宇陀松山城(うだまつやまじょう)

宇陀松山城の基本情報

通称・別名

秋山城、阿紀山城、神楽岡城

所在地

奈良県宇陀市大宇陀岩清水、春日、拾生

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

秋山氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

福島高晴

主な城主

秋山氏、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種、福島高晴

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、門、石垣、堀切、横堀(空堀)、竪堀、虎口

指定文化財

国史跡(宇陀松山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

赤埴上城(奈良県宇陀市)[7.7km]
小川城(奈良県吉野郡)[9.6km]
戒重城(奈良県桜井市)[9.8km]
芝村陣屋(奈良県桜井市)[10.6km]
龍王山城(奈良県天理市)[11.3km]
高取城(奈良県高市郡)[11.7km]
柳本城(奈良県天理市)[12.3km]
十市城(奈良県橿原市)[13.6km]
今井環濠(奈良県橿原市)[14.3km]
福住城(奈良県天理市)[14.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)166 宇陀松山城

設置場所

まちづくりセンター「千軒舎」[地図
まちかどラボ[地図
宇陀路大宇陀[地図

宇陀松山城の解説文



宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、大和国宇陀郡(現在の奈良県宇陀市)にあった日本の城。平成18年(2006年)に国の史跡に指定されている。旧名は阿紀山城/秋山城(あきやまじょう)や神楽岡の城(かぐらおかのしろ)ともいった。

城下町は重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も優美な町並みを残している。松山 (宇陀市)を参照。※記事名は曖昧さ回避の都合で「宇陀松山城」としてあるが、正式には「松山城」のみ。

歴史・沿革 

宇陀松山城は宇陀郡を領分する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのに始まる。築城時期についてはわかっていないが、南北朝時代には構えられていたと思われる。また、城名は秋山氏が居城としていた頃は松山城とは呼ばれず、秋山城と呼ばれていた。

天正13年(1585年)、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い秋山氏は宇陀から退去した。以後、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種らの居城となり、改修が行われ近世城郭へと移行した。この間の大規模な改修により、宇陀松山城が大和郡山城高取城とともに大和国支配の要として豊臣政権に認識されていたことが窺える。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて多賀秀種は西軍に属したため改易され、福島正則の弟福島高晴が入城した。 高晴は、豊臣政権下の大名の改修に加えてさらに大規模な改修を行った。近年の発掘調査により、本丸御殿をはじめとした礎石建物や大規模な石垣、瓦・陶磁器類などが出土し、当時の大改修の様子が明らかになってきている。時期には諸説あるが、高晴が改修を機に城名を松山城と改名した。

元和元年(1615年)、大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして、高晴は改易され城も小堀遠州らによって破却され廃城となった。破却の際の小堀遠州の書状が現存しており、城割(城を壊すこと)の内容が把握できる貴重な事例として注目される。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(166番)に選定された。

宇陀松山城の口コミ情報

2024年08月25日 守破離対馬守誠信
宇陀松山城



榛原から奈良交通バスで15分強。終点大宇陀(道の駅)で降りて、街かどラボの裏手から登城。これも15分強ぐらいか。現在も発掘調査が継続されているらしい。規模はそれほどではないものの本丸と天守郭はしっかりと昔の面影を彷彿とさせる。本丸からの周囲の見晴らしも素晴らしい。

2024年07月25日 RED副将軍
宇陀松山城



豊臣秀政権における大和国統治の拠点🏯

続日本100名城

築城年代は不詳。南北朝時代に秋山氏により築かれたと云われます。
秋山氏は伊勢神宮領大和国宇陀神戸の神戸社の神主家が始まりとされ、のちに興福寺の被官となり、南北朝時代には宇陀で沢氏と勢力を二分する勢力を振いました。その後、国司である北畠氏の家臣として沢氏、芳野氏とともに宇陀三将のひとつに数えられた有力国人です。
1559年に松永久秀が大和に侵攻し影響を及ぼすと秋山氏は松永久秀に与したとされます。
その後、秋山氏は筒井氏に属したとされ、1582年の山崎の戦いにおいて筒井順慶が出陣した際に秋山氏は筒井城に在番していました。
1585年に豊臣秀長が大和国に入封すると秋山氏は退去。宇陀三人衆は南伊勢に入封した蒲生氏郷の与力衆となったとされます。宇陀松山城には伊藤掃部頭、羽田長門守、多賀出雲守、福島掃部頭と豊臣家大名の居城となり近世城郭に改修されました。
1615年に福島高晴は大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして改易。代わって大和松山藩には織田信雄が入封しましたが宇陀松山城は破却され松山陣屋が築かれました。

