の裏の赤い鳥居を上がって行くと飯盛山山頂です。城跡の看板などはありませんでした。
2021年02月20日 竪堀ころりん
臼木ヶ峰城[飯盛山城 周辺城郭]
足助氏七城の一つ。
中條左衛門全満の居城と伝えられています。
飯盛城の南西に位置している大規模なお城です。
2021年02月07日 竪堀ころりん
黍生城[飯盛山城 周辺城郭]
足助氏発祥のお城。
素晴らしい眺めと、当時の面影を残す曲輪や堀を楽しめます。
2021年02月07日 竪堀ころりん
成瀬城[飯盛山城 周辺城郭]
足助氏七城の一つ。
ほとんど破壊されていますが、一部曲輪が残っています。
2021年01月04日 しろざえもん配下
飯盛山城
約30年ぶりに訪れましたが、高い段の続く人工的な登りになっていました。穏やかな山容の山はカタクリで有名。土塁は南麓のお寺の前のものを指しているのでしょうか。山頂からは領民の家々が望めます。
2020年09月19日 JC駿河守VD
城山城[飯盛山城 周辺城郭]
足助バイパスにあるトンネルの切れ目(足助トンネルと観音山トンネルの間)に、登城口があります
2020年06月21日 【城郭道】たっきー
飯盛山城
飯盛山の麓にある香積寺から徒歩10分から15分ほどで三の曲輪を通り主郭に着きます。
石碑や案内板はありませんが、寄付により造られた屋根付きのベンチがあります。そこさら二の曲輪を通り下山すると登ったところから真反対に出ます。なのでご注意を。
2020年05月10日 OROKA中務卿
大観音城[飯盛山城 周辺城郭]
大観音城は足助七城の1つ。築城者などは不明とされ、よく分かりません。
足助の古い町並みを香嵐渓方面からかなり奥へ行くと大観音寺への登り口が現れます。(町並みが見れる眺望スポットとして案内板など整備されています)
そのままキツめの階段を5~10分登ると大観音寺に出ますが、寺は城の居館だったようです。
寺の右横にさらに登り道があり、ここから大観音城へ行けます。
そこから先ですが、実はよく分かりませんというのが素直な感想です。段郭や土塁のようなものが延々と続き、どこまで遺構か明確に判断できません。ある程度進むと林道のようになったので、途中にあった一番広い削平地が主郭だったのかなぁ、という感じf(^_^;
まだ知らない未確認の遺構があるやも知れません。どなたか縄張り図を作ってくだされ。
2020年05月10日 OROKA中務卿
浅谷城[飯盛山城 周辺城郭]
足助七城の1つとされる浅谷城(あさがいじょう)は、簗瀬氏の築城とされています。
アクセスがなかなか難しく、まずは国道420号から足助城(真弓山城)へ向かいます。足助城への入り口道路をスルーしそのまま道なり2キロほどウネウネ進んだところで細い道へ右折し、萬昌院に向かいます。(最近、このあたりに案内板ができたそうです)さらに萬昌院もすぎ細い道を行き当たりまで行ったところに駐車できそうなスペースがあり、そこから林の中に突撃。高まりを目指して道なき道を進むと、唐突に堀切が現れます。
こんな人の来なさそうな場所にあるだけあって、遺構はかなり残っています。
特徴としては、まずはかなり広い居館のような削平地があり、その背後を切り立った切岸を伴う郭群で半周囲うような構造になっています。
郭群には堀切や土塁、櫓台のよう高まりがあり、これはこれで1つの山城とみなせますが、下の広い削平地と合わせて考えると、居館と詰城をコンパクトにまとめているような、削平地に集まった敵兵を郭群で包囲殲滅するための技巧ような、妄想膨らむ構造になっています。
山林は樹木だらけ、登山道もなく整備はあまりされていませんが、かなりマニアックな遺構ガッチリな城とも言えます。
足助城の復元山城だけでは物足りないマニアなあなた、1度訪れてみては(*´-`)
2017年01月24日 太閤 なつりん
飯盛山城
かつての足助の地は、東美濃・信濃・尾張及び三河を結ぶ街道が交差する交通の要衝でした。
その為か一帯には多くの城砦が存在します。
その中でも鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した豪族足助氏が有名で、ここ飯盛山城を本城としました。
遺構としては、頂上の主郭部に三段の曲輪や他にも大小の曲輪群が尾根筋に配置され他に空堀など現在でも確認する事が出来ます。
圧巻は香積寺の山門にある横に延びる大きな土塁も当時のままの状態で拝めます。
また、山麓一帯は香嵐渓と呼ばれ景勝地としても有名なところです。
その為に駐車場は有料ですが、付近には沢山ありました。









