武節城(ぶせつじょう)
武節城の基本情報
通称・別名
- 地伏城
所在地
- 愛知県豊田市武節町シロ山194他
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 菅沼定信
築城年
- 永正年間(1504〜1521)
主な改修者
- -
主な城主
- 菅沼氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(武節城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
明知城(岐阜県恵那市)[14.2km]
岩村城(岐阜県恵那市)[17.0km]
田峰城(愛知県北設楽郡)[17.9km]
足助城(愛知県豊田市)[18.6km]
市場城(愛知県豊田市)[19.1km]
飯盛山城(愛知県豊田市)[19.4km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[24.2km]
古宮城(愛知県新城市)[27.8km]
松平氏城館(愛知県豊田市)[28.7km]
亀山城(愛知県新城市)[28.8km]
武節城の解説文
[引用元:Wikipedia「武節城」の項目]
武節城(ぶせつじょう)は、三河国設楽郡(現愛知県豊田市武節町)にあった日本の城(山城)。別名地伏城。豊田市指定史跡[1]。
概要
名倉川沿いに築かれた平山城で、永正年間(1504年 - 1521年)に田峯城の菅沼定信が築いたとされる。
なお、当城跡の北方450メートルの同市桑原町上鎌井には菜倉氏が築いたとされる「武節古城」がある[2]。
弘治2年(1556年)に武田信玄の家臣である信濃国伊那郡の下条信氏が攻め込んだ。続いて、元亀2年(1571年)に発生した信玄の西上作戦によって定信の子孫である田峯菅沼氏の菅沼定忠が武田氏に降伏すると、武節城も武田氏の城となった。だが、信玄の没後に田峯菅沼氏が属する山家三方衆は武田氏側と徳川氏側に分裂し、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いの一因になった。
長篠の戦いに敗れた武田勝頼は徳川氏側によって田峯城を追われた菅沼定忠とともにこの城に落ち延び、ここで一泊の後に信濃国に戻った。だが、菅沼定忠も武節城に留まる事はできず、他の武田氏側の山家三方衆と共に伊那郡に拠点を移して反抗を試みるも、最終的には武田氏と運命を供にしている。
その後、この地域は徳川氏についた山家三方衆の1つ奥平氏が支配していたが、天正18年(1590年)の徳川氏の関東地方移封時、もしくは関ヶ原の戦い後に旧領を回復した奥平氏が翌慶長6年(1601年)に再度転封になった際に廃城になったとされている。
1984年(昭和59年)3月30日に、武節古城と共に豊田市(旧稲武町)の史跡に指定された。
参考文献
- 岡本柳英「武節城」『愛知百科事典』 中日新聞社 1977年
- 『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社 1981年 pp.957
[続きを見る]
武節城の口コミ情報
2024年11月13日 国崎城一郎✨【柴田】
武節城
道の駅にある日帰り温泉施設「どんぐりの湯」🅿️から徒歩で少し坂道を歩くと天守跡に到着します。外曲輪との大きな空堀が見応えあります。攻めたあとは、温泉で汗を流すと疲れも癒やしてくれますね!JAF会員で500円でした。
2024年10月20日 RED副将軍
武節城
田峯菅沼氏の本拠地である田峯城の支城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
永正年間(1504年〜1521年)に菅沼定信により築かれたと云われます。
菅沼定信は田峯城の城主であり、支城として武節城を築いて一族の菅沼十郎を城代として置いたとされます。
