笠間城(かさまじょう)

笠間城の基本情報

通称・別名

下笠間城

所在地

奈良県宇陀市室生下笠間字城山

旧国名

大和国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

下笠間氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

下笠間氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

畑城(奈良県山辺郡)[5.9km]
名張城(三重県名張市)[6.0km]
柏原城(三重県名張市)[6.4km]
岩掛城(奈良県天理市)[8.4km]
水間城(奈良県奈良市)[9.0km]
福住城(奈良県天理市)[10.6km]
桜町中将城(三重県名張市)[11.0km]
石打城(奈良県奈良市)[11.1km]
千賀地氏城(三重県伊賀市)[11.4km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[12.4km]

笠間城の解説文

下笠間氏の居城とされる。

城跡は山林となっているが、堀切や土塁などの遺構がよく残っている。

笠間城の口コミ情報

2024年05月17日 RED副将軍
笠間城



小規模ながら技巧的な下笠間氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

茨城県ではなく奈良県の笠間城です。

築城年代は不詳。在地土豪である下笠間氏の居城と云われます。
下笠間氏は東山内の国人衆であり、応仁の乱では古市氏に従っていましたが、その後に台頭した筒井氏に属したとされます。
1581年、織田信長との天正伊賀の乱において下笠間氏は滅亡し、笠間城も廃城となった様です。

見所
下笠間集落の北側背後の丘陵上に築かれています。
東から西の尾根筋に東郭、主郭、西郭、西出郭と連なります。特徴的な縄張りであり、主郭と西郭は北側を土塁でつなぎ馬蹄型となっており、その南下は鋭い切岸で囲まれた連結郭となっており、更にその下にも切岸と広い削平地が広がります。
また、主郭と西郭は、西側から北に回り込み東側にかけて横堀が巡ります。
東郭と主郭は大規模な二重堀切、西郭と西出郭は大堀切で遮断されています。

行き方は、城域南側の下笠間集落の廃屋脇から登ることができ、比高は約40mです。
駐車場は無いので下笠間なごみ会館の駐車場を利用させていただきました。

2024年03月16日 RED副将軍
上笠間城[笠間城  周辺城郭]



大堀切と鋭い切岸が特徴的な上笠間氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城時期は不詳。応永年間(1394年~1428年)頃に築かれた上笠間氏の居城と云われます。
在地土豪である上笠間氏は筒井氏に属していた様で、北方の笠間城を居城とした下笠間氏は同族であったとされます。
永禄年間後期から元亀年間(1558年~1572年)には没落した様です。

見所
古城と呼ばれる低丘陵先端部に築かれています。
下段の耕作地が副郭で鋭い切岸上が主郭とされます。東側背後は大堀切で遮断されており、更に四段の郭が連なる様ですが獣害柵に阻まれ行くことができませんでした。
主郭周辺は参道の敷設と耕作地化により改変を受けていそうですが大堀切と切岸は健在です。
笠間城との併せての訪城をオススメします。

行き方は、旧笠間小学校の音楽の森ふれあい館を目標に設定。駐車場をお借りし、東の城域へ向かいます。主郭には金毘羅権現が祀られており参道が整備されています。比高は約30mで気軽に登ることが出来ます。

2024年02月19日 _ClaD雅楽頭リアの季節
毛原城[笠間城  周辺城郭]

城主については気原長門守という説と山中胤順という説があり定かではありません。
いずれにしても国人領主の小さな城…と思いきや、ちょっとびっくりするような遺構が待ち構えています。
北東に突き出た尾根の先端を主郭として二重の堀切で断ち切るまでは普通ですが、その堀切を縦に1本の堀が貫いていて、「干」または「土」みたいな形になっているのです。これはかなり珍しく、しかもいずれの堀もしっかり掘られていて見ごたえ十分。
尾根の先端からは道が降りていますが、折れ虎口を重ねていてなかなかの堅固さ。小さいながらも一見の価値ある城です。
整備の手が入っていて冬場の見学に支障はないのですが、案内などは一切なく、登り口がわかりにくいのが難点。Googleマップに登録してあるので、県道244号で「毛原城址」と「毛原街道・六地蔵」というスポットの中間あたりから南へ登れる道を探してください。笹薮の中にある踏み跡をたどると感動の空堀交差点に出あえます。

