宇陀松山城(うだまつやまじょう)

宇陀松山城の基本情報

通称・別名

秋山城、阿紀山城、神楽岡城

所在地

奈良県宇陀市大宇陀岩清水、春日、拾生

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

秋山氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

福島高晴

主な城主

秋山氏、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種、福島高晴

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、門、石垣、横堀(空堀)、堀切、竪堀、虎口

指定文化財

国史跡(宇陀松山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

赤埴上城(奈良県宇陀市)[7.7km]
小川城(奈良県吉野郡)[9.7km]
戒重城(奈良県桜井市)[9.8km]
芝村陣屋(奈良県桜井市)[10.6km]
龍王山城(奈良県天理市)[11.3km]

宇陀松山城の解説文

宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、大和国宇陀郡(現在の奈良県宇陀市)に存在した日本の城である。平成18年(2006年)に国の史跡に指定されている。別名は秋山城、神楽岡城。 城下町は重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も優美な町並みを残している。

歴史・沿革
宇陀松山城は宇陀郡を領分する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのに始まる。築城時期についてはわかっていないが、南北朝時代には構えられていたと思われる。また、城名は秋山氏が居城としていた頃は松山城とは呼ばれず、秋山城と呼ばれていた。

天正13年(1585年)、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い秋山氏は宇陀から退去した。以後、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種らの居城となり、改修が行われ近世城郭へと移行した。この間の大規模な改修により、宇陀松山城が大和郡山城高取城とともに大和国支配の要として豊臣政権に認識されていたことが伺える。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて多賀秀種は西軍に属したため改易され、福島正則の弟福島高晴が入城した。 高晴は、豊臣政権下の大名の改修に加えてさらに大規模な改修を行った。近年の発掘調査により、本丸御殿をはじめとした礎石建物や大規模な石垣、瓦・陶磁器類などが出土し、当時の大改修の様子が明らかになってきている。これらの大名の大改修を機に、城名が松山城と呼ばれるようになったと考えられる。

元和元年(1615年)、大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして、高晴は改易され城も小堀遠州らによって破却され廃城となった。破却の際の小堀遠州の書状が現存しており、城割(城を壊すこと)の内容が把握できる貴重な事例として注目される。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(166番)に選定された。

宇陀松山城の口コミ情報

かよぱぱ右衛門佐様[2017年12月04日]
春日神社の横から登城口があります。神社にはキレイなトイレがあります。道の駅宇陀路大宇陀から歩いて少しありますが、古い街並みを散策するのもイイ‼ちなみに春日神社と天理教の分教会の間にクルマ2台ほど駐車できるスペースはありますが、迷惑とならないようにしてください。

五瓜ニ唐花紋右大臣や〜きみ様[2017年10月09日]
神社の下、手を清める水の近くに搭乗口があり、石の道導があります。

他にも舗装路の坂から登れるみたいですが、薪割りしてる人に今はそこは登れないよと引き留められました。

神社の下からは、ハイキング的な道の整備してありすぐに本丸迄いけます。

神社にトイレや駐車場はないみたいでした。
道の駅は結構距離ありますね。
歩くと。

尚、山城の中腹に車用の道路作り途中のものがあったのでそのうち車で行ける様になるかも。

シバヤン大和守交友莫爭様[2017年05月05日]
昨年に城友の御相伴になり人気の当城に。国道166号沿いに道の駅に立ち寄り駐車ここより徒歩にていざ!城のある山を見上げると明らかに人の手が入った山瘤が見えました。
春日神社の入口から登山口になりますが途中は江戸時代にタイムスリップしたかのような街並み。宇陀市の力の入れようが半端ないですね!
登山口、緩やかで手すりまで設けられた入口。「秋山城」の看板を見ながら迷うことなく山頂に、本丸までのジグザグ道は作事者の知ってか知らずか福島正則の「山道の旗」やと気づいた!
本丸から天守までに作事残骸が無造作にあり少し減点。
天守から南に張り出した二の丸は一番の見所かと。シオマネキのハサミの如くです。
天守の間より広い南から攻め上がる敵を側面から痛撃する作り流石に嫌らしい作り!
福島正則の弟の高晴の居城。兄弟合作の(私の勝手な思い込み)豪快な縄張りの城です。
大坂城から近いこの地でいい城が出来たと兄弟祝杯あげた姿が浮かぶ様でした。
正則(いい城になったな!)
高晴(兄者、すまぬ。助かったよ)
正則(二人合わせりゃ太閤の世は盤石。)
高晴(•••そう願いたい•••)

