和知城
和知城([金山城 周辺城郭])
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和知城の口コミ情報
2026年05月31日 猫耳尾張守メイド萌
稲葉城の由来
当城跡は、半島型に木曽川に突出し、東南は木曽川の断崖(20〜25㍍)と西は深い渓流(石川)で、天然の要塞を形成している。
天正十八年八月頃、当時 美濃国安八郡西保城(現在の安八郡神戸町)の城主であった稲葉右近方通が、この地に着任し築城、和知城(通称 稲葉城)と称した。
その後、右近方通は、関ヶ原の合戦に東軍に所蔵して功を立て、和知、野上、上牧野、細目、久田見の采地 四千四百三十一石を賜り、元和三年 尾張藩主 義通公に所属し、久々利村領主 千村氏と同席同列となる。後に、子孫は繁栄し、主計知通(仙斎)右近正通、右近良通と城主を相続したが、良通が後を継ぐ子が無い内に他界したため、幕府は右近知通の外孫の右平次屋通に相続を命じ、領地を全部相続させた。しかし、右平次屋通も跡継ぎの子がいないうちに延宝四年 他界し、五代(八十六年)に亘り、繁栄した和知城の領地はことごとく尾張藩に帰し、遂にお家断絶で廃城となり暫時荒廃して、今は、その当時の様子を伺い知れないが、右近方通の碑 及び井戸、内外濠等の後を僅かに残して在りし昔を思い出させてくれるだけである。
また、右近は、愚堂東寔禅師(大本山妙心寺
第十四世)と共に正傳寺 及び大仙寺にお灯明の油を取るために椿の木を植えたと言い伝えられ、北方に位置する正傳寺には、現在も参道の両側に古木並木を残し、椿大門と呼ばれている。
記念碑には
鉄岩道堅‥‥‥‥‥‥方通(初代)
鉄心道要‥‥‥‥‥‥知通(二代)
鉄叟隆元‥‥‥‥‥‥正通(三代)
鉄龍春輪‥‥‥‥‥‥良通(四代)
小春院梅岩祖蘂‥‥屋通(五代)
と名が記してある。
説明板より。
可児市観光交流館より少し足を伸ばし訪問、広い駐車場が有り、遺構も残っているので良いと思います。
(模擬門、天守風展望台?兜型遊具有り)
2020年09月09日 青コアラ美濃守
通称稲葉城。美濃金山城の北東2キロほど、木曽川の上流にある城。天正18年(1590)、稲葉一鉄の四男方通によって築かれた。木曽川の支流石川が木曽川に合流する地点に、半島状に突き出す形で築かれた天然の要害である。
現在は稲葉城公園として整備され、広い駐車場、トイレもあります。
模擬門をくぐった先の集会場の裏(右後方)に土塁の一部が残っており、この辺りが大手門跡とされています。
集会場から主郭の方へ向かう時に空堀を渡りますが、この堀が深さも幅もありこの城一番の見所です。
主郭は芝生広場となっていて、天守や兜を模した遊具が脱力感を誘いますが、しっかり稲葉家の家紋が入っていて意外と芸の細かさを感じさせます。
木曽川に面した部分は断崖になっているようですが、下の様子が見えない為、要害感はあまり感じられません。