見所
標高471mの城山に築かれています。
山頂に本丸を置き、本丸は東に天守曲輪、西に御本丸で構成。天守曲輪の東端に天守台があり、本丸は西と南に虎口が開口しています。
本丸の南下に帯曲輪、東に大御殿を配し、南東に堀切を通路とした虎口を経て二の丸と続きます。
折れが続く大手道は石段や石垣があり、その脇には深い横堀が西側斜面を断ちきっています。

国史跡として整備されており、比高は約120mです。

2024年06月08日 百済門徒衆修理大夫とら
片岡家住宅[宇陀松山城  寺社・史跡]



国指定文化財 片岡家住宅

片岡家は大和郡山藩の大庄屋で田原組9ヶ村をまとめ、1万3000点の県内屈指の古文書を残しています。

主屋は茅葺きで、土間に馬屋、かまどがあり、寛文9年(1669)に建て替えが行われたことを文書に記しています。写真①

付属の奥座敷は大和郡山城主であった本多内記正勝のため建てられたもので格式を誇る建築となっています。写真②
この座敷から眺める景色は絶景で、前に見える山も片岡家の所有です。写真③

この片岡家の素晴らしい所は、現在もご当主の片岡さんが今も住まわれているということです。そして、実際住まいされている本人が説明をされ、「お爺さんが常に言っていたのが、百性の分を守って壁は漆喰を塗るな」という言葉を守っておられるとのことです。頭の下がる思いです。

見学は宇陀市教育委員会0745-82-3976へお問合せ下さい。

2024年04月29日 沼田上野介
駐車可[宇陀松山城  駐車場]

他の方の情報にもありますが、2024年4月29日現在では登城口から先に車両は入れなくなっており、この駐車場まで入れませんのでご注意ください。

2024年04月28日 京都産権中納言かんばん
宇陀松山城



続日本百名城でもある宇陀松山城、本来は天守跡100m地点にある駐車スペースまで車で行けそうですが、600m地点で通行止めでした。多分以前は100m地点まで車が入れたと思われます。ので、その100m地点まで舗装された道でした。残りの100mは結構はな山登り。寸前までシトシト雨だったこともあり少しぬかるみもあり滑りそうなところもありました。山頂には看板以外にはお城があった痕跡は見当たりませんでしたが、良い眺めではありました。因みに続日本百名城のスタンプは道の駅宇陀路大宇陀で安定ゲチ。

2024年04月03日 天道式部卿早雲
又兵衛桜(本郷の瀧桜)[宇陀松山城  その他]



樹齢300年といわれる見事なしだれ桜です。後藤又兵衛が大坂の陣を生き延びて、この地ですごした屋敷の跡という伝説があるそうです。2000年の大河「葵徳川三代」のオープニングバックにも使われました。

行ったときは曇天で6分咲きほどでしたが、すごく綺麗で、石垣と桜のコラボも素晴らしかったです。いつか、満開を碧天で見てみたいです。

2024年03月14日 tracer_azu
宇陀松山城



真夏にいきましたが整備されていて見学することができました。登城道も整備されています。城下町の雰囲気も良いので合わせて見学がオススメです♪

2024年02月21日 ナァロ蔵人頭
宇陀松山城



一昨日、昨日の雨のため、天守郭までの山道はぐちゃぐちゃになり、滑りやすくなっていた。下りは、杉の落ち葉で埋め尽くされた当時の古山道を行った。天守郭は雲or霧で覆われ、幻想的な風景を堪能した。天気が良いとき🌞にまた来たい。

2023年12月06日 池田紀伊守信輝
道の駅大宇陀[宇陀松山城  スタンプ]

待合室にスタンプあり24h押印するのは可能押印前にスタンプ自体の清掃必要

2023年10月23日 リラックマʕ•ᴥ•ʔ隠岐守
宇陀松山城



山城初級編として、オススメです。街道の往来などよく分かり、何故、此処に城が必要であったのか理解が出来ます。

2023年06月27日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
宇陀松山城



全体的にコンパクトな印象を受けますが、本丸に登ると見事な眺望。初心者にもわかりやすい縄張や土木跡です。道の駅からも近くてオススメです。帰路、道の真ん中にアオダイショウが迎えてくれました😀

