桑下城

桑下城([妻木城  周辺城郭])

妻木城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「桑下城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

桑下城の口コミ情報

2026年05月02日 尾張守たまきち


三河の松平家と、尾張の織田家との国境攻防戦の舞台。

1482(文明14)年、応仁の乱の余波として、細川方の長江利景と山名方の今村城主∶松原広長が対峙した際に、落合城主∶長江利景が築き、落合城から移ったとされる。長江利景を首将とする品野勢は阿弥陀ヶ峰城を構え、今村勢は勢呼山から安戸坂を攻め上がって布陣し、大槙山で大激戦となり、今村勢は大敗を喫し松原広長は討ち死にした。その後、桑下城は長江景則,景隆の居城となる。
1529(享禄2)年、松平清康(家康の祖父)が尾張国に侵攻し、織田信秀家臣の坂井秀忠,桜木上野介が護る品野城を攻略し、軍功のあった叔父の松平信定に与えたときには、長江氏は家老として桑下城に居城し、その後の品野城主・松平家重,家次に仕えた。桑下城は品野城の館城という見方もある。
1558(永禄元)年には織田信長との間で戦闘が行われるが、家次が守将として、これを退けている。(品野城の戦い)
1560(永禄3)年、織田信長が品野城総攻撃をかけ、品野三城(品野城・桑下城・落合城)は焼失,落城し廃城となった。
2005(平成17)年の発掘調査では、その規模は東西約220m,南北約100mとされ、主郭部分では、西・北・東側を区画する巨大な堀切が確認され、丘陵西側曲輪の南東側に庭園と思われる空間があったことが明らかにされている。南は横堀と土塁により南からの尾根を遮断しており、南側からの攻撃に対する防御が強く意識されたものと考えられる。

現地を訪問したところ、品野川に架かる橋に解説板があり、その裏側の民家脇に登り口があります。しかし、主郭部分は私有地なのか立ち入れない様になっており、中腹までで諦めました。曲輪や土塁は確認出来ます。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore