西念寺

西念寺([金山城  寺社・史跡])

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西念寺の口コミ情報

2025年03月16日 猫耳◇□◁△▷▽⊿萌


梅溪山西念寺(真宗大谷派)
当寺は、京都の公家梅溪大納言兼房卿の長男、梅溪中将左衛門尉兼行を開基とする。兼行は、室町時代の歓応元年(1350)冬、故あって現在の八百津町上牧野兼行に移り来て天台宗東光院で出家し、行基菩薩御筆の阿弥陀如来尊像を授かり、賢行を号して本願寺第四世善如上人に帰依した。葬した処を今も梅谷が廟という。
その後、第五世賢誓の時(1500年代初頭)兼山へ来て、浄音寺と専養寺の間に小庵を建てて移り住んだ。
第七世祐誓の妻、森長可公を開基とする妙願寺随応の妹であり、この時、森可成公の室で、長可、蘭丸等の母である妙向尼より多くの品が寄せられた。
第八世浄祐の代に妙願寺が津山市(岡山県)に移ったため、従兄である浄祐はその跡地である現在地に移転した。その後、第九世誓祐の代、元和五年(1619)から西念寺と号するようになった。
第十世誓玄の慶安四年(1651)の大火で堂宇ことごとく全焼。文久三年(1863)の大火にも類焼し、辛うじて本堂庫裏のみが残った。昭和十四年(1939)には本堂書院を焼失した。
このように、三度にわたる大火に、多くの寺宝を焼失したが、現在の山門は、文久の大火後、慶応四年(1868)の再建である。また庫裏は、大正六年(1917)明治天皇の別邸を手がけた名古屋の宮大工、宇野林平により、明治天皇の須磨(神戸市)の離宮を模して造られたものである。
(一部省略)
可児市教育委員会

各所に由緒・来歴の案内看板が設置されていてありがたい。

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