高取城(たかとりじょう)

高取城の基本情報

通称・別名

芙蓉城、鷹取城、高取山城

所在地

奈良県高市郡高取町高取、上子島、吉野郡大淀町比曽

旧国名

大和国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

連立式[3重3階地下1階/1589年築/破却]

築城主

越智邦澄

築城年

元弘2年(1332)

主な改修者

筒井順慶、本多利久

主な城主

越智氏、筒井氏、本多氏、植村氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

国史跡(高取城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

越智城(奈良県高市郡)[6.7km]
秋津城(奈良県吉野郡)[7.2km]
吉野城(奈良県吉野郡)[7.4km]
今井環濠(奈良県橿原市)[9.4km]
戒重城(奈良県桜井市)[9.5km]

高取城の解説文

高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。

概要
城は、高取町から4km程南東にある、標高583m、比高350mの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。

曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方m、周囲は約3km、城郭全域の総面積約60,000㎡、周囲約30kmに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の1つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。

歴史・沿革
室町時代・安土桃山時代
南北朝時代、南朝方であった越智邦澄が元弘2年(正慶元年、1332年)に築城したのが始まりと伝えられている。当初は越智氏の本城である貝吹山城の支城として機能していた。越智氏の支配が長く続き、戦国時代には高取城が越智氏の本城となっていたようである。天文元年(1532年)6月の飯盛城の戦いで圧勝した証如軍(一向一揆衆)は大和国に侵攻してきた。対立関係にあった興福寺の僧兵たちは越智氏のいる高取城に庇護を求めてきた。証如軍は高取城を包囲し、激戦となったようだが、筒井軍に背後を襲われた証如軍は敗走した(天文の錯乱)。

その後、織田信長によって大和国内の城は郡山城一城と定められ、高取城は天正8年(1580年)に一旦は廃城となった。天正11年(1583年)8月に筒井順慶の配下となっていた越智玄蕃頭頼秀が殺害され(自害とも)、越智氏は滅亡した。筒井順慶は、信長が本能寺の変で横死した後、天正12年(1584年)に支城網の一つとして本格的城塞へと改めた。

天正13年(1585年)、筒井氏は伊賀国上野に転封となり、豊臣秀長(豊臣秀吉の異父弟)が郡山城に入城し、大和国は秀長の配下となった。高取城には当初、秀長の重臣脇坂安治が入ったが、後に同じく重臣の本多利久に与えられた。天正17年(1589年)、利久は家臣諸木大膳に命じ、新しい縄張りをもって築造した。本丸には、多聞櫓で連結された3重の大小天守、二の丸には大名屋敷が造営され、城内には三重櫓が17基建ち並んだ。また、郭内には侍屋敷も整備され、他には類を見ない広壮な山城が出現した。家臣団は、山麓の高取市街に城下町を営んだ。

利久は、天正19年(1591年)に没した秀長の後嗣となった秀保に仕えた。文禄4年(1595年)、秀保が17歳で没した後、利久の子俊政は秀吉の直臣となり1万5千石が与えられた。秀吉没後の混乱期に、俊政は徳川家康についた。慶長5年(1600年)、家康の上杉景勝討伐の際に、俊政は討伐軍に加わり不在であった。この隙に乗じ、石田三成は兵を派遣し高取城を攻めたが、俊政の従弟・正広はこの要害のおかげで西軍を敗退させた。俊政は関ヶ原の戦いの後、東軍に付いた功を認められ、1万石の加増を受け高取藩2万5千石の初代藩主となった。

江戸時代
俊政の子の政武は、寛永14年(1637年)嗣子なく没し本多氏の支配は終焉した。

本多氏廃絶の後、桑山一玄(大和新庄藩主)と小出吉親(丹波国園部藩主)が城番となったが寛永17年(1640年)旗本の植村家政が2万5千石の大名に取り立てられ新たな城主となった。以後、明治維新最後の城主植村家壷まで植村氏が14代にわたって城主となった。幕末には、山上二の丸にあった藩主御殿は山麓に移され、天誅組の変で攻撃を受ける。...

