畑城(はたじょう)
畑城の基本情報
通称・別名
- 春日城
所在地
- 奈良県山辺郡山添村大字春日字城山
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 奥田忠高
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 奥田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
石打城(奈良県奈良市)[5.3km]
笠間城(奈良県宇陀市)[5.9km]
千賀地氏城(三重県伊賀市)[6.1km]
名張城(三重県名張市)[7.2km]
桜町中将城(三重県名張市)[9.0km]
水間城(奈良県奈良市)[9.5km]
柏原城(三重県名張市)[9.7km]
柳生陣屋(奈良県奈良市)[10.5km]
丸山城(三重県伊賀市)[10.8km]
岩掛城(奈良県天理市)[11.8km]
畑城の口コミ情報
2024年02月28日 _ClaD雅楽頭夏でも山城
中之庄城[畑城 周辺城郭]
歴史・城主ともに不明ですが、周囲には「馬場」「的場」といった地名が残っています。南側に工場が建設された際に山が削られましたが、遺構は大きな損傷を受けなかったようです。方形単郭の城で、隣接する伊賀の城の影響が濃いですが、少し離れた西側にも削平地があります。
主郭の周囲は高さ3メートル前後、上幅5メートル前後の重厚な土塁。南西には張り出しと武者隠しのような窪みがあって幅も10メートルになっています。土塁の北と西には浅い堀、東に平虎口が開口します。
さらに北側にはL字型の堀があって部分的に二重堀のようになっていますが、このL字堀が遺構かどうかは見解が分かれているようです。
行き方は県道80号線から「東邦紙工株式会社」の東側の未舗装道に入り(添付写真①)、100メートルと少し北上したところで左側の溝に沿って南西の山に分け入る(添付写真②)と、すぐに土塁が見えてきます。
2023年07月12日 RED副将軍
畑城
三つの郭群から構成される奥田氏代々の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
天文年間(1532年~1555年)に奥田忠高により築城。奥田氏は、斯波氏の一族であり尾張国中島郡奥田荘を領したのが始まりです。奥田忠高は、当初は松永弾正久秀に仕えていましたが、織田信長により松永氏が滅亡すると織田信長に仕え、その後も豊臣秀吉、徳川家康の天下人に召し出されました。本領を安堵され旗本として代々この地を領し、そのまま明治に至ったという珍しい氏族です。
見所
東西に伸びる尾根上に三つの郭群で構成されています。東の郭群が主郭部であり主郭北側には石垣が残っており見所です。主郭から北側に伸びる尾根にも郭が連なり端部は堀切で遮断されています。更に西へと尾根を進むと南を除く三方を空堀で遮断した単郭に辿り着きます。深さのある堀で主郭部より見応えがあります。更に西へと進むと西郭郡に到達します。東側を堀切で遮断し高く鋭い切岸が見事であり、周囲に腰郭が配されています。
行き方は、北側麓の春日神社を目標に設定。ここに駐車をさせてもらい林道を進むと登城口があります。比高は80mくらいなので直ぐに辿り着くことができます。
2023年05月04日 RED副将軍
菅生城[畑城 周辺城郭]
松永久秀関連の超マイナー城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細は不詳。在地土豪である菅生氏の居城と伝わります。
菅生氏は、畑城の奥田氏に従っていました。奥田氏は松永久秀の家臣であったため松永氏の属城でもありました。
見所
西郭と東郭で構成され、郭の間の尾根上に土塁が走り連結しています。
西郭は北東下に放射状に竪堀があるのですが薄めです。
東郭は東西に二重の堀切があり複雑な縄張りですが大半がヤブにより分かりませんでした。
行き方は、菅生集落の裏山にありますが集落内の道は狭いうえに急坂なので、国道25線から集落入口付近の広い路肩に駐車した方が無難です。城域西側の林道から尾根伝いに登城できます。
2023年02月27日 tracer_azu
三ヶ谷城[畑城 周辺城郭]
お手軽にいける平城です。なぜか櫓台がありますが、整備はあまりされておらず空堀ないはシダやぶでしたが、それでもわかるサイズ感でした。
2023年02月27日 tracer_azu
菅生城[畑城 周辺城郭]
縄張り図を見て期待して行ったのですが遺構としてはやや薄めの印象、、畝は薄めでしたが現地ではわかりました。 主郭切岸の高低差ととても綺麗な切岸だったのが印象的でした。
2022年12月11日 tracer_azu
畑城
このあたりでは中々の城域で、主郭?の周りは石を積んであり、崩れているような箇所を見る限りぐるっと半周ほどは囲んで積んでいたように思われます。 主郭北側の段曲輪は削平もきれいで切岸もきれいでした。主郭より西のニ曲輪の堀切、三曲輪の堀切ともに見応えあり真田!
2022年08月27日 じぞういぬ河内守
畑城
私はデリカD:5を四駆モードにして慎重に進み無事に通り抜けられました。林道に慣れてる方なら楽勝でしょうが、一歩間違うと崖から転落するような箇所もありますのであくまでも自己責任で。
2021年04月30日 課長大和守Ver.B
乙若城跡 城跡碑[畑城 碑・説明板]
乙若城主郭内にも城跡碑がありますが、よりシンプルな城跡碑がこちらに建っています。
初見ではまず分からないような場所ですのでスボット設定しました(^^)
2021年04月30日 課長大和守Ver.B
乙若城[畑城 周辺城郭]
乙若城は南北朝期に北畠親房に命じられた藤原義政によって築かれた城で、驚くことに霧山城の詰城とされていたようです。
縄張りは削平された主郭と腰郭で構成された極単純な縄張りで土塁や堀等は無かったようですが、主郭周辺と尾根続きの自然地形間にはうっすらと窪みのようなモノも見られたので実は堀切なんかがあったんでは?とか思ったり…(笑)
城跡は城山公園として整備されていますが、主郭内に水道施設が建ってたりするので後世の改変もあるのかもしれません(^^;
アクセスは名張川に架かる月ヶ瀬橋から県道を南に進んだ嵩集落の北東側茶畑の中に城跡がありますが、集落から城跡までは挟路なので幅広車は要注意です。
遺構的には見るモノもあまり無い感じですが、意外にも道路地図やナビには出てきたりして有名なんだか無名なんだかよく分からない城です(笑)
有名な梅林見物などの際に一緒に廻られると良いと思います☆
2018年03月12日 OROKA参議
畑城
【案内】
名阪道の山添インターから山添村役場を目指し、役場前の交差点を曲がり山辺高校山添分校方向へ国道25号を進みます。分校前を通りすぎ400mほど行くと左折する道がありそこを行けば畑城…のはずが「車両通り抜け禁止」の車止め。仕方なく付近に路駐し600mほど歩くと小さな浄水場のようなものがあり、奥を左折します。
左折して100m行くと右手に石仏と登る道がありますがこれはフェイク。10m先の左手に畑城の小さな看板があります。
看板から山に入りますが、左に進む道と上に登る道があります。左がしっかりした道ですがまたしてもフェイク、上へ登ってください、10分かからず城に着きます。
【説明】
郭がいくつかありますが、イマイチ全体像は不明。主郭と思われる場所には一部石垣が残っています。印象としては土塁や堀切が少なく、技術が高いのか低いのか不思議な城でした。