柏野城(かしわのじょう)

柏野城の基本情報

通称・別名

福島城

所在地

三重県伊賀市柏野

旧国名

伊賀国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

福島宗雄

築城年

元徳3年(1331)

主な改修者

主な城主

福島宗雄

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(柏野城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

福地城(三重県伊賀市)[5.6km]
和田城(滋賀県甲賀市)[7.5km]
伊賀上野城(三重県伊賀市)[7.9km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[9.2km]
甲賀郡中惣城館(滋賀県甲賀市)[11.5km]
望月城(滋賀県甲賀市)[12.0km]
丸山城(三重県伊賀市)[13.1km]
鹿伏兎城(三重県亀山市)[13.6km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[13.8km]
小川城(滋賀県甲賀市)[14.4km]

柏野城の口コミ情報

2024年09月07日 RED副将軍
春日山城[柏野城  周辺城郭]



織田信長の侵攻に備えた伊賀衆の陣城⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

有名な新潟県ではなく三重県の春日山城です。

築城年代や築城主は詳細不詳。
1581年の織田信長による伊賀侵攻である第二次天正伊賀の乱において、周辺の伊賀衆により急遽築かれた城と推測されています。川東地区には沢氏や澤村氏、五百田氏など多数の伊賀衆の居館が点在しており織田信長の侵攻に備えた様ですが制圧されてしまいました。

見所
春日神社の北背後に聳える標高215mの丘陵上に築かれています。
山頂に主郭を置き、南西下の二郭で構成された陣城です。
主郭の北側は土塁と横堀が敷設し、東側の尾根は堀切で遮断され土橋が架かります。
二郭は削平、切岸が明瞭ですが、大半が自然地形を活用した陣城です。

2024年06月06日 RED副将軍
三根氏館[柏野城  周辺城郭]



農地に土塁が残る三根氏の居館跡🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代に在地土豪である三根氏が築いたとされます。 
1581年の織田信長による第二次天正伊賀の乱において周辺の伊賀衆と同様に春日山城または壬生野城に籠城し抗戦したと云われます。しかし多勢に無勢で落城し多くの伊賀衆が討たれたとされます。

見所
現在は耕作地と竹藪となっていますが、土塁と堀の一部が残されています。
元々は方形の郭を二つ連ねた複郭式の縄張りでしたが、南側の主郭の北側から東側にかけての土塁と北側の空堀が残り、東側に虎口が開口しています。
川東地区は在地土豪の居館跡が密集しており徒歩で散策するのがオススメです。

2024年05月12日 RED副将軍
澤村氏館[柏野城  周辺城郭]



最後の伊賀者と呼ばれた澤村氏の館🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。戦国時代に澤村氏により築かれたと云われます。
澤村氏の歴史は古く、奈良時代の769年に当地近隣に鎮座する伊賀衆の氏神である春日神社と共に移り住んだとされます。
1581年の織田信長との天正伊賀の乱における壬生野宮山合戦に際しても周辺の伊賀衆とともに抵抗したと伝わります。
津藩二代当主である藤堂高次の代より江戸時代まで伊賀者として仕え、1853年にペリーが黒船で浦賀に来航した際には、最後の伊賀者として澤村甚三朗保祐が黒船探索を行いました。

見所
土塁が四方を巡り、南側の土塁には石垣が積まれ門が構えられています。
内部には立派な茅葺屋根の旧家が建っており現役の城郭です。

2024年04月09日 RED副将軍
音羽北城[柏野城  周辺城郭]



主郭背後の土塁と堀切が見事な音羽氏城の支城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。伊賀十二評定衆のひとつに数えられる音羽氏の居城である音羽氏城の西側の丘陵上に築かれた支城です。
1581年の織田信長による第二次天正伊賀の乱において周辺の城郭と同様に落城し廃城となった様です。

見所
音羽氏城の西側の丘陵先端に築かれています。周辺の位置関係から出城として機能したと思われます。
土塁囲みの主郭に南下に副郭が付帯した小規模な城郭です。
最大の見所が主郭北側背後の大土塁と堀切です。土塁は高さ3m程度で櫓台状の大規模なもので、その背後の堀切も幅8mほどで見応えがあります。
更にその先にはもう一条堀切があり、登城口から最初に見える堀切でもあります。
また大土塁の基部内側と西側の土塁内側および外壁には石積みも認められます。
個人的には本城の音羽氏城より楽しむことができました。

行き方は、音羽氏城の案内板から西へ150mほど道路を歩きます。右手(北東)の田があるので畦道をフェンス沿いに登っていくと西側から北側へ回り込む様にして北端の堀切に辿り着きます。
音羽氏城から直接行くとヤブに阻まれますので一度下山した方が良いと思います。

