桜町中将城(さくらまちちゅうじょうじょう)

桜町中将城の基本情報

通称・別名

桜町館

所在地

三重県名張市下小波田字内山

旧国名

伊賀国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

北畠(織田)信雄

築城年

天正9年(1581)

主な改修者

主な城主

織田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

丸山城(三重県伊賀市)[5.7km]
名張城(三重県名張市)[5.8km]
下山甲斐守城(三重県名張市)[6.9km]
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百地丹波城(三重県伊賀市)[11.7km]
伊賀上野城(三重県伊賀市)[13.1km]

桜町中将城の口コミ情報

2023年10月24日 RED副将軍
桜町中将城



天正伊賀の乱の際に織田信雄が築いた城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

1581年に北畠信雄(織田信雄)により築城。
1581年の第二次天正伊賀乱において、柏原城に籠もった伊賀衆に対して築いた陣城です。
織田信雄の京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将と呼ばれていたことにより桜町中将城と称されました。
織田信長勢は、織田信雄を総大将に5万とも10万とも云われる大軍で伊賀に侵攻。伊賀衆は1万程度であったと云われ、総攻撃を前に全ての城兵は柏原城に籠城していました。しかし内応者が出た事もあり5日後に開城し和睦。残党は捕縛され殺害されましたが、多くの土豪は他国へ落ち延びました。

見所
織田勢の陣城ながら伊賀地域典型の単郭方形で周囲を土塁・空堀が巡る縄張りです。
1枚目は主郭の北側土塁上より。虎口は南に開口し、南を除く三方を空堀が巡り、北はさらに土塁と空堀が付いています。
小規模ながら土塁の高さ、空堀の深さは見事な残存度合いでした。

2022年08月02日 左近衛中将かめかめ
滝川氏城[桜町中将城  周辺城郭]



車で主郭北西の駐車場まで行くことができます。駐車場下に縄張り図もあるので、参考にして下さい。

遺構は主郭の土塁と郭を囲う堀など、かなり広い城郭です。

写真1:城郭南西の登城路。馬出を経由して主郭へ
写真2:主郭北西の土塁と切り岸
写真3:主郭の土塁。高い!
写真4:主郭南東の堀。素晴らしい。
写真5:主郭南の虎口っぽいところ
写真6:主郭南西付近の切り岸

南にある桜町中将城と合わせて是非。

2021年07月25日 なりぶ
桜町中将城



【滝川氏城】 滝川雄利築城の陣城 単郭式城郭で県下最大規模70m四方 主郭はグラウンドになってます。 桜町中将城はすぐ近くなのでセットで楽しめます。

1 登城口
2 グラウンド駐車場かな 土塁
3 グラウンド入口 虎口
4 グラウンド 主郭
5 北側空堀
6 西側土塁上
7 西側空堀

2021年04月02日 権中納言みきを
桜町中将城

天正伊賀の乱の際に織田信雄が築いた城とのことで、この地域典型の単郭で周りを土塁・空堀で囲った作りをしています。
先人の方も書いておられますが、遺構がはっきりと残っておりますので、見応えのある城跡です。
車で行ったのですが案内標識の場所が分かりにくかったので、リア攻めマップに案内標識の場所を載せておきました。

2014年01月27日 三河守コーキしゃん
桜町中将城

ピンの位置より北側の路地に案内標識があり、案内通りに進むと城域南側に回り込むのでそこから登ります。

専用の駐車スペースはないので、適当な余白に停めさせてもらいました。

伊賀地方でよく見る単郭式で、郭を高い土塁が囲み、その周りを深い空堀が巡ってます。

規模は小さいですが、保存状態が良くとても遺構がはっきり見えます。

隣接して滝川氏城跡があります。



桜町中将城の周辺スポット情報

 滝川氏城(周辺城郭)

 岡嶋氏城(周辺城郭)

 案内板(その他)

 案内板(その他)

 登城口(その他)

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