1556年、武田氏家臣である下条信氏が侵攻し激戦末に武節城は落城。
1571年、武田氏による三河侵攻において田峯城の菅沼定忠が降伏すると武節城も武田氏の属城となりました。
1575年の長篠の戦いで武田勝頼が敗れると、甲斐へ退却する中、菅沼定忠の案内により田峯城へ立ち寄ろうとするも留守を守る今泉道善は謀反を起こして田峯城に入れなかったため、武節城で一夜を過ごして甲斐へ戻ったと伝わります。
その後、徳川家臣の酒井忠次により武節城は攻め落とされ、奥平信昌の所領となりましたが、1590年に徳川家康が関東へ移封となると奥平氏も従い、武節城は廃城となりました。
見所
黒田川と名倉川が合流する標高545mの丘陵上に築かれています。
山頂に主郭を置き、西背後の櫓台には城山神社が祀られています。北東川に二郭、三郭が連なり、南側背後には大空堀があり外郭群へと繋がっています。外郭群は各方向に多数の段郭や腰郭が造成されておりかなりの土木量です。
北側から主郭まで車道が付いているため簡単に登城ができます。
整備された北側より南側背後が楽しめます。
2024年07月04日 ほりーないと
川手城[武節城 周辺城郭]
道の駅どんぐりの里いなぶへ以前行った時に「武節城以外のお城にもぜひ行ってみて下さい」とスタッフの方と話をしました。道の駅にて配布されている「山城歩きガイド」を見ながら川手城を目指すとすんなりと登城できます。石仏、三の丸の民家(空家)、二の丸の送電線鉄塔がわかりやすい目印となっています。
夏場の登城でしたが、本丸東側の堀切(写真③)が二の丸からハッキリと見えます。先人様の口コミにも書かれている「マムシに注意!」が気になり、草に覆われた堀切に近づけなかったです。背後の尾根に続く道には草があまり無かったので登ってみました(写真⑦⑧) 尾根道がどのように繋がっていたのか気になります。
川手城の北側を流れる矢作川は愛知県と岐阜県の境となっています。川手城が築かれた頃も矢作川は"境"となっていたのではないかと想像します。
登城口にはクマ注意の看板があります。その周囲にはイノシシが訪ねてきた跡がありました。同行の私の家族はスズメバチを目撃したようです。山城攻めは楽しいけど、服装などに注意が必要だと感じました。
2024年06月08日 竪堀ころりん
駒山城(牛地城)[武節城 周辺城郭]
室町時代、駒山の山頂に築かれた日下部(松井)佐渡守のお城。1571年武田信玄の西三河侵攻の際、落城したとされています。現在は小馬寺(廃寺)が建ち、削平地や堀らしきものが確認できます。
2024年03月17日 竪堀ころりん
九沢砦[武節城 周辺城郭]
武節古城と川手城の繋ぎの城ではないかと考えられている、山田氏の砦。現在は主郭に反射板が設置されてはいますが、その周囲を放射線状に竪堀が巡り、堀切などの遺構も確認することができます。
2024年03月14日 たまちん飛騨守
武節城
近くの道の駅「どんぐりの里」で無料御城印がいただけるそうです。木曜日定休のため、残念ながら入手できず🥲ちなみにダムカードもいただけるそうですよ
2023年10月10日 とんかつおやじND
川手城[武節城 周辺城郭]
豊田市川手町
市指定史跡
山田頼範がこの地に移住 以後代を経て良行が井伊直政に使えて彦根城に移り廃城となる。
現在はニ〜三の曲輪は廃屋と鉄塔があります。沢東側の木橋を渡り大堀切の下段を回り込み登ると主郭で 南側背後土塁兼櫓台?から大堀切 北側下段小曲輪さらに尾根先に堀切な構成 マムシ注意の看板通り二匹に歓迎を受けました。
矢作川対岸には 福原城、小田子砦があります。
2023年04月04日 竪堀ころりん
武節城
諸説ありますが、徳川信康初陣の地とされています。一部伐採が進み、切岸、曲輪群が見やすくなっていました✨
2023年02月26日 ライオネスか
武節城
お城の下をトンネルが貫通しています!!