音羽氏城の西にあるのに北城と呼ばれるのか不思議です。何に対して北なのでしょうか。

写真
①②③主郭北側背後の堀切
④主郭背後の大土塁の基部にある石積み
⑤主郭西側の土塁にも石積みが点在
⑥主郭南の虎口
⑦主郭南下の副郭と切岸
⑧北端の堀切

2024年02月21日 RED副将軍
音羽氏城[柏野城  周辺城郭]



伊賀では珍しい石積みが多様された音羽氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。伊賀十二評定衆のひとつに数えられる音羽氏の居城とされます。
城主として音羽半六の名が伝わり、音羽半兵衛や城戸氏の名も伝わります。
1581年の織田信長による第二次天正伊賀の乱において周辺の城郭と同様に落城し廃城となった様です。

見所
伊賀特有の単郭であり主郭は三方を土塁が巡ります。
最大の特徴は石積みが多様されており、南側の巨石を用いた石積み虎口は残存度が高いです。主郭北側の高土塁内部も巨石による石積みがありますが崩落が進んでいます。
主郭北側背後の高土塁上は櫓状になっており、その先はお決まりの堀切で遮断されています。

行き方は、城域南麓の道路沿いに案内板が立っており駐車スペースもあります。その奥の獣害柵を開けて進めば辿り着きます。比高は約60mで15分くらいで辿り着きます。

かつては整備された様ですが、その後は放置されている様子でヤブ気味でした。中途半端に伐採をして放置すると却って手に負えない様なヤブとなるので残念です。

①巨石を用いた石積みの虎口
②③主郭高土塁の石積み
④⑤主郭内部は巨石が点在
⑥⑦主郭北側背後の空堀
⑧案内板

2024年01月30日 RED副将軍
高藤氏城[柏野城  周辺城郭]



伊賀特有の四方土塁囲みの高藤氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等の城史は詳細不詳。室町期より在地土豪である高藤氏の居城と伝わります。

見所
河合川東岸の河岸段丘上に築かれています。
頂部に伊賀特有の土塁囲みの方形の主郭を配し、一段下がった北側に副郭が配されています。
主郭は四方を土塁で囲み、南北の二箇所に虎口が開口。東側と北側は堀切で区切られ、北側は副郭、東側は東郭に繋がります。主郭周辺は雑木や下草は少なく整備されている様に見えました。
副郭は東側と北側に重厚なL字型土塁が巡りますが、主郭と違い下草に覆われ全貌が分かりにくい状態でした。

行き方は、河合川沿いの広い路側帯に駐車。河合川沿いや南側集落から取り付こうとしても獣害柵があるので注意が必要です。しかし、東側は獣害柵が無かったので適当に取り付くと比高は30m程しかないので数分で主郭に辿り着きました。

写真
①②主郭東側の堀切
③④⑤主郭内部
⑥主郭北側の虎口
⑦副郭のL字型土塁

2024年01月19日 RED副将軍
大深氏館[柏野城  周辺城郭]



現在も民家を土塁が囲んでいる現役の城館🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。川東の在地土豪である大深氏の居館跡。
1581年の第二次天正伊賀の乱では壬生野城に籠城し織田信長勢に対抗したとされます。しかし多勢に無勢で壬生野城は落城。多くの伊賀衆が討たれたとされます。

見所
県道2号に面する東側の土塁が残存しています。
現在も民家を取り囲む現役の土塁です。
北西の斜向かいに五百田氏館があり、周辺にも中世城館跡が密集する地域ですので併せての散策をオススメします。

2023年11月16日 RED副将軍
菊永氏城[柏野城  周辺城郭]



道路造成により大半が消失した菊永氏の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代に菊永右近太夫により築かれたとされます。
菊永右近大夫は服部出羽掾の弟であり菊永氏を称したとされます。
1581年の天正伊賀の乱において菊永氏は雨乞山城に籠城して戦うも蒲生氏郷により落城したとされます。

見所
元々は伊賀特有の土塁囲みの単郭方形であった様ですが、道路造成により大半の遺構は消失。城域北側に城跡碑が立っています。
竹ヤブの中に西側の土塁が残るとのことですが、ヤブが酷くて立ち入りませんでした。

行き方は向公民館を目標に設定。すぐ東側が城域となります。公民館には広い駐車スペースがあります。

2023年10月26日 RED副将軍
五百田氏館[柏野城  周辺城郭]



現在も民家を土塁が囲んでいる現役の城館🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

五百田氏館(いおだしやかた)と読みます。

築城年代は不詳。川東の在地土豪である五百田氏の居館とされます。
1581年の第二次天正伊賀の乱において、壬生野城に籠城し織田信長勢に対抗したとされます。しかし多勢に無勢で壬生野城は落城し多くの伊賀衆が討たれたとされます。

