丸山城(まるやまじょう)

丸山城の基本情報

通称・別名

所在地

三重県伊賀市枅川

旧国名

伊賀国

分類・構造

連郭式山城、丘城

天守構造

複合式?[3重?/1578年頃築/破却]

築城主

北畠具教

築城年

天正4年(1576)

主な改修者

滝川雄利

主な城主

滝川氏

廃城年

天正12年(1584)

遺構

曲輪、天守台、櫓台、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

千賀地氏城(三重県伊賀市)[5.6km]
桜町中将城(三重県名張市)[5.7km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[6.4km]
伊賀上野城(三重県伊賀市)[8.3km]
石打城(奈良県奈良市)[9.6km]

丸山城の解説文

丸山城(まるやまじょう)は、三重県伊賀市枅川(ひじきがわ)[1]周辺にあった日本の城。

概要
丸山城は伊賀盆地の中央に位置し、標高180-210mの独立した丘陵に築かれた。城名については、城山が丸い形をしていたことから名づけられている。周辺の水田との比高は20-60mで、丸山の最高所213mに天守台を設け、丘陵全体に大小の曲輪を配置し、当地域では最大規模になる。伊賀国の中世城郭は単郭方形構造の中心に居館を持つのを基本形式にしているが、本城は軍事施設としての大規模な城郭で、比自岐川、木津川が堀として機能を果たし、天然の要害でもあった。また比自岐川の対岸には、滝川三郎兵衛城、嵯峨尾主馬城と呼ばれる小規模城郭が認められる。

沿革
伊賀国で国司の北畠具教が隠居城として1575年(天正3年)に築城を決め、同地域の土豪を説得、翌1576年(天正4年)正月より人夫衆を動員し作事を行ったが、織田信長と不和になり三瀬館に引き上げた。

北畠氏の養子となっていた織田信長の次男・北畠信意(織田信雄)は、伊勢国を掌握すると伊賀国の領国化を狙っていたが、1578年(天正6年)2月、伊賀国の郷士下山甲斐が北畠信雄を訪れ、伊賀国への手引きを申し出た。北畠信雄は同年3月家臣滝川雄利に丸山城の修築を命じた。

これを知った伊賀国郷士衆は驚き、丸山城の西にある天童山に密偵を送り、築城の様子をうかがった。この時の様子が、

“丸山城指図 山城也、此山根置周取廻六百九十六間、山下地形よ里山までの高サ三十間有南方を正面とす 麓より二の丸へ越登道九折にして六十九間 山下整地広さ南北四十四間 東西二十五間 右整地之内に三層の殿主あり天守台六間四方台の高さ三間四方石垣なり”(伊賀旧考)

とあり、3層の天守や天守台は石垣で固められ、また二の丸への登城道は9回折れているなど、規模壮大な城であったと記されている。

これに驚いた伊賀郷士11名が集まり、「完成までに攻撃すべし」と集議一決した。丸山城周辺の神戸、上林、比土、才良、郡村、沖、市部、猪田、依那具、四十九、比自岐衆が集結し、同年10月25日に総攻撃を開始した。不意を突かれた滝川雄利軍や人夫衆は混乱し、昼過ぎには残存兵力を糾合し伊勢国に敗走した。

翌天正7年(1579年)9月16日、北畠信意は8000兵を率いて伊賀国に3方から侵攻したが、伊賀郷士衆は各地で抗戦し北畠信雄軍を伊勢国に敗走させた。第一次天正伊賀の乱と呼ばれている。

敗戦の報を知った織田信長は激怒した。天正9年(1581年)9月3日、再び北畠信意を総大将に5万兵で伊賀国に侵攻、同月6日より戦闘が開始され、各地で進撃し同月11日にはほぼ伊賀国を制圧した。同年10月9日には織田信長自身が伊賀国に視察に訪れている。第二次天正伊賀の乱と呼ばれている。織田信長は阿拝郡、伊賀郡、名張郡を滝川雄利に、山田郡を織田信兼にそれぞれ与えた。...