2023年03月19日 エムサカ丹波守
宇陀松山城



復元CGの総石垣造が本当?と思うほど現在確認できる石垣は天守部と南西虎口部とわずかです。ただ縄張りの伐採は進んでいて、本丸からは各曲輪跡がはっきり判ります。

2022年11月07日 蜜黄熊織姫
宇陀松山城

15分~20分で登れる山城です。未就学児も登っていました。本丸は見晴らしが良かったです。

2022年08月11日 課長大和守Ver.B
下城・馬場遺跡(沢城居館跡)[宇陀松山城  遺構・復元物]



沢城の居館部があったと共に弥生時代の遺跡でもあるようです。
現地は特に遺構が残っているわけではありませんが、沢城の城跡碑と説明板が建っていますので西側から登城される際には立ち寄られると良いと思います。

2022年07月25日 氏邦
宇陀松山城

登山道もよく整備されていて登りやすいです。

2022年06月07日 課長大和守Ver.B
文祢麻呂墓(沢城登城口)[宇陀松山城  寺社・史跡]



文祢麻呂は壬申の乱において大海人皇子方について戦った武将で、江戸期にガラス製骨蔵器などの副葬品と共に出土した銅製の墓誌により埋葬者が特定された貴重な例として史跡指定を受けた墓所です。
墓所自体はこじんまりしておりいくつかの説明板と碑がある他2〜3台分の駐車場とトイレが設置されています。

またここへの林道を更に西へ進むと沢城へ向かうことが出来ますので、クルマで登城したい方はこちらにクルマを置いて向かわれると便利かと思います。
ただ林道終端部が藪で細い水路を渡る木橋も壊れていたため道を見失わないよう注意が必要です。
その先はしっかりした踏み跡と道標があるので大丈夫かと思います。

2022年06月05日 課長大和守Ver.B
沢城[宇陀松山城  周辺城郭]



沢城は正平年間に宇陀三将の一人である沢氏により築かれた城で天正年間には廃城となったようです。
永禄年間の10年弱には松永久秀の侵攻に伴って沢氏に変わり高山氏の居城となり、300人余りの兵士や家族が住んだ城内には教会もあったということで当時壮大な城であったことが伺えます。

城は本丸出丸間の堀切によって本丸、二ノ丸等の主要部と土塁で固められた出丸やクラカケバの防衛部に分けられていたようで、竪堀や三重堀切などの防御施設は北東方向である出丸側に集中しています。

遺構は三重堀切のうち二つは明瞭に残り出丸とクラカケバ周囲の土塁もはっきりしていますが竪堀はよくわかりませんでした(^^;
また相変わらず本丸は猛烈な藪で何故ここだけ全く整備の手が入らないのか…高い切岸で守られている郭だけにもうちょい綺麗にしてもらいたいです(笑)
二ノ丸三ノ丸は比較的藪は少なく西端部の堀切も比高差が大きく見ものです☆

以前は出丸の一部以外藪だったらしいですが、現在は本丸を除き比較的自由に見て回れますので皆様もお近くに来られる際には是非(^^)

2022年05月03日 saizo
千軒舎[宇陀松山城  スタンプ]

観光案内所で24時間押せます。ありがいのですが、そのせいでスタンプが雑に扱われ、隣にある観光スタンプ台でインクが付けられたり、そこらじゅうに押印あとがあったりして残念です。

2022年04月09日 特にありません
宇陀松山城



城下町の街並みはいいですが、駐車場が道の駅。なぜか城内の駐車場は閉鎖中。
来場者は居るのでそれなりの整備を希望します。

2022年01月15日 ( *¯ ³¯)っ旦
宇陀松山城

町中の石垣について…
「千軒舎」より600mほど町中を進むと「石影庵」があり、その奥に石垣がありますが、その石垣を宇陀松山城の石垣だと言われる方がいますし、それを信じて話を広めたりされている方がいるようですが、確かに石垣はありますが、宇陀松山城の石垣ではありません。

切り岸のようになっているので土砂崩れをおこさないように積まれた石垣です。
確かに石垣によってお城と町の境となっているのですが、お城としての石垣では無いそうです。石垣を積んだ時代を聞くのを忘れていました…

町中として存在する石垣は春日神社の門だけらしいです。私の感じでは商工会議所から166号線方面に向かう途中にある信号の角のところも宇陀松山城跡かもしれないと思われる山があります。違うかなぁ…

