赤埴上城(あかばねかみじょう)

赤埴上城の基本情報

通称・別名

赤埴上俵城

所在地

奈良県宇陀市榛原赤埴上俵

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

赤埴氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

赤埴氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、土橋

指定文化財

再建造物

周辺の城

宇陀松山城(奈良県宇陀市)[7.7km]
柏原城(三重県名張市)[11.4km]
小川城(奈良県吉野郡)[13.0km]
笠間城(奈良県宇陀市)[13.3km]
菅野城(奈良県宇陀郡)[14.1km]
名張城(三重県名張市)[14.4km]
龍王山城(奈良県天理市)[14.7km]
福住城(奈良県天理市)[14.7km]
岩掛城(奈良県天理市)[15.0km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[15.8km]

赤埴上城の口コミ情報

2024年11月01日 百済門徒衆修理大夫とら
芳野城[赤埴上城  周辺城郭]



芳野城(ほうのじょう)
2024,10,31登城。菟田野ほたる公園の登城口から展望台まで15分です。杉林で下草が無く綺麗に整備され、案内板も丁寧です。

桜葉神社からの登城口もありますが、先人の口コミ通り未整備で急崖で危険です。主郭までの途中にエグい堀切が有ります。展望台は南に眺望が利き、大峰山脈を見渡せ素晴らしい景色です。ここで一服🍵して下さい😊国道166沿いの松井にローソンが有ります。ほたるが見れるのどかな所です🛖

2024年08月31日 RED副将軍
檜牧城[赤埴上城  周辺城郭]



マイナーながらも堀切と竪堀が入り組む技巧的山城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。室町時代に檜牧氏により築かれたと云われます。
檜牧氏は、秋山氏、芳野氏とともに宇陀三将のひとりに数えられた沢氏の同名衆とされ、1554年には沢氏の名代を務めたとされます。
1560年に松永久秀に攻められて開城し、その支配下に置かれたとされます。
1567年に沢氏が復帰した様ですが、その後の動勢は不明です。

見所
宇陀川支流の内牧川により浸食した谷に張り出した尾根上に築かれています。
頂部にL字型の主郭を置き、その南北は堀切で区画。南西下に二郭、南に堀切を隔てて三郭を配した連郭式山城です。
主郭北側は2条の堀切と塹壕状の土塁で尾根筋に防御線を張り、鞍部斜面を切岸としています。
二郭の西側は堀切から南西に向けて空堀が巡り、北側斜面には5条の畝状竪堀が落ちています。南西先端部は二重堀切や竪堀が複雑に入り組み厳重な縄張りです。
超マイナーですが、遺構の残存度が高い実戦的な山城です。

行き方は、伊勢本街道から内牧川に架かる不動橋を渡り道筋に山の方へ進むと墓地へと続く登り口があります。墓地が三郭先端であり北へ進むと主郭部です。
周辺に駐車スペースは無いのでかなり離れた路肩に駐車しました。

2024年05月06日 RED副将軍
赤埴下城[赤埴上城  周辺城郭]



詳細不明の赤埴氏の支城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

赤埴下城(あかばねしもじょう)と読みます

築城年代等の詳細不詳。赤埴氏の支城とされます。
赤埴氏は三輪神社の神官を務める古代豪族大神氏の一族であり、興福寺大乗院門跡領に含まれた赤埴荘の荘園下司に任じられたのが始まりとされる在地土豪です。
南北朝時代には南朝方に付いたとされ、赤埴上城を居城としていました。
1576年に北畠氏が滅亡すると、赤埴信安は筒井氏に従いましたが、1584年に筒井順慶が死去すると翌年には嫡男の筒井定次が伊賀に転封。代わって宇陀松山城に入った福島孝治に赤埴安忠は従いましたが、その後に帰農したとされます。

見所
赤埴上城から北西に約600mの西へ伸びた尾根先端部に築かれています。
尾根先端に東西に長い主郭を置き、西側は二重堀切で遮断。東側は一条の堀切で区切った先に二郭があります。
主郭の北側に帯郭が付いています。

行き方は、仏隆寺を目標に設定。ロードサイドの入口に駐車場があり、その上の道路脇から簡単に入城できます。
ロードサイド沿いで比高無しのお手軽物件です。
赤埴上城への道中でもあるので併せて訪城してください。

2024年04月24日 RED副将軍
赤埴上城



馬出が特徴的な織豊系に改修されたと云われる赤埴氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

赤埴上城(あかばねかみじょう)と読みます

築城年代等の詳細不詳。赤埴氏の居城とされます。
赤埴氏は三輪神社の神官を務める古代豪族大神氏の一族であり、興福寺大乗院門跡領に含まれた赤埴荘の荘園下司に任じられたのが始まりとされる在地土豪です。南北朝時代には南朝方に付いたとされます。
赤埴上城を居城としていましたが、現在に残る遺構は織豊系であり小牧長久手の戦いの際に改修された陣城とも見られています。
1576年に北畠氏が滅亡すると、赤埴信安は筒井氏に従いましたが、1584年に筒井順慶が死去すると翌年には嫡男の筒井定次が伊賀に転封。代わって宇陀松山城に入った福島孝治に赤埴安忠は従いましたが、その後に帰農したとされます。

見所
三郎岳から西へ伸びた標高601mの尾根上に築かれています。
主郭は単郭方形で周囲を土塁と堀が巡り、南側に平虎口が開口。主郭北側には大石の石列が並びます。
主郭南側には馬出しがL字状の土塁で形成されており最大の特徴と思います。
主郭東側下の谷間は水堀の様にも見える沼地となっています。
西側はかなり高く鋭い切岸が施されていることも特徴的でした。