丸山城の口コミ情報

シバヤン伊賀守肝胆相照様[2018年05月27日]
丸山消防署の南側に空き地に駐車し踏切を渡り集会所の前に丸山城祉の案内板を見つけて左手へ進みます。山に入ると伊賀随一と言われるだけのことはある。最初こそ真っ直ぐでしたがやはりの蛇山道。祠のある曲輪から更に北へ進むと本丸です。見所の一つの天守台は10メートル方形。高さ3メートル位。曲輪等の配置は空から見てアルファベットの(T)を右に90度倒した感じ。次の見所は東側のうねる二重堀と土累。北側の曲輪群。途中にある鳥居ですが、城趾横の削平地の戦没者供養塔建立の際に両軍弔う為に建設との事です。5メートルはある堀と土累は最大の見所です。次に本丸から西へ進みます。平坦ですが両側は急坂、途中は堀切で遮断されています。西の丸には給水施設がありますが多分、山火事とかの為の防火用水と思われます。単方形の多い伊賀にあってこの城は異形異質です、この城建設は伊賀国人に喧嘩売ってるみたいなもの•••多分そうだったんでしょう。父親にいいとこ見せようとした信雄。しかし気は優しいが剛直な伊賀人達が黙って見逃す筈もなく国中を挙げての反抗に大火傷する織田信雄軍でした。
信雄「楽勝やと思ったのに~畜生!」

カーネル様[2016年07月10日]
伊賀鉄道丸山駅を背に左へ南下

最初の路地で左折して踏み切りを渡り、1つ目の路地で右折して再び南下します
小川を越えて農道を歩くと左に山が近くなってきて、細長いコンクリートが3本渡された橋があり、渡ると↑丸山城址0.4kmとあります

ここは城の西になります。害獣避けの電線があるので腹ばいになってくぐり山に入ります
5分ほど急登がつづき給水塔を超えると緩やかになって、駅をでて20分弱で本丸到着です

お城は小ぶりながら、メリハリのある地形が残ってます
下りは反対側から降りました。主郭の標識では、登山道がいくつかあることを示していますが、丸山地区へ降りました
途中にでっかい平場があり社がぽつんと建っています。道はわかり易いです

住宅街にでて、反時計回りに歩くと先人の方々が書かれる鉄の橋と、奥に登山口が見えます

丸山駅に戻って1時間ちょいでした


歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

まるき〜淡路守様[2016年05月23日]
アクセスの方法が難しい
丸山城のある山の周りを一周してみて南側のお墓のある所から登城するも竹藪の倒木、クモの巣、見た事ない大きさのスズメバチにも出くわし恐怖を感じたので退散。
次、北側に丸山建設という会社近くの川の下に人一人が渡れる鉄橋をみつけ川を渡りその奥に登城口の案内が…(;^_^Aココをみつけるのに40分ほどかかりました、とてもわかりにくいです。ここからは道なりに300メートル、ウロウロしながらも15分程度で本丸まで、途中崩れた鳥居や堀切、堀切は二重に、郭の区切りもわかりやすく城址碑もかなり大きな物が据えられています、(高さ4〜5メートル)ただ行く季節によっては投稿されている写真の場所でも草木が生い茂り自分がいる場所を見失い迷子になりそうで怖かったです
ここに限らず山城攻めは夏場でも長袖、手袋は必須だと思います。

駐車場無し、少し離れた橋から入った所に停めて置けそうな所を借用しました。

信幸隠岐守様[2012年05月13日]
リアル行軍では丸山消防署の隣の空き地に車をとめるのが無難です。登城口は4〜5ヶ所あり。登りは反対側の城山さん宅の横から登るのがオススメです。20分かからずに石碑まで行けます。
PS
丸山消防署の皆さん有難うございます。ルートや地図などを親切に用意していただいて

三河守コーキしゃん様[2011年05月05日]
川沿いを右手に歩いていると鉄の板の橋があるので、その先に小さな案内板があります。
本丸の虎口周辺にある武者隠しという遺構がまだ分かり易く残っています
他にも土塁や空堀が良好に残ってて楽しめました

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