2023年02月21日 RED副将軍
三ヶ谷城[笠間城  周辺城郭]



コンパクトながらも深い横堀と厚い土塁が残る単郭方形の城跡🏯 

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。三ケ谷氏によって築かれたその居城と云われます。三ケ谷氏は、小倉氏の一族と思われ、大乗院方の国人として城主の三ケ谷肥後の名が残ります。戦国期には筒井氏に属し、越智氏に侵攻しましたが逆に討ち取られて没落した様です。

見所
丘陵地の先端に築かれた単郭方形のコンパクトな城跡ですが、背後の大土塁と深い横堀が尾根を遮断しており見応えがあります。土塁上には物見櫓が復元されています。

行き方は、まず国道25号線沿いの豊原郵便局を目標に設定。この辺りの邪魔にならないところに駐車しておくのが無難かと思います。Googleマップに登録もあり、歩いて北へ坂を登り集落入って行きました。路地の奥に看板が出ており、民家の脇に登城口があります。比高は20mほどなので直ぐに辿り着きます。

2022年07月03日 課長大和守Ver.B
笠間城



笠間城は室生下笠間地区北側から南東方向に張り出す丘陵上に築かれた城で、土豪下笠間氏が天正伊賀の乱頃まで居城していたとされています。
因みに地区の南方には上笠間城があり上笠間氏により統治されていたようですが、この二者は同族だったようでこのことから徹底した北方防御の構造だったようです。

縄張りは馬蹄型で東西両端部に主郭副郭と見られる櫓台があり二つを土塁で繋いでいます。
その南側下部は相当な高さの切岸を経て兵を駐屯させていたと思われる広い削平地があり、麓へ向かって段郭が続きます。
西側から北、更に東側にかけては幅広い横堀を設け更に東側丘陵先端部に向かって数本堀切が切られていました。
また南側斜面には古い五輪塔もあり下笠間氏に関連するものなのかもしれません。

城へのルートですが県道782号から下笠間地区北側の比較的広い道を西に入り、防火用具庫のある交差点から狭い路地を山側へ向かった先の廃屋脇に獣除け柵の出入り口がありそこから城域東側に登ることが出来ます。
また駐車場所ですが地区内は概ね狭いので県道782号を更に北へ進んだ先に路肩が広い箇所があるのでそちらから向かうのが良いかと思います。

登城路は分かりにくいですが丘陵上にはメリハリの効いた素敵な土の遺構が見られますので周辺城郭と併せて皆さまも是非(^^)

2022年04月09日 課長大和守Ver.B
深野城[笠間城  周辺城郭]



深野城は笠間城の南西で伊賀と大和の国境に程近い室生深野地区にあります。
城は応永年間北畠晴具の配下山本外記により築かれ、元亀年間織田軍の大和侵攻の際落城したとのことでそのことを伝える説明板が主郭と登城口にありますがポロポロに朽ち果て見る影もありません…(^^;

縄張りは山頂部の二段に削平された主郭の東西に堀切を設け更に南北に腰郭が見られますが主郭内部は藪化していました。
また西側堀切からは南側に横堀が繋がっており堀の淵には土塁も見られます。
因みに西側堀切を隔てた先に割と広さのある谷状の緩斜面があるのですが、こちらは天正伊賀の乱で筒井方として参陣していた福住勢がこの城を陣城として使用していた際の兵営跡と推定されているらしく、天正伊賀の乱での包囲網の広さを実感します(^^)

城へは県道242号線から市道を室生深野方面へ進み地区北側の山手へ進んだ所で、登城口には新調された城への道標があります。
ただクルマの場合駐車スペースは限られており付近への路駐となりますのでご注意下さい。

2022年03月07日 課長大和守Ver.B
上笠間城[笠間城  周辺城郭]



上笠間城は笠間城の南東上笠間地区に張り出す丘陵端部にある城で、応永年間に上笠間氏により築かれたと見られています。

城は2つの郭で構成され、広い副郭とそこから聳え立つ祠の建つ主郭があり更にその背後を深い堀切で遮断しています。
因みに堀切奥にも数段の郭と見られる地形があるようですが堀切中央部を獣害対策の柵が横切っており確認出来ておりません(^^;