2021年11月03日 タコ八郎右兵衛佐
宇陀松山城

近鉄榛原駅から徒歩で攻略。本丸跡まで1時間45分かかりました。地元の人は秋山城と呼んでいます。城主が改易された後、破壊が大きく残念なお城でした。

2021年10月04日 上田図書頭雪娘
宇陀松山城

道の駅から西山バス停まで歩くことをオススメします。町並みが素敵です。

2021年05月16日 伊東隼人佑祐信
黒木西城[宇陀松山城  周辺城郭]



桜名所として有名な本郷の瀧桜(又兵衛桜)の南東に位置する椿寿荘もしくは本郷溜池を目標とします。溜池の周遊道を歩いていくと展望台のような高台の広場があり、その背後の山に入ると、すぐに畝状竪堀群が出迎えてくれます。尾根筋ヘ登る確かな道はありませんが、緩斜面なので容易に行けます。尾根筋に沿って北側に進むと幾重にも堀切が行く手を遮ります。築城時期や築城者は定かではないが、松永弾正が宇陀攻略時に陣城として築いたと言う説もあり、想像力を掻き立ててくれる楽しい城です。

2021年04月18日 かしよし讃岐守1181
宇陀松山城

春日神社から山道を登り登城しましたが道の駅宇陀路大宇陀から正面166号に向かって信号を渡って少し歩くと立派な道が本丸直下に向かって作られています。現時点で車は通れないようですが歩行は行ってもよいようです。道は地図上にまだ記されていません。

2021年04月03日 よしとん
宇陀松山城

2020年、近鉄榛原駅の駅前広場で取れました。

2021年03月28日 真田
宇陀松山城

松山地区まちづくりセンター「千軒舎」の入口を入り、裏木戸を出ると舗装された道路に出る。しばらく歩くと城跡まで600mの標示が有り、約20分程度で城山山頂の天守跡に到着しました。360°パノラマの絶景でした。

2021年02月25日 まるき〜陸中守
沢城登城口[宇陀松山城  その他]

山口農園さんのトイレのある所から登って行けます。

2020年11月09日 大隅守
黒木西城[宇陀松山城  周辺城郭]



黒木北城から尾根筋を歩くと黒木西城の畝堀に行きます。
ただし 猪数頭と遭遇したので退散しました。(T_T)

2020年11月09日 大隅守
黒木北城[宇陀松山城  周辺城郭]



又兵衛桜付近にある城跡
尾根筋を歩くと黒木西城に行きます。

2020年09月26日 せせらぎ太政大臣
宇陀松山城



道の駅大宇陀に車を停め、千軒舎脇から15分で登城。
宇陀市にお金がないのか、事情は分かりませんが、本丸下まで相当お金をかけて車道と駐車場を整備しているのに利用させておらず、荒れ放題になっていて、悲しい気持ちになりました。

2020年09月22日 戸沢夜叉九郎正樹
宇陀松山城



春日神社からの登城は、倒木の為、通行止めになっているが、入口には何も表示が無いのでご注意を。

2020年07月30日 織田上総介晃司
宇陀松山城

宇陀松山城登城口近くの千軒舎の駐車場に停めることができますが、帰ってみると他の車が邪魔して出られない。という事がよくあるので道の駅「宇陀路大宇陀」に停めるのが無難です。

夏は夏草が繁っているので宇陀松山城には晩秋から冬にかけて登城するのが望ましい。

風情ある宇陀の町並みを散策するのも乙なものです。

2020年03月18日 和泉 中納言 元就
宇陀松山城

コロナの影響で千軒舎が3/31まで閉館になっていました。
続100名城スタンプは道の駅大宇陀で押せます。(3/18現在)

2019年09月29日 長月河内守十六夜
宇陀松山城



1615年に破却され、石垣も故意に壊されているのに、残っている虎口や本丸郭、天守郭が立派で感動します!
そして美しい山々が見渡せて最高の気分🎵

まちづくりセンター千軒舎で、2017年作成のとても詳しい宇陀松山城跡のパンフレットが無料で頂けます。同時にいただける宇陀松山 城と町 というパンフレットを手に、立派な商家が残る町並み散策も、ぜひ!

