千村氏屋敷跡
千村氏屋敷跡([久々利城 寺社・史跡])
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千村氏屋敷跡の口コミ情報
2025年09月01日 猫耳感謝感激雨霰萌え
市指定史跡 千村氏屋敷跡
千村氏は、関ヶ原合戦の後に、久々利村を含む4600石余を与えられ、直参旗本、尾張徳川家の家老として、明治維新までこの地に屋敷を構えていました。久々利には、山村家や同心屋敷も置かれ、一つの政治拠点ともなっていました。
千村氏の屋敷は『濃州徇行記』によると、東西約300㍍、南北約270㍍あり、「郭外濠ありて城郭の如し」と記され、上屋敷と下屋敷、庭園をもつ広大なものでした。
上屋敷は、この場所にありましたが、今では石垣の一部が現存しているにすぎません。上屋敷には20を超える部屋があり、政務の場と奥向きの生活の場に分かれ、中奥でつながれていました。政務の場には、家老の部屋や勘定所などがあり、役所として執務が行われていたため、「久々利役所」と称されました。
また、上屋敷の西側には下屋敷があり、隠居や部屋住みの者の生活の場として用いられました。その北側には、回遊式庭園「春秋園」が付随し、今なお四季折々の美しい景色を見ることができます。
また、千村家の菩提寺である東禅寺には、千村家歴代当主の墓石が林立し、千村氏の権威と格式の高さがうかがえます。
平成二十六年 可児市教育委員会
案内看板の後ろにある石垣が、現存する石垣だとすると、現在道路になっている場所に濠があったのだろうか?
2022年12月05日 ほりーないと信濃守
千村氏は、関ヶ原の合戦の後に、久々利村を含む4600石余を与えられ、直参旗本、尾張徳川家の家老として明治維新までこの地に屋敷を構えていました。(案内板より)
案内板がある場所には石垣が残り、東側の可児郷土歴史館などが上屋敷になります。下屋敷に設けられた中国式の回遊庭園「春秋園」が残っています。春秋園は県道を通す時に半分ほどになりました。案内板から西側へ歩いていくと城下町の面影があります。
木曽氏末裔の千村氏は久々利に屋敷を構えた後も信濃国との繋がりがありました。信濃伊那郡の幕府領十一か村と榑木支配を担わされた千村氏の代官所が長野県飯田市の飯田城下町にあり、飯田役所と呼ばれていました。飯田市の伊豆木小笠原家9代長計の室(妻)は久々利の千村家から輿入れしました。その時のお駕籠が旧小笠原家書院に展示されています(撮影OK、投稿不可)
春秋園の北側にある東禅寺に千村家の墓所があります。東禅寺からも久々利城の登城口があり、周遊登城路となっています。周遊の後に千村氏屋敷跡に寄り道できます。
2022年11月22日 【城郭道】たっきー
【久々利城の目の前にある陣屋】
千村氏屋敷、岐阜県可児市。久々利城の目と鼻の先(場所次第で城内)にある千村氏の屋敷です。木曽氏の末裔で、江戸時代は4400石を拝領していました。現在、庭園がひっそりと残っています。これは必見。石碑、説明板も。下調べしてから行くべきだった…。