高取城の口コミ情報

織田修理大夫晃司様[2017年08月08日]
壺阪寺を越えて分かれ道を左に進んでいくと高取城の案内板と簡易トイレがある坂道の少し広いスペースに他の人の邪魔にならないように停めて壺坂口門跡を目指して登りました。

歩くとすぐに石垣が現れ、テンションが上がります。
二の丸・本丸の石垣は感動ものです。労力が報われます。

蜂や蛇に注意とありましたが最大の敵は蚊!撮影のため両手が塞がったところに蚊がやって来ます。

なお、先程の道は20:00~翌5:00まで進入禁止です。夜道はかなり危険です。
それでもその時間に行きたい人は自己責任と違反キップ覚悟で…

みやび姫弾正尹様[2016年07月21日]
下で書いて下さったルートを頼りに車で行き止まりまで走りました。工事現場のような柵がありますのですぐわかります。虻(蜂かなぁ?)が恐ろしいほど飛んでいて、とても車から降りられる状況ではありませんでした。(7/19.気温33度)これから登城の計画がある方は完全防備してって下さいね。

カーネル様[2016年07月10日]
近鉄壺阪山駅から
駅を背にロータリーを抜け最初の信号がある交差点は直進し、2つ目の路地には右に城まで5kmの看板があります

あとは本丸まで真っ直ぐです。夢創館で地図をゲットすればなおよしです
ようこそ!の雰囲気たっぷりの町並みを抜けると山道に。道は歩きやすく、傾斜も普通です

また道中にも石垣がちらほらあり、二の門からは石垣だらけです
平場に築かれた大きな間口と異なり、山道の斜面にある門は狭く、下から見上げると迫力があります

千早門を越えると壺阪寺からの道と合流。本丸に寄ってから、壺坂寺におりてバスで帰りました

2回目なのでさらっと見学しましたので駅から2時間で壺坂寺に着きました。初めての方は見学時間が+20~40分は必要でしょうか

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

まー武蔵守様[2016年04月24日]
2度目の登城。夢創舘から約100m先左手に高取町観光用駐車場が出来ていたため午前8時すぎから登城開始。今回はここから歩いて登城。黒門跡から七曲り、猿石、ニノ門跡を通り過ぎて本丸跡へ。帰りは壺坂口門を通って帰ってきました。だいたい行きに約2時間、帰りに1時間半くらい歩いたと思います。

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年04月11日]
今回は城友さんと登城散策しました。ありがとうございました。
100名城スタンプは、夢創館でいただきました。また散策マップ、縄張り図、ハイキングマップもいただけました。有り難いです。
数ある城の中、この城は数々の戦乱や戦災をくぐり抜けた強運の城です。
三成さんの攻撃からを耐え、幕末の天誅組の吉村寅太郎の攻撃を跳ね返しました。
この城を攻略できなかった吉村さんは、この後敗走、離脱者が続出し1863年9月27日銃撃を受けて戦死。もし高取城を取れていたら•••その後の歴史は変わったものになってたかも(;^_^A
この城の防御力の高さを伺えます。
城内の石垣も立派、古木はかなり大きく屹立して城の守護神が如きです。
この日は本丸の北側に伐採した古木からチェーンソーによって作った本丸案内板を持った熊さんと天守閣が作成されてありました。

井戸跡には水もあります。籠城の際は飲料水の確保は不可欠です。ここに築城地と決めた越智氏や作事に携わった人達の労働力に敬意を(>_<)ゞ。大変美しいです!

以上、平成28年4月10日。

まるき〜遠江守様[2015年11月05日]
高取城への最短ルート、国道169号線うずら町交差点(ファミリーマート)を東に、案内板を頼りに進むと夢創館と言う所で100名城スタンプが押せます、ココで高取城のパンフ、縄張り図は10円で手に入ります、城へ直接行くなら国道169号線、清水谷交差点を東に約3キロ強、壺阪寺を越え細い道なりに最後の分かれ道は左へ、突き当たりまで行けます、簡易トイレが目印、これが最短ルートただ、車は2、3台しか置けないので注意!3台、4台目置けると思われますが置いてしまうとUターンできませんので、ここは気遣いが必要な箇所。
若干広い所で車を反転させて駐車する事をお勧めします。ココ以外、壺阪門手前に何台か駐車出来る。縄張りの看板が目印、坂道に停める事になるので輪止めを忘れずに…ココからだと本丸まで15分位、ルートとしてはココに車を停めて城探索して上の駐車場から降りて来るのが良いかと…最近は自転車のツーリングコースで登り下り共に自転車が多い時があります、真ん中を下ってくる自転車も居ます事故等無い様お互いが気を使って安全に道路を使用してもらいたいものです。