2019年06月26日 百済門徒衆修理大夫とら
宇陀松山城

令和元年6月26日現在、未だ春日神社からの登山道は台風のため通行止め。聞けば、私有地のよう。
まちづくりセンター千軒舎脇登山道より登城可能。車は千軒舎駐車場に置かしていただける。一言、ことわりをしておくと良いでしょう。


2019年06月14日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
宇陀松山城



雀門跡☆(奥)隅櫓の出張り部☆左に折れ突き当たると右に折れ☆石垣は低いので気付きにくいが巨大な枡形の構造になっている☆

2019年06月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
宇陀松山城



本丸・一段高い天守郭☆天守郭には僅かながら石垣残る☆天守郭の東側には城内最大の大御殿(郭)が残る☆

2019年06月10日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
宇陀松山城



南西虎口部☆石垣と(上)郭は本丸下の帯郭☆現在主郭以外は藪になってます☆冬にまた再来します♪

2019年06月09日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
宇陀松山城



南西虎口部☆(左)大手口のこの場所には石垣に石段が残る☆秋山氏が築いた戦国の山城☆

2019年05月17日 さすらい
宇陀松山城



令和元年5月17日現在、春日神社からの登城路は倒木のため、通行できないそうです。
まちづくりセンターから登城することになります。

2019年05月17日 さすらい
春日門跡[宇陀松山城  遺構・復元物]



建物はありませんが、石垣と虎口がよく残っています。

2019年04月23日 天道式部卿早雲
松山西口関門[宇陀松山城  遺構・復元物]



当時の城下町の門がそのまま残っています。面白いのは、門の外に武家屋敷が内に商工町があったそうです。

2019年02月05日 大和守いぞう
宇陀松山城

ラーメンツーリングの途中で寄りましたが、アプリからのGoogleマップ連動で道案内させると貯水池に誘導されました。
落ち葉が沢山あり、バイクで立ちゴケしてしまいました。
貯水池への道をスルーして、春日神社の所にバイクを停めて徒歩15分だそうですが、先の大雨により倒木のため通行禁止となっています。
自己責任で登って見ると確かに倒木はありますが、若干のコースアウトでクリアできるので、神社からは15分掛からないくらいです。
冬とは言え、暖かい日だったので少し汗をかくくらいの登頂でした。

2019年01月13日 松之助尾張守
宇陀松山城

続100名城スタンプが押せる千軒舎の横に、3、4台置ける駐車場があります。
他の車が出られるなら置いておいても大丈夫、とスタッフの方には言われますが…ここに置いて登城することはオススメしません。
なぜなら平気で人の車の前に停めてしまう人がいるからです。
そのため登城して戻ってきたら車が出せない、というトラブルが多々あるそうです。
千軒舎から徒歩5分ほどのところに道の駅宇陀路大宇陀があるので、そこに停めて登城した方が安心して楽しめると思います。
道の駅の駐車場は満車になっていることもありますが、第2駐車場もあるので停められないということはないと思います。

2018年11月18日 征夷大将軍もんたろう
宇陀松山城

続100のスタンプ場所のまちづくりセンター「千軒舎」まで車で行きました。受付の人にスタンプを出してもらうと、登城するなら、この裏手の道から上がれますと教えてくれました。駐車場が小さかったので車を停めたまま行っていいかどうか確認したのですが、ほかの車が出られるように停めてくれてら良いと言われました。ただし、ホントに小さい駐車場なので、いつもOKと言われるかは疑問です。
その「裏手の道」ですが、車が通るような舗装された道で、2/3ほど進んだとこには明らかに駐車場もできているのですが、過去の口コミにもあるように、まだ車は進入禁止となってました。
1/3から上は、いかにも山城の道ですが、距離は短いので、それほど苦もなく上がれます(それまでの舗装された道のほうが微妙なしんどかった)。
帰りは春日神社のほうに降りようと思ったのですが、倒木のため通行止めとなっており、結局同じ道を降りて来ました。


2017年12月28日 ぺんた
宇陀松山城

台風被害状況とあともう一つ気になっていたのが新たに整備された麓から城跡までのアクセス道と駐車場。これまでの春日神社からの登城ルートの2/3くらい進んだ場所まで新しいアクセス道と駐車場が来てました。この新道の登り口は伊勢本街道と国道166号の交差点から東に50m程進んだ場所です。これの開通により気軽に本格的な山城遺構が楽しめるようになりそうですね。なりそうですと書いたのはちょうど新道が整備された後に台風21号の被害に遭い新道付近にまで土砂が流入したため現在はまだ登り口にカラーコーンが置かれていて利用はできません。恐らく運用は法面復旧が終わり安全が確保され次第になるかと思われます。


