赤埴上城(あかばねかみじょう)
赤埴上城の基本情報
通称・別名
- 赤埴上俵城
所在地
- 奈良県宇陀市榛原赤埴上俵
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 赤埴氏
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 赤埴氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
宇陀松山城(奈良県宇陀市)[7.7km]
柏原城(三重県名張市)[11.4km]
小川城(奈良県吉野郡)[13.0km]
笠間城(奈良県宇陀市)[13.3km]
菅野城(奈良県宇陀郡)[14.1km]
名張城(三重県名張市)[14.4km]
龍王山城(奈良県天理市)[14.7km]
福住城(奈良県天理市)[14.8km]
岩掛城(奈良県天理市)[15.0km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[15.8km]
赤埴上城の口コミ情報
2022年06月26日 課長大和守Ver.B
芳野下城[赤埴上城 周辺城郭]
芳野下城は芳野城の居館部で芳野城の東500m程の山裾に位置します。
登城口から数分で広々とした居館部の削平地に至りますが、更に山上には詰めの郭が設けられ背後に堀切と南側斜面にくっきりした竪堀があります。
また郭の西下側には土塁が見られますが、居館部と芳野城を結ぶ軍道の痕跡が残るとのことなのでこれが軍道の痕跡では?と思いましたが果たして…(^^;
城へは菟田野ほたる公園から更に東に進んだ山際に説明板と登城口がありますが、周辺道路は狭いので駐車場所にご注意ください。
2022年06月26日 課長大和守Ver.B
芳野城[赤埴上城 周辺城郭]
芳野城は宇陀三将の一人である芳野氏の本城として南北朝期頃築かれた城です。
因みに宇陀三将とは伊勢北畠氏麾下の秋山氏、沢氏、芳野氏を言い北畠氏衰退後は織田氏、蒲生氏と変遷していったようです。
城は参宮街道の要衝にあり芳野川の南の切り立った山頂部にあります。
縄張りは約100m程ある細長い主郭を頂点とし、東側に土塁と櫓台を持つ郭と西側に虎口のある小さな複数の段郭があり各郭間は堀切によって遮断されています。
また最近まで主郭や登城路含め未整備状態だったようですが今年整備が終わったとのことで、東側に歩きやすい登城路と東側の城外に城跡碑と展望台が設置されていました。
城までは国道166号新松井橋交差点から県道31号を東へ進んだ先の菟田野ほたる公園南側に説明板と登城口があり、駐車場もあります。
また手前にある桜葉神社にも説明板があり主郭西側に至る道があるようですがこちらは未整備のようです。
整備により格段に訪問し易くなっていましたので季節を選ばず訪れてみてください(^^)
2021年12月10日 百済門徒衆修理大夫とら
登城口[赤埴上城 碑・説明板]
ここに登城口の標識が有ります。道は藪で分かりづらくなっています。
2020年07月30日 イオ左衛門佐
下志明城[赤埴上城 周辺城郭]
詳細は不明ながら、赤埴荘の伊勢本街道を見下ろす立地にあることから、赤埴氏関係の城(見張台または狼煙台?)と思われます。
千体仏への道標近くの少し広くなった道路角に路駐し、千体仏に向かう途中の民家の建物の右手から山中の墓地に続く道を入ると、すぐに主郭が見えてきます。
東西約20mの単郭(東下に小さな腰曲輪あり)の城で、遺構は主郭の切岸、主郭西端の土塁、その西側の二重堀切があるくらいですが、切岸は高く急峻で、二重堀切も明瞭に確認でき、量的には少なくても質的には見応えがあります。この城のためだけに訪れるのは物足りないにせよ、近くの赤埴上城・下城を訪れる際にはついでにぜひ。寄り道の移動時間も含めて30分もあれば堪能できますので。
2020年07月30日 イオ左衛門佐
赤埴下城[赤埴上城 周辺城郭]
詳細は不明ながら、赤埴上城の支城として築かれたと考えられます。
東西に細長い主郭と堀切をはさんだ東の曲輪で構成され、主郭の北下には帯曲輪、西側の尾根は二重堀切で断ち切っています。東の曲輪の西側は堀切、東側は切岸になっており、登城口からは東の曲輪が眼前にそびえ立って見えます。
近くにある仏隆寺前駐車場(無料)に駐めさせてもらい、道路を少し上っていくと道路脇からすぐに登城できます。
小さな城で30分もかからずに見て回れますし、赤埴上城に行く途中にありますので、あわせてどうぞ。
2018年03月20日 百済門徒衆修理大夫とら
赤埴上城
従来は赤埴氏の館城とされてきたが、織豊系の馬出があることから、位置的にも、小牧長久手の戦いのときに造られた可能性が高い。『近畿の城郭Ⅰ』を参照。