大膳大夫あさよし様[2016年08月14日]
夏の山城はやっぱりキツイです。近くの道の駅に車を停めました。混んでいるので第2駐車場を利用しました。思った以上に規模が大きく、曲輪がはっきり残っています。石垣もなかなかの大きな物が残っています。ただ、気のせいか蜂が多かったです。お気をつけください。また、近くには又兵衛桜(桜の一本木)がありますので、春がオススメです。

まー宮内卿様[2016年04月23日]
先人の言われる通り道の駅に駐車しましたが土日は混んでます。案内所で観光イラストマップを頂いてから向かいました。登城前に松山西口関門を見てから春日神社にある春日門跡へ。春日神社で参詣後登城。ブルーシートで覆われてるところ、土嚢が積まれてるところは変わってません。ただ石垣が思ってた以上に残されていることに感銘を受けました。一度は訪れるべきお城かと思います。山城だけに疲れますが景色は雄大で気持ちよく疲れは吹っ飛びます。足が疲れたなら道の駅の足湯に浸かるといいです。

まるき〜淡路守様[2016年01月04日]
城の駐車場と言うものはありませんのでR166号線沿いの道の駅宇陀路大宇陀に車を停めての登城、道の駅から伊勢本街道を北に城下町の雰囲気が残る町並みを見ながら十数分歩き中京銀行横、春日神社の参道へ神社手前の狛犬を過ぎたらすぐ右の細い通路が登城口そこから一本道、個人差はあると思いますが途中ブルーシートがかかっている調査中の場所を見ながら約15〜20分位で城の虎口に到着できます。残念ながら入り口付近は土嚢で形成されていますが、まだ調査復元途中なので仕方がないです。城跡自体思っていたより広くて凄く見晴らしが良くて気持ちが良い、堀切り、土塁、櫓跡のような物、御殿跡、各城郭の区切りもわかりやすく素人の私でも色々と想像もしやすい城跡でした。とにかく大峰山系が一望できて素晴らしい眺めですのでこの景色だけでもオススメ。来た道を降りてきて、参道入り口から本街道を横切り突き当たりを右折、50m程行って左折した所に松山西口関門がある。トイレもここにあり。一通り観て道の駅に戻ると足湯がありますので、足を癒せます。

ひとりもんの副将軍様[2014年11月11日]
道の駅宇陀路大宇陀に駐車。歩2分にある、まちづくりセンターの脇に案内のない登城路あり。

ばしこん様[2013年12月22日]
春日神社からの登城になります。車の場合はこの神社付近に路駐して行く事になります。また、トイレ等は在りませんので、事前に済ませてから登城しましょう。

OHMSS井村様[2012年11月30日]
 石碑の立つ春日神社右手の登り口から、人ひとり分の幅しかない登り口に掛かりますと、そこには丸木の手摺りと階段が有り、初めての訪問者でも取り敢えずは登ってみようとの気にさせます。
 しかし、ものの5分も上りますとその手摺りは無くなり斜面も急となって、あとはもうひたすら鬱蒼とした林の中の登坂行となります。その行く手は蛇行と薄暗がりで殆ど先が読めず、降り重なった濡れ落葉も足元をすくおうとします。
 ですが、麓から約半時間の地点に差し掛かりますと突然目の前が開け、虎口西側の石段に到達する事ができます。ここまで来ますと本丸御殿のあった頂はもう少しの所です。
 されど、風雨にさらされ切り立った斜面はここから更に急となり、息も絶え絶えともなれば、手摺りの代わりに張られた細いロープだけが頼りの登頂となります。
 そうやって私が撮った天守跡のシルエットには、何やら柱のようなものが数本。
 奈良県の文化財保存課に訊ねてみたところ、これは山の所有者がむかし建てた展望台の名残だそうです。

三河守コーキしゃん様[2011年02月07日]
春日神社に登城口があります

整備中の為ブルーシートが被っていますがかなり散策し易くなっています

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