今年4月に続日本100名城に選ばれ宇陀市も本格的に整備し始めた矢先の被害だったので凄く残念ですね。考え過ぎかも知れませんがもしこれまでの整備による樹木伐採等が今回の被害を大きくしたことと何か因果関係があるとすれば皮肉なことです。ただ、来年4月6日からスタンプラリーも始まるとアナウンスもありましたしそれまでには整備復旧が終えられていることを心より願っております。

2017年12月28日 ぺんた
宇陀松山城

10月に発生した雨風とも猛烈だった台風21号で被害が出たとの報道を目にしてずっと気になっていたので自分の足で見に行って来ました。

目にしたのは天守、本丸と段々に続く遺構下の帯曲輪の端から南側の法面が横に連続するように2箇所、幅にして40m~50mほどが崩落して帯曲輪端にブルーシートがかけられた無惨な姿。一部分は樹木をなぎ倒し土石流のような形で土砂が下った形跡があり報道によればこの法面には石垣がいくつかあったようなのでそれも一緒に流されてしまったようです。現在この部分はロープが張られていて立ち入り禁止になってます。また主郭の北東側にも小規模な法面の崩落が2箇所ほどありました。報道では全部で大小9箇所程崩落した模様です。ただ法面崩落は本当に痛々しい姿ではありましたが全体としての姿や主郭部分の姿は以前と変わってませんのでこれまで通り素晴らしい遺構と眺望を楽しんでいただけるかと思います。

2017年12月04日 かよぱぱ和泉守
宇陀松山城

春日神社の横から登城口があります。神社にはキレイなトイレがあります。道の駅宇陀路大宇陀から歩いて少しありますが、古い街並みを散策するのもイイ‼ちなみに春日神社と天理教の分教会の間にクルマ2台ほど駐車できるスペースはありますが、迷惑とならないようにしてください。

2017年10月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
宇陀松山城

神社の下、手を清める水の近くに搭乗口があり、石の道導があります。

他にも舗装路の坂から登れるみたいですが、薪割りしてる人に今はそこは登れないよと引き留められました。

神社の下からは、ハイキング的な道の整備してありすぐに本丸迄いけます。

神社にトイレや駐車場はないみたいでした。
道の駅は結構距離ありますね。
歩くと。

尚、山城の中腹に車用の道路作り途中のものがあったのでそのうち車で行ける様になるかも。


2017年05月05日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
宇陀松山城

昨年に城友の御相伴になり人気の当城に。国道166号沿いに道の駅に立ち寄り駐車ここより徒歩にていざ!城のある山を見上げると明らかに人の手が入った山瘤が見えました。
春日神社の入口から登山口になりますが途中は江戸時代にタイムスリップしたかのような街並み。宇陀市の力の入れようが半端ないですね!
登山口、緩やかで手すりまで設けられた入口。「秋山城」の看板を見ながら迷うことなく山頂に、本丸までのジグザグ道は作事者の知ってか知らずか福島正則の「山道の旗」やと気づいた!
本丸から天守までに作事残骸が無造作にあり少し減点。
天守から南に張り出した二の丸は一番の見所かと。シオマネキのハサミの如くです。
天守の間より広い南から攻め上がる敵を側面から痛撃する作り流石に嫌らしい作り!
福島正則の弟の高晴の居城。兄弟合作の(私の勝手な思い込み)豪快な縄張りの城です。
大坂城から近いこの地でいい城が出来たと兄弟祝杯あげた姿が浮かぶ様でした。
正則(いい城になったな!)
高晴(兄者、すまぬ。助かったよ)
正則(二人合わせりゃ太閤の世は盤石。)
高晴(•••そう願いたい•••)


2016年08月14日 宮内卿あさよし
宇陀松山城

夏の山城はやっぱりキツイです。近くの道の駅に車を停めました。混んでいるので第2駐車場を利用しました。思った以上に規模が大きく、曲輪がはっきり残っています。石垣もなかなかの大きな物が残っています。ただ、気のせいか蜂が多かったです。お気をつけください。また、近くには又兵衛桜(桜の一本木)がありますので、春がオススメです。