見所
現在も民家を取り囲む現役の土塁です。
南側を除く三方の土塁が非常に美しく残っています。
⁡南東の斜向かいに大深氏館があり、周辺にも中世城館跡が密集する地域ですので併せての散策をオススメします。

一時期は売りに出されてましたが買い手が付いた様です。

2023年09月27日 RED副将軍
壬生野城[柏野城  周辺城郭]



第二次天正伊賀の乱において最後まで持ち堪えたとされる堅城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代から戦国時代の間に在地土豪である清水岩城守によって築かれたと云われます。
1581年の第二次天正伊賀の乱において織田信長家臣の滝川一益が侵攻し、川東・川西・愛田の土豪が集結し、12評定衆のひとりの中林助左衛門を大将として抵抗しました。最後まで持ち堪えたとされますが織田勢の大軍により落城しました。

見所
伊賀特有の周囲を土塁が巡る単郭方形です。
丘陵上に築かれ、北側から東側にかけて堀が巡りますが北側は現在でも水が湛えられており水堀であったと思われます。
東側に虎口が開口し、南西部の尾根筋には二条の堀切が確認できます。
周囲の土塁には至るところに切れ目が入っており、破城の痕跡と考えられています。

2023年09月24日 RED副将軍
沢氏西館[柏野城  周辺城郭]



現在もご子孫が居住されている典型的な伊賀の単郭方形🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等の城史は不詳。
川東の土豪である沢氏によって築かれたとされます。沢氏は、大和国宇陀三将のひとつである大和沢城の沢氏の一族と云われていますが定かではありません。

見所
土塁が四方を巡る典型的な伊賀の土豪の単郭方形の居館です。
南側に虎口が開口し、石垣もありますが後世のものと考えられます。
ここも現在もご子孫が居住されている現役の城館です。

行き方は、春日神社を目標に設定。西側に歩いて行くと沢氏東館があり、そこから道路を挟んで南西に沢氏西館があります。

2023年09月15日 RED副将軍
沢氏東館[柏野城  周辺城郭]



現在もご子孫が居住されている典型的な伊賀の単郭方形🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等の城史は不詳。
川東の土豪である沢氏によって築かれたとされます。沢氏は、大和国宇陀三将のひとつである大和沢城の沢氏の一族と云われていますが定かではありません。

見所
高さ約3mの土塁が四方を巡る典型的な伊賀の土豪の単郭方形の居館です。
南側に虎口が開口し、石垣もありますが後世のものと考えられます。
現在もご子孫が居住されている現役の城館です。

行き方は、春日神社を目標に設定。西側に歩いて直ぐに辿り着きます。

2020年11月08日 課長大和守Ver.B
竹島城[柏野城  周辺城郭]

柏野城の南西、名阪国道下柘植インターの南愛田地区にある城跡です。

愛田公民館前に駐車スペースがあり、案内板も建っています。
案内に従い徒歩5分程度で城跡入口に到達、ここに縄張り図を伴う説明板が設置されています。
入口より主郭土塁の南側を回り込みながら主郭へ入る形なのですが、薄暗い崖道を経ていきなり明るい主郭が広がる展開が個人的には気に入っています。
主郭は西側以外の三方に分厚い土塁が巡り、虎口は南側に開口しています。
また虎口から一段下にも郭がありますが結構藪化しています。

遺構もメリハリの効いた見栄え良いモノですので福地城などとセットで訪問されると良いと思います。

2020年10月23日 安濃津中納言壱午
春日山城[柏野城  周辺城郭]

某上杉居城と同じ名前ですが、もちろん何の関わりもございません😅

春日神社の駐車場をお借りし参拝してから登り始めました。僕が訪れた当時は、春日神社が工事中だったため、神社裏から登れませんでしたが今はどうかわかりません🤔僕は一旦来た道を戻り、宮川を渡り、春日山城東に大回りして登り始めました。イマイチ登城口はわからなかったので、登れそうなところから適当に登りました。倒木が多く、僕が訪れた当時はわかりにくかったですが、恐らく素晴らしい遺構が残存しているのでしょう。一応、縄張図は持ってきてたんですがね😰僕の目が肥えていないからでしょう。堀切らしきものは多数ありました。

2020年10月09日 梅鉢近江守Silvine
山内氏城[柏野城  周辺城郭]



山内氏城は伊賀市下友田にあり、先に紹介した雨乞山砦の麓にある城館群の一つです。

城へは雨乞山砦の登城口の看板より矢印の反対側の山麓へ向かうと獣避けフェンスが山中へ続いており、フェンス沿いを辿れば10分程で辿り着きます。

山の斜面をすり鉢状に削り込んで築かれた単郭方形の城で、城を取り巻く土塁、東の虎口、堀切から続く竪堀などが明瞭に残り、特に北側の長い竪堀は見どころです。雨乞山砦に行かれた際に合わせて訪問されると良いのではないでしょうか。