道の駅の観光案内所でMAPをもらって出発。トンネルに向かって歩き、喫茶店とうどん店(満車だった)の間を左に入る。看板を見つけたら右に登り、一本道で道の駅に戻る。逆回転ルートでもいいです。
下り道に雪が残っていたら、つるつるではなくてサクサクの方を踏むといいです。
道の駅とお城の間に御城印も販売している「どんぐり工房」があります。今の時季の"福よせ雛"は、いとまの1ミリやマッサージ右大臣など年々エスカレートしていっているので見てみてください。
近くの「風のつり橋」や「湧水広場の氷瀑」もおすすめです。
写真① 二の丸と三の丸
写真② ちょっと埋まってしまった空堀に下りようかなというところ
2023年02月16日 ドラねこ大蔵大輔少納言
武節城
道の駅いなぶから5分くらいに登山口あり。10分くらいで巡れます。
2022年11月02日 はなこ
武節城
麓の『道の駅どんぐりの里いなぶ』に車を停めて登りました。南口からだと10分弱で本丸跡に行けますが、足場が悪いところもあるので、雨天時は足元要注意です。空堀や曲輪、本丸跡など、看板もあり整備されていました。
2022年08月13日 在来線男右京進
武節城
道の駅に車を置いて、観光案内所でパンフレットをもらい城跡に行きました。車でも登れそうですが、道幅はすりかわれる程広くありません。本丸横にあるトイレは使えないようです。一番高いところにある櫓台は城山神社になっています。
2022年06月18日 まじんB00B00
武節城
車で現地まで行けます。近くに道の駅有り。助かります(^^)
2022年06月05日 竪堀ころりん
上郷城[武節城 周辺城郭]
信濃からの武田勢に備え、織田信長の命令により名倉奥平信光が築城したとされるお城。しかしこの翌年、甲州征伐で武田家が滅びたため、僅か一年で廃城になったそうです。
2022年05月15日 ほりーないと
根羽砦[武節城 周辺城郭]
信濃国から三河国へ向けて国道153号線を走行すると、気になる橋があります。名前は「砦橋」、国境近くの橋です。砦橋を南へ渡った所(左側)に小さな山があります。その山が「根羽砦」、武田氏の時代に三州街道の押えとして築城されたと考えられています。
根羽砦の前に駐車して、いざ攻めようと…えっ?!…「立入禁止!!」と書かれた看板の砦が待っていました。事前調べで立入禁止だと知っていても、堀切を見ただけで帰るのは嫌だ…。根羽砦の周辺をドライブして戻ると地元の方にお会いでき、「どんどん見ていって」と許可をいただきました。
真横に国道があり、駐車場の目の前に堀切、比高20m、楽に攻められるだろうと考えていましたが、残存状況が良く、国境を守る砦だと体感しました。主郭には諏訪社の石祠が祀られています。その東側の尾根は、北側が小川川の断崖、南側も急斜面で怖かったです。南斜面には腰曲輪があり、三河国がある南側を意識して備えていると感じました。今回は自分の中で写真がうまく撮れなかったので、地元の方にまた会えると信じて再登城したいです。
根羽村では山菜を無断で採られた事があり、立入禁止の看板を村全体で設置したそうです。根羽村以外にも南信州には立入禁止となっている城エリアがあります。「お城を見たい」と声をかけると、キノコ山以外は理解していただけると思います。根羽砦では写真投稿も許可をいただくことができました。マナーを守って楽しむことは大切だと思います。
2022年05月05日 とし
武節城
道の駅どんぐり~徒歩5分ほどです、どんぐりは仮店舗です隣に風呂♨️もあり駐車場も沢山ありますよ
2022年05月04日 まささん
武節城
車を道の駅どんぐりに置き前の山に有ります。歩いてすぐです
2021年08月17日 ほりーないと
武節城
長篠の戦いで敗れた武田勝頼は田峰城へ敗走したが入城できず、命からがら山を越えて武節城にたどり着きました。一泊して中馬街道(三州街道)を通り信濃へ逃れたという武田勝頼ゆかりのお城です。
隣には道の駅「どんぐりの里いなぶ」があり駐車場を利用できます。紅葉シーズンは平日でも混雑しますのでご注意下さい。観光案内所には、季節毎に変わる御城印、武田勝頼グッズが販売されています。
今回の訪城時は田峰城から武節城へ自動車移動しました。思った以上に距離があると感じました。
「R257戦国国盗街道ドライブマップ」が観光案内所にあります。R257は中馬街道(三州街道)の美濃へ続く脇街道で、マップには岩村城・明知城・未登録城も載っています。
信濃の飯田城までの道中には武田氏に関連する史跡があります。(信玄塚、波合関所跡など)
三河・美濃・信濃の三国境にある武節城を起点に戦国時代を感じながらドライブはおすすめです。
写真①
本丸から信濃へ続く道(中馬街道、R153)を望む
写真②
賑わう道の駅から離れ、静かな本丸
2021年06月25日 青コアラ美濃守
信玄坑[武節城 寺社・史跡]
元亀年間、東三河を領有した武田信玄により津具金山が発見され、いくつかの坑道が掘られました。ここはそのうちの一つで、現在は厳重に柵に囲まれて入口だけ見学出来ます。
アクセスは若干わかりにくいです。津具郵便局の西方、県道80号を北上し消えかけた案内板の所で左折。橋を渡り突き当たりを右折。ただネットが張ってあるので車はここまで。ネットをくぐって歩いて行くと左側に入り口があります。獣除けの柵がありますが手で開けられるので中へ。(開けたら閉める)
その先は南へ90mとしか書かれてないので踏み跡だけが頼りですが、紛らわしい踏み跡がいくつもあるので迷います。あまり横移動せずまっすぐ登ると上の方に見えてくると思います。
2021年06月22日 青コアラ美濃守
信玄塚[武節城 寺社・史跡]
諸説ある武田信玄終焉の地の一つ。三河野田城から本国の甲斐へ撤退する途中、この地で病没したと伝わります。その際、風林火山の旗を横にした為、横旗という地名になったとか。
国道153号沿いに大きな看板が立っているのですぐにわかります。ただ厳密に言うとこの看板が立っている方にあるのは宝篋印塔で、信玄塚はその反対側の国道の道下にあります。
こちらは何の表示もなくわかりにくいですが、歩道の柵が途切れている所から草に埋もれた道を降りていくと公民館のような建物があり、その横にあります。
2021年04月20日 eiki
夏焼城[武節城 周辺城郭]
標高889メートルの夏焼城が山の頂上に築かれた城、武節城の詰めの城の役割を担っていました。この山は地元ではシンボル的な山で登山コースが4つも整備されています。
山頂部は本丸と二の丸の二郭で構成されていたことが見てとれます。山頂に展望台が立ち、縄張図が壁に貼られています。それによると堀切が数本走っているのですが現状は、その名残が確認できる程度です。山頂からは武節城のある稲武の町を見下ろします。
2021年04月12日 大宰大弐たろすけ
武節城
道の駅どんぐりの里いなぶ に車を停めて訪れました。曲輪の跡が畑やお墓になってる所、結構多いですね。
2020年06月07日 ほりーないと
武節城
武節城址登り口(北側)真横「どんぐり工房」で、「麒麟がくる 放送記念」のお雛様が放映終了まで展示されています。
各家庭で役目を終えたお雛様に再び活躍の場をつくろうと「いなぶ旧暦のひな祭り」が開催かれており、終了後も展示続行中のお雛様です。
御城印&武節城ピンバッチの販売、様々な工房体験ができ、お子さま連れ方にもおすすめです。
2020年02月29日 【配貫指令】プレレ
武節城
御城印は「道の駅どんぐりの里いなぶ」にある「いなぶ観光協会観光案内所」又はすぐ近くの「どんぐり工房」にて。毎週木曜日定休。
各限定500枚、一枚300円
「春2/22〜・初夏5/1〜・夏7/1〜・秋?〜・冬12/1〜」の5種類。
2017年08月31日 我流尾張守クール
武節城
【アクセス】
名鉄豊田市駅よりおいでんバスの直行便があります。「快速いなぶ」平日は4往復、片道78分、1,200円。その他は足助経由で乗換が必要です。武節城リア攻め、周辺施設見学、温泉と楽しめます。
【グルメ】