2016年04月23日 まー刑部卿
宇陀松山城

先人の言われる通り道の駅に駐車しましたが土日は混んでます。案内所で観光イラストマップを頂いてから向かいました。登城前に松山西口関門を見てから春日神社にある春日門跡へ。春日神社で参詣後登城。ブルーシートで覆われてるところ、土嚢が積まれてるところは変わってません。ただ石垣が思ってた以上に残されていることに感銘を受けました。一度は訪れるべきお城かと思います。山城だけに疲れますが景色は雄大で気持ちよく疲れは吹っ飛びます。足が疲れたなら道の駅の足湯に浸かるといいです。

2016年01月04日 まるき〜陸中守
宇陀松山城

城の駐車場と言うものはありませんのでR166号線沿いの道の駅宇陀路大宇陀に車を停めての登城、道の駅から伊勢本街道を北に城下町の雰囲気が残る町並みを見ながら十数分歩き中京銀行横、春日神社の参道へ神社手前の狛犬を過ぎたらすぐ右の細い通路が登城口そこから一本道、個人差はあると思いますが途中ブルーシートがかかっている調査中の場所を見ながら約15〜20分位で城の虎口に到着できます。残念ながら入り口付近は土嚢で形成されていますが、まだ調査復元途中なので仕方がないです。城跡自体思っていたより広くて凄く見晴らしが良くて気持ちが良い、堀切り、土塁、櫓跡のような物、御殿跡、各城郭の区切りもわかりやすく素人の私でも色々と想像もしやすい城跡でした。とにかく大峰山系が一望できて素晴らしい眺めですのでこの景色だけでもオススメ。来た道を降りてきて、参道入り口から本街道を横切り突き当たりを右折、50m程行って左折した所に松山西口関門がある。トイレもここにあり。一通り観て道の駅に戻ると足湯がありますので、足を癒せます。

2013年12月22日 ばしこん
宇陀松山城

春日神社からの登城になります。車の場合はこの神社付近に路駐して行く事になります。また、トイレ等は在りませんので、事前に済ませてから登城しましょう。

2012年11月30日 OHMSS井村
宇陀松山城

 石碑の立つ春日神社右手の登り口から、人ひとり分の幅しかない登り口に掛かりますと、そこには丸木の手摺りと階段が有り、初めての訪問者でも取り敢えずは登ってみようとの気にさせます。
 しかし、ものの5分も上りますとその手摺りは無くなり斜面も急となって、あとはもうひたすら鬱蒼とした林の中の登坂行となります。その行く手は蛇行と薄暗がりで殆ど先が読めず、降り重なった濡れ落葉も足元をすくおうとします。
 ですが、麓から約半時間の地点に差し掛かりますと突然目の前が開け、虎口西側の石段に到達する事ができます。ここまで来ますと本丸御殿のあった頂はもう少しの所です。
 されど、風雨にさらされ切り立った斜面はここから更に急となり、息も絶え絶えともなれば、手摺りの代わりに張られた細いロープだけが頼りの登頂となります。
 そうやって私が撮った天守跡のシルエットには、何やら柱のようなものが数本。
 奈良県の文化財保存課に訊ねてみたところ、これは山の所有者がむかし建てた展望台の名残だそうです。

2011年02月07日 三河守コーキしゃん
宇陀松山城

春日神社に登城口があります

整備中の為ブルーシートが被っていますがかなり散策し易くなっています



宇陀松山城の周辺スポット情報

 松山西口関門(遺構・復元物)

 春日門跡(遺構・復元物)

 南西虎口部・雀門跡(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 天守郭跡(遺構・復元物)

 下城・馬場遺跡(沢城居館跡)(遺構・復元物)

 六孫王五輪塔(遺構・復元物)

 宇陀松山城説明板(碑・説明板)

 郭配置図(碑・説明板)

 秋山城碑(碑・説明板)

 高山右近の碑と澤城説明板(碑・説明板)

 黒木西城(周辺城郭)

 黒木北城(周辺城郭)

 秋山城下城(周辺城郭)

 菟田の高城(周辺城郭)

 沢城(周辺城郭)

 平井城(周辺城郭)

 春日神社(寺社・史跡)

 文祢麻呂墓(沢城登城口)(寺社・史跡)

 片岡家住宅(寺社・史跡)

 宇陀市松山地区まちかどラボ(御城印)

 千軒舎(スタンプ)

 宇陀市松山地区まちかどラボ(スタンプ)

 道の駅大宇陀(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(3〜4台)(駐車場)

 駐車可(駐車場)

 沢城登城口(その他)

 登城口(その他)

 又兵衛桜(本郷の瀧桜)(その他)

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