行き方は、城域西麓に林道が通り登城口には案内板が立っています。登城口に車1台くらいの駐車スペースはあります。
比高は60mくらいで登城路が付いていますが、かなり急峻で滑りやすい土質です。10分かからずにたどり着きました。

2024年03月30日 RED副将軍
下志明城[赤埴上城  周辺城郭]



二重堀切と切岸が美しい小規模城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

下志明城(げしもじょう)と読みます。

築城年代、築城主等の詳細不詳。伝承もなく城史は不明です。
赤埴荘を統治した赤埴氏関連の城郭と考えられています。

見所
伊勢本街道を南に見下ろす標高420mの山上に築かれています。
主郭は全長10m程度の小規模なものですが、背後に土塁を備え、更に二重堀切で尾根を遮断。切岸の鋭さも見事です。

行き方は、城域東側に道路が通っており、カーブに道路幅があるため駐車可能です。
民家裏が城域であり、脇から抜けると直ぐです。

非常にコンパクトな城郭ですが、車で直ぐ近くまで行ける上に比高もないためオススメです。

2022年06月26日 課長大和守Ver.B
芳野下城[赤埴上城  周辺城郭]



芳野下城は芳野城の居館部で芳野城の東500m程の山裾に位置します。

登城口から数分で広々とした居館部の削平地に至りますが、更に山上には詰めの郭が設けられ背後に堀切と南側斜面にくっきりした竪堀があります。
また郭の西下側には土塁が見られますが、居館部と芳野城を結ぶ軍道の痕跡が残るとのことなのでこれが軍道の痕跡では?と思いましたが果たして…(^^;

城へは菟田野ほたる公園から更に東に進んだ山際に説明板と登城口がありますが、周辺道路は狭いので駐車場所にご注意ください。

2022年06月26日 課長大和守Ver.B
芳野城[赤埴上城  周辺城郭]



芳野城は宇陀三将の一人である芳野氏の本城として南北朝期頃築かれた城です。
因みに宇陀三将とは伊勢北畠氏麾下の秋山氏、沢氏、芳野氏を言い北畠氏衰退後は織田氏、蒲生氏と変遷していったようです。

城は参宮街道の要衝にあり芳野川の南の切り立った山頂部にあります。
縄張りは約100m程ある細長い主郭を頂点とし、東側に土塁と櫓台を持つ郭と西側に虎口のある小さな複数の段郭があり各郭間は堀切によって遮断されています。
また最近まで主郭や登城路含め未整備状態だったようですが今年整備が終わったとのことで、東側に歩きやすい登城路と東側の城外に城跡碑と展望台が設置されていました。

城までは国道166号新松井橋交差点から県道31号を東へ進んだ先の菟田野ほたる公園南側に説明板と登城口があり、駐車場もあります。
また手前にある桜葉神社にも説明板があり主郭西側に至る道があるようですがこちらは未整備のようです。
整備により格段に訪問し易くなっていましたので季節を選ばず訪れてみてください(^^)

2021年12月10日 百済門徒衆修理大夫とら
登城口[赤埴上城  碑・説明板]

ここに登城口の標識が有ります。道は藪で分かりづらくなっています。

2020年07月30日 イオ左衛門佐
下志明城[赤埴上城  周辺城郭]



詳細は不明ながら、赤埴荘の伊勢本街道を見下ろす立地にあることから、赤埴氏関係の城(見張台または狼煙台?)と思われます。

千体仏への道標近くの少し広くなった道路角に路駐し、千体仏に向かう途中の民家の建物の右手から山中の墓地に続く道を入ると、すぐに主郭が見えてきます。

東西約20mの単郭(東下に小さな腰曲輪あり)の城で、遺構は主郭の切岸、主郭西端の土塁、その西側の二重堀切があるくらいですが、切岸は高く急峻で、二重堀切も明瞭に確認でき、量的には少なくても質的には見応えがあります。この城のためだけに訪れるのは物足りないにせよ、近くの赤埴上城・下城を訪れる際にはついでにぜひ。寄り道の移動時間も含めて30分もあれば堪能できますので。


2020年07月30日 イオ左衛門佐
赤埴下城[赤埴上城  周辺城郭]



詳細は不明ながら、赤埴上城の支城として築かれたと考えられます。

東西に細長い主郭と堀切をはさんだ東の曲輪で構成され、主郭の北下には帯曲輪、西側の尾根は二重堀切で断ち切っています。東の曲輪の西側は堀切、東側は切岸になっており、登城口からは東の曲輪が眼前にそびえ立って見えます。

近くにある仏隆寺前駐車場(無料)に駐めさせてもらい、道路を少し上っていくと道路脇からすぐに登城できます。
小さな城で30分もかからずに見て回れますし、赤埴上城に行く途中にありますので、あわせてどうぞ。


2018年03月20日 百済門徒衆修理大夫とら
赤埴上城

従来は赤埴氏の館城とされてきたが、織豊系の馬出があることから、位置的にも、小牧長久手の戦いのときに造られた可能性が高い。『近畿の城郭Ⅰ』を参照。

赤埴上城の周辺スポット情報

 虎口(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 登城口(碑・説明板)

 芳野城 登城口(碑・説明板)

 芳野下城(ほうのしもんじょ)(碑・説明板)

 金刀比羅宮(碑・説明板)

 赤埴下城(周辺城郭)

 下志明城(周辺城郭)

 芳野城(周辺城郭)

 芳野下城(周辺城郭)

 檜牧城(周辺城郭)

 墓地(寺社・史跡)

 仏隆寺(寺社・史跡)

 室生寺(寺社・史跡)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore