挙母城(ころもじょう)

挙母城の基本情報

通称・別名

七州城、(桜城)

所在地

愛知県豊田市小坂本町8、常盤町1

旧国名

三河国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

内藤政苗

築城年

天明元年(1781)

主な改修者

主な城主

内藤氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

市史跡(挙母城(七州城)隅櫓跡)、市史跡(挙母城(桜城)隅櫓跡)

再建造物

石碑、隅櫓

周辺の城

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挙母城の解説文

七州城(しちしゅうじょう)は1782年、現在の愛知県豊田市小坂本町付近にあった城である。挙母藩の藩庁が置かれた。通称は挙母城(ころもじょう)。

概要

挙母には、鎌倉時代の1309年に中條景長によって金谷城が築かれたが、戦国時代に今川氏、後に織田氏に攻略され、江戸時代初期である1604年に三宅康貞が1万石で入封した。康貞は城の破損が著しいことから、金谷城から1キロメートルほど北に陣屋を構え、桜の木を植えたことから俗に桜城といった。寛延2年(1749年)、内藤氏が城の改修を計画し着手したが、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため、桜城から高さ65メートルほどの丘である童子山に移し、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから、「七州城」といった。

明治以降は、学校敷地として利用され、一部が愛知県立豊田東高等学校(移転)や豊田市美術館の敷地として利用され、城跡公園として整備されている。

遺構としては、豊田市美術館敷地内に櫓台の石垣が残り、隅櫓が復興されている。また、挙母祭りの山車蔵に、城の建物の解体部材を転用したものがある。

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