石打城(いしうちじょう)
石打城の基本情報
通称・別名
- 稲垣氏城、西広城
所在地
- 奈良県奈良市月ヶ瀬石打字西広
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 稲垣氏
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 稲垣氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(石打城跡)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
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石打城の口コミ情報
2024年11月13日 おうみのやま
石打城
リア攻めマップの地形図を使用するとわかりやすく登城出来ます。人家のある斜面からは登山道はありません。太陽光パネルの駐車場から金毘羅神社の参拝路が始まります。途中右手杉林に城趾への道標があります。
2024年10月21日 百済門徒衆修理大夫とら
島ヶ原旧本陣[石打城 寺社・史跡]
島ヶ原旧本陣。ここは大和街道沿いにあり、木津川の渡し場であった。大和郡山城主柳沢家の参勤交代の折の定宿となっていた。M7の安政伊賀地震(1854)の折、第6代最後の藩主柳沢保申(やすのぶ)が宿泊中だったが、無事避難した。嘉永7年6月15日午前2時頃、伊賀北部を発生源とする直下型の地震で、広範囲に被害をもたらし、死者約1000人、伊賀上野城の東西大手門の石垣が崩れる被害を出した。現在、旧本陣は個人宅になっているが、御茶屋といわれる上段の間のある座敷があり、周辺は街道宿場町の面影を良く残している。
2023年02月27日 tracer_azu
石打城
奈良県内ですが、伊賀領だったようでお城のつくりも伊賀っぽい高土塁囲みのお城で空堀が巡るお城でした。主郭背後の高土塁からの堀切は中々見応えでした。整備もよくされていたので見やすかったです。
2022年08月28日 じぞういぬ河内守
石打城
リア攻め狙って四駆で坂道をモリモリ上がっていったら私道だったらしく知らない間にヨソ様の敷地内に突入していました。皆さま石打城址に車で行かれる際はお気を付けください。
2022年07月06日 RED副将軍
石打城
奈良県ですが、伊賀との国境近くに位置し、伊賀の築城形式の山城です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
室町時代後期に、在地土豪の稲垣氏によって築かれたと云われています。
文献に登場も無く、大規模な発掘調査も行われていないため詳細不詳の城郭です。
見所
主郭の南側尾根筋に二の郭、三の郭が連なり、主郭西側は大堀切で区切られた先に西の郭を配し、三の郭から東に回り込むと東の郭が配されています。
大和国東端で伊賀国との境界近くに位置し、主郭は伊賀国の築城形式の影響を強く受けた土塁囲みの縄張りです。
2019年04月29日 大隅守上
登り口[石打城 碑・説明板]
登り口に説明板があります。
2019年04月29日 大隅守上
駐車場[石打城 駐車場]
ここに停めて歩きます。
2018年03月12日 【G6】OROKA参議
石打城
【道案内】
名阪道から県道82号を経由して「石打いこいの家」(旧・石打保育園、今はコミュニティセンター?)を目指します。石打城はいこいの家の駐車場裏手の畑を越えたところにあります。
(駐車場はここをお借りしました。私有他の畑を横切るか迂回するかは各自判断を)
【説明】
道に案内板があり、三の郭あたりから入れます。三の郭は土塁で三方を囲まれてとてもキレイです。また、二の郭に上がる時に内桝形のような見事な虎口があり、本丸は高い土塁が囲んでいて見ごたえあります。また、本丸周辺には土塁の外が帯郭のようになっていて、横堀のようなものもあります。
西の郭との間には土橋つきの堀切が二本、これもとても良いです。
さらに、いこいの家付近には東の郭もあり、独立した出丸のようになっています。
なかなか技巧的で見応えのある良い城です!
2016年05月29日 北川幸人
石打城
駐車場はなさそうです。
石碑、説明板の所まで道が舗装されていますが、Uターンできないので、手前の太陽光パネルのそばの空き地に駐車したらいいと思います。
2011年12月30日 ステイゴールド弾正少弼久秀
石打城
遺跡は良く残っていますし、説明板などの整備がされています。伊賀地方の城館の造りです。