道の駅どんぐりの里での買い物も良いですが、2㎞ほど名古屋寄りのR153沿いにある「まつ月」さんがオススメです。飯田街道は塩の道だけあって、塩にまつわるお菓子が美味しく、塩カステラアイスが美味です。
2016年01月02日 いち
武節城
道の駅に車を置いての散策。
いきなり山道を歩きますが落葉でフカフカして楽です。
ただ、案内標識が見辛い場所があるので見落とさないように。
空堀の札が立ってますが、良く分からんなあと思っていたら
お堀の底にいたようで上に行くとなるほど深い。
本丸は平地になっており、もう一段上の神社は昔の狼煙台や櫓があったそうです。
戦国の世での狼煙ミッションでは要所だったようです。
道の駅には温泉もあるので散策するには良いところ。
紅葉の季節がいいそうですよ。
2015年09月20日 ぐっさん^。^)y-式部卿
武節城
散策の際は車は近くの道の駅に止めると良いと思います。
道の駅のすぐ近くのトンネル上が城郭跡になります。
散策の際は…トンネル横に登城看板ありますが…じっくり曲輪群を見て回るならどんぐり会館の方に登城口がありますのでそこから登城すると良いですよ♪
民家の畑や建物は曲輪群を利用してますので見所あります♪が…やはり残念ですが生活の為曲輪群は利用良い畑群になってます…(^-^;
本丸までは車で登れますが…道幅狭いのでおすすめ出来ません!!しかし…徒歩で登る際はかなり急な坂を登りますので…普段余り体を鍛えてない方は後日の筋肉痛は覚悟で(笑)
周囲には色んな見所ありますが、春には立派な垂れ桜が咲く瑞龍寺があります。
あと、城跡の近くに「姫井戸」があります。この井戸…戦の時に身を投げた姫が由来です。とても裁縫が得意な姫でした。戦が敗色となるや井戸に身を投げてしまったのです。
以後…豆腐に針をさして井戸に放ると裁縫が上手くなるそうです。ホントかウソかは定かではありません…
って言うことで武節城散策を自らの足で頑張って下さい。(笑)
2013年05月07日 大宰帥〓わりばし〓
武節城
豊橋市から車で二時間ぐらいです。
隣の道の駅に水車がありそこにもお城の説明が書かれてました。
2011年09月22日 琉千秋
武節城
本丸跡まで車で行けますが、3ナンバーや車高短は止めた方が良いですね。
となりの道の駅に止めることをオススメします。
2011年07月25日 三河守コーキしゃん
武節城
永正年間(1504〜1521)田峰城の支城として築城。
信玄の三河侵攻で田峰城と共に武節城も武田の軍門に下る。
天正3年、長篠合戦に敗れた武田勝頼が武節城に落ち延び、梅酢湯を飲んだという。
天正18年、家康の関東移封に伴い廃城。
2011年05月08日 三河守コーキしゃん
武節城
本丸櫓台から二ノ丸などの曲輪群が良く見えます。本丸西側の空堀が深くてなかなかいいです
武節城の周辺スポット情報
二の丸(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
蔵屋敷跡(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
登り口(碑・説明板)
登城口(碑・説明板)
登城口(碑・説明板)
武節城略年表、縄張り図と地籍図との合成図(碑・説明板)
夏焼城(周辺城郭)
川手城(周辺城郭)
武節古城(周辺城郭)
峯山砦(周辺城郭)
押山城(周辺城郭)
根羽砦(周辺城郭)
上郷城(周辺城郭)
九沢砦(周辺城郭)
田津原城(周辺城郭)
川手古城(周辺城郭)
秋葉砦(周辺城郭)
市之瀬館(周辺城郭)
中野館(周辺城郭)
根羽女城(周辺城郭)
根羽城ヶ峯(根羽男城)(周辺城郭)
小栃砦(周辺城郭)
月瀬城(周辺城郭)
杣路峠狼煙台(周辺城郭)
駒山城(牛地城)(周辺城郭)
中当城(周辺城郭)
小鷹城(周辺城郭)
信玄塚(寺社・史跡)
信玄坑(寺社・史跡)
稲武大安寺遺跡(寺社・史跡)
どんぐり工房(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
弘法岩(その他)