のぶ大蔵卿様[2015年04月12日]
飛鳥駅前の、明日香レンタサイクルで原付をレンタルして、高取城に行きました。日本三大山城の1つだけあって、徒歩や、バス+徒歩でもキツイと思いました。最初から、車で行く予定なら問題ないです。ただし、駐車するスペースが狭いので注意が必要です。

月影様[2014年10月01日]
奈良市内からだと169号線の清水谷交差点を東に入るルートが迷わず簡単です。
壺阪寺迄はまあ普通の2車線の山道、そこから先は1〜1.5車線の鬱蒼とした苔なんかも生えている急な坂道。東大阪・奈良方面の方には「暗峠の様な(もっと緩やかですが)」といえばあながち外れてはいないかと。
国道から90ccのバイクで20分程で城への入り口に到着。そこから徒歩550mとありました。天守跡迄はちょっとした登山 or トレッキング。途中の一番急な所には登りやすい、きれいな木の階段がありましたが、足元は最低限スニーカーが良いと思います。途中から立派な石垣が現れだすとあとちょっとで天守跡。
僕で20分程、ゆっくり登っても小一時間もあれば着くと思います。城郭跡は不思議な景色。思い出してもまた行きたくなります。綺麗だという紅葉時期にとか。
天守跡の南西方向に登って来た道と違う道があります。急ですがそちらを下りると当時の井戸があります。でも雨の後とかだとこの道は少し危険かも知れません。
下りると道に出ますが、嬉しい飲み水(恐らく 笑)がこんこんと流れていました。道を下りると登り始めた場所に着きます。

イソ左近衛中将ナミ様[2014年03月26日]
飛鳥駅からレンタサイクルをかりて壷阪山駅を抜け、山をのぼる坂道で激しく後悔。せめて電動自転車にしておけば…と、そこまで1時間。
さらに高取城の途中にある壷阪寺まではひたすら苦行。そこからハイキングコースの山道にはいり、50分弱で着くらしい。

結局、高取城にはいけず
壷阪寺で悟りました。
壷阪山駅からタクシーにするべきです。
レンタサイクルは、手前の飛鳥駅にしかないので、自転車なら絶対電動にするべきです。
そして、もし山登り覚悟なら、早めに行動しましょう。

以上は私の反省です。

コロ助様[2013年01月23日]
雪はあまり残っていませんでしたが、倒木が多かったです。跨いだり潜ったりして通過は出来ます。アスレチック感覚です。
100名城スタンプが置いてある夢創舘の方が、親切に温かいお茶を出して下さいました

ぽえぞお弾正少弼黄金旅程様[2013年01月17日]
車で攻略。案内板付近及び行き止まりになる7つ井戸に駐車可能です。(案内板付近5〜6台、7つ井戸3〜4台)自分は7つ井戸に停めましたが、Uターンして来た方向に向け城側の斜面に寄せて停めました。案内板の所はぬかるみ易いのでUターンで車を入れる際には注意が必要。7つ井戸も雨の日や雨上がりすぐだと水が溢れるらしいので滑り易く濡れるので注意が必要かと。
道がメチャクチャ狭いから行き帰りは慎重に運転しましょう。

尾辺安房守直虎様[2012年09月08日]
遊歩道から、登ると2㌔以上修験道みたいな山道なので、体力ないとかなりきついです。
ただ、登城口から本丸にいたるまで石垣が非常に素晴らしく、すごいです!

ポリタンク大和守様[2012年07月01日]
時間が許せば、吉野口から芋峠に下る途中にある弥勒堀切も見学しましょう。石垣で固めた堀切なので見応えがあります。ただ、赤土郭手前の堀切付近(左側を歩く)は幅が狭いので注意です。

浅井伊頼様[2011年09月14日]
11月の中頃なら紅葉が綺麗ですよ、登城はしんどかった。

古楽侍従広家様[2011年04月08日]
戦国時代は当然のことながら、幕末においても事件の舞台となる城。散乱された瓦なんかも見ることができます。

三河守コーキしゃん様[2011年02月07日]
石垣が物凄いです

虎口が幾重にも折れ曲がっていて迷路のようで楽しいです

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