城跡へは音楽の森ふれあい館という小学校跡より山側へコンクリ舗装の道を登り獣害柵から右手へ踏み跡を進んだ先となり、クルマも前述の施設に駐車出来ます。

小規模な城ですが巨大な切岸と堀切は一見の価値有りですので笠間城攻略の際には是非(^^)

2021年07月10日 課長大和守Ver.B
助命城[笠間城  周辺城郭]



助命と書いて「ぜみょう(またはぜんみょう)」と読む難読城です。
城は室町中期頃興福寺大乗院方の国人助命氏により築かれた単郭の城で、名阪国道神野口インターより北西にある助命地区の交差点そばにある農道脇に説明板が建っています。

遺構は主郭東側の堀切、南側の土塁及びその下に見られる切岸といった所ですが主郭内部は何かの栽培地らしく立入禁止となっている他土塁も藪化しており分かりにくい感じとなっていました(^^;

城跡までは農道を南に進み更に道無き荒地を進んだ先なのですが、訪問時登城路がよく分からなかったので地元の方に尋ねてみたところ即答してくれたことが「地元に溶け込んでるなぁ」と印象深かったのを思い出します(^^)

2021年06月05日 課長大和守Ver.B
三ヶ谷城[笠間城  周辺城郭]



三ヶ谷城は大乗院方の国人三ヶ谷氏の居城で室町末期には越智氏との争いに敗れ没落したようです。

城は名阪国道神野口インターより北東の三ヶ谷集落の北側丘陵にあり、城内には大和の城には珍しく築城アイテムの櫓チックな模擬櫓が建っています。
縄張りは単郭で北側に2~3m程度の深さを持つ横堀と櫓の建つ幅広い土塁が残り主郭内部は広々とした平地が広がっています。
城内には城跡碑や供養碑などもあり10年程前には樹木も刈られ明るい感じでしたが、現在は櫓を越える勢いで樹木も成長して薄暗く櫓も城外からは全く見えません(^^;

城までのアクセスは国道25号旧道沿いの豊原郵便局脇の道を進んだ奥に城跡の説明板があり矢印の方角に路地を上がった所になりますが、クルマの場合説明板に至る周辺道路が狭く駐車スペースも無いので少し離れた八柱神社から徒歩で向かうのが良いかと思います。

こじんまりとした城跡ですがアクセスし易くハッキリした遺構や模擬櫓など見所も色々ありますのでお気軽に訪れてみてください(^^)

2015年04月29日 邦順大和守大八郎宗久
笠間城

4月某日午後、登頂。

ミスで結果は思わしくないが報告を。

行程は三本松駅~集落2時間、誤って進入した裏山の散策1時間、城跡散策20分、集落~三本松駅1時間40分。全て徒歩。

県道は集落内は狭いが南の外れは広く、路上駐車しても迷惑は避けられる筈。

集落北端付近に司法書士事務所の看板があるT字路を集落内に曲がり、次のT字を左折、道なりに進み右折(直進?)、春覚寺の石標を過ぎるとゴミ集積所のあるT字があり、右折し集落で最も高台の家の付近まで進み、砂防壁に通じる道を通る。

砂防壁と山の間を進むと太陽電池があり、潜った先の左手が藪が薄く進入しやすい。

そこは日本城郭大系や古城測量図集下巻の縄張り図には無記載の削平地のような箇所で、見上げると堀切、西側に進むと段状の南郭がある。

主郭に通じる箇所の少々の藪、夕暮れ時、移動手段の問題もあり主郭や北側の土塁などを諦めて撤退したが、確かに山林化しても城跡はしっかり残っており冒険心をくすぐられる。

なおゴミ集積所のT字を真っ直ぐ行った先の裏山は、城に関する物は皆無だった…

笠間城の周辺スポット情報

 三ヶ谷城 説明板(碑・説明板)

 助命城 説明板(碑・説明板)

 三ヶ谷城(周辺城郭)

 助命城(周辺城郭)

 上笠間城(周辺城郭)

 深野城(周辺城郭)

 毛原城(周辺城郭)

 登山口(その他)

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