2020年10月09日 梅鉢近江守Silvine
雨乞山砦[柏野城  周辺城郭]



雨乞山砦は伊賀市下友田にあり、六角氏の被官であった山内氏の城です。第二次天正伊賀の乱の際に織田家臣の蒲生氏郷によって攻略されましたが、本能寺の変の後の伊賀衆の一斉蜂起の際にも拠点となりました。

城は雨乞山の山頂を中心に、城の南〜東麓に複数の城館を配する城館群で、どこまでが雨乞山砦か判然としないところもありますが、ここでは便宜上登山口から山頂までを雨乞山砦として扱います。

登山口から入ってしばらく行くと左手の山裾に向かって削り残しの土塁が確認でき、その右下に削平地があり、出曲輪のようです。土塁を背に山を上がって行くと山頂が主郭で祠と「天正役遺蹟」の石碑があります。途中に段曲輪がありますが、堀切や土塁は確認できません。

城へは中友田公民館に駐車場と道案内があり、案内に沿って5分ほど行くと獣避けフェンスを開けた先に登城口があります。私が行った時は登城口は藪でしたが、最初の藪さえ越えれば、後は整備された山道が続いています。登山口から山頂までは15分程です。

2020年09月30日 梅鉢近江守Silvine
春日山城[柏野城  周辺城郭]



伊賀・春日山城ですが麓の春日神社の解体修理工事のため、メインの登城路が塞がれています。道なき道を直登すれば上がれるのかもしれませんが…

2020年05月02日 安濃津中納言壱午
壬生野城[柏野城  周辺城郭]



車は春日神社の駐車場をお借りし、南下して行きました。行く前に春日神社裏の春日山城にも行きました。案内板が沢山あるので、簡単に行けると思います。

まず、仕事の休憩中と思われるおじさん3人組が城周辺のベンチに座っていたので、城のことを聞きました。このおじさん達に聞いてもよく分からなかったので、自力で行きました。でも、愛想は良かったです(^^)

しばらく歩くと高い土塁に囲われる主郭が見えてきます。この高い土塁は伊賀ならではですよね。遺構はそこそこ残っています。このアプリに登録されていてもおかしくないです。

この一帯は川東城館群と呼ばれ、北の春日山城や壬生野城南の増地氏館跡や今も、澤村さんが住んでいらっしゃる澤村氏館、大深氏館等があり、いずれも高い土塁と石積が積まれています。そちらも是非(^-^)住人の方に声を掛ければ見学させて頂けるらしいです。外からでも、十分楽しめますよ^o^



2017年06月19日 権中納言みきを
柏野城

2017年6月現在、しっかり草刈りもされており、見やすくなってました(タイミングがよかったのかな?)
見所は、伊賀特有の土塁に囲まれた主郭、堀切、三つ又にわかれている土橋です。
車でのアクセスの場合、集落内の公民館に駐車場があるのでそちらに停めさせてもらうのが良いかと。

また、この時期でも落ち葉が多く滑りやすくなっているので、探索の際は注意してください。
(自分は吉本新喜劇みたいにすっ転びました)

2016年12月05日 
柏野城

現状、荒れまくってます。

堀切は、確認できましたが。

柏野城の周辺スポット情報

 柏野城址看板(碑・説明板)

 柏野城址看板(碑・説明板)

 壬生野城(周辺城郭)

 春日山城(周辺城郭)

 澤村氏館(周辺城郭)

 沢氏東館(周辺城郭)

 沢氏西館(周辺城郭)

 五百田氏館(周辺城郭)

 大深氏館(周辺城郭)

 三根氏館(周辺城郭)

 雨乞山砦(周辺城郭)

 山内氏城(周辺城郭)

 竹島城(周辺城郭)

 中山6号城(周辺城郭)

 中山5号城(周辺城郭)

 中山4号城(周辺城郭)

 中山3号城(周辺城郭)

 中山2号城(周辺城郭)

 中山1号城(周辺城郭)

 菊永氏城(周辺城郭)

 高藤氏城(周辺城郭)

 音羽氏城(周辺城郭)

 音羽北城(周辺城郭)

 田矢伊予守城(周辺城郭)

 杉野氏館(周辺城郭)

 竹内氏城(周辺城郭)

 寺坂氏城(周辺城郭)

 勘定塚古墳(寺社・史跡)

 御墓山古墳(寺社・史跡)

 柏野公民館(駐車場)

 登山口(その他)

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