和田城(わだじょう)
和田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 滋賀県甲賀市甲賀町和田
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 和田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 和田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(和田城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
福地城(三重県伊賀市)[5.1km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[6.9km]
甲賀郡中惣城館(滋賀県甲賀市)[7.3km]
柏野城(三重県伊賀市)[7.4km]
望月城(滋賀県甲賀市)[8.3km]
土山城(滋賀県甲賀市)[9.0km]
鹿伏兎城(三重県亀山市)[10.9km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[11.0km]
水口城(滋賀県甲賀市)[11.7km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[13.3km]
和田城の解説文
和田城の口コミ情報
2020年06月20日 OROKA和泉守
櫟野大原城[和田城 周辺城郭]
【甲賀城館の進化系?!】
櫟野大原城は、和田城の北東に位置する城で、大原氏の居城のようです。
アクセスとしては櫟野公民館あたりに車を停めさせていただいて、テクテク徒歩で近づきましょう。地図で示した森の一体が城ですが、明確な登城口みたいなのは無く南側は川などで入れないので、北側の道から何となく森の中に突撃すると城にぶち当たります。
遺構はとても素晴らしいです。
甲賀地域によくある方形単郭の土塁に囲まれた館なんですが、それを3つ繋げたような構造に私には見えました。そして、それらの間に堀切や虎口がありかなり複雑です。
また、主郭と思われる郭を一周する土塁はやたら高く鋭角で、郭の中にいると包まれてるような安心感があります(笑)
森の中は藪も多いですが、甲賀城館の中では断トツでオススメの城です。
櫟野地区にある滝川城、滝川支城とともにぜひ訪れてください(´▽`)
2020年06月18日 OROKA和泉守
滝川支城[和田城 周辺城郭]
【滝川城、支城もついでに味わおう】
滝川支城は、滝川城(以下、本城)の北西に位置する城で、名前のとおり滝川氏の支城であったようです。
アクセスですが、やはりこちらも櫟野寺からテクテク徒歩で15分ほど。城は林になっていますが、その南側が入口です。畑の横にスロープになってる道があるので、そこから入ります。(写真参照)
規模的には、本城とあまり変わりません。林が丸ごと館になってるようなイメージで、厚い土塁に囲われています。何となく段郭のようになっていて、切岸も見事です。また、背後にはガッツリした堀切があり、ついつい降りたくなりますが、意外と急で滑るので、調子に乗ってるとズシャアァと滑り落ちズボンとか泥だらけになります。(経験談)
ちなみに本城との距離は徒歩20分ほど。若き日の滝川一益も、「ちょっと支城行ってくるわ」とコンビニ感覚で行き来したかも知れません。
そんな妄想膨らむ滝川支城、本城とぜひセットで訪れてください(´▽`)
2020年06月17日 OROKA和泉守
滝川城[和田城 周辺城郭]
【あの有名武将のいた城と言われる~】
滝川城は甲賀地域にある城で、あの滝川一益が16歳まで在城したという城です。ここからどのように信長に仕えたのかは謎が多いですが、タッキー(一益のこと)が少年~青年期を過ごした気配とか感じれるかも知れません。
アクセスは、とりあえず私は櫟野寺に参拝ついでに車を停めさせてもらいました。徒歩で南下、橋を渡った右手の奥に城の案内板があります。その奥の森に城はありますが、たぶん迷わず行けるでしょう。寺から徒歩も含めて10分程度でしょうか、苦労せず行けます。
甲賀によくある方形単郭の城ではあるんですが、土塁が1方面だけ高くなっており、櫓台があったように見えます。また、この背後だけは見事な堀切と土塁があり、特にこの土塁はシャープに直立していて見応えバリバリです。
「先駆けは一益、殿(しんがり)も一益」と言われた勇将・滝川一益のファンなら、もう行くしかない♪
2018年06月26日 カーネル
和田城
草津線油田駅から
駅の西にある県道51号を南下すると、『和田老人憩いの会』脇にあるグランドに、天守閣も模型があります
先に進み、善福寺の先の道路が広がっているところに、和田城の看板と冊子があります。冊子を取り出したらアマガエルがへばりついていた
100mほど先で、川を渡る前に左折するのが正解ですが、ここの道路の右側にある小さな木の看板に気付かず、橋を渡って先へ進んでしまう
橋から200mほど進み、左手に森を見ながら車1台幅の生活道路を進み、右手にあるコテージフジの中央付近で、左の民家脇から山に入れます
土橋に見えてしまう田んぼの畝を進み、森の中へ。土塁と堀がたくさんあります
反対側に抜けると、先人の書き込みのピカチュウに出会えます。支城には行かず、駅に戻り1時間ちょいでした
2017年06月19日 みきを渡島守
和田城
先人の方の口コミ通り、お寺の前の広いスペースに車を停め、看板に従って歩いて行くと城跡に到着します。
途中の道にはサ◯エさん一家やピ○チュウの看板があり、それらを過ぎた辺りに田んぼを渡って城跡に入る道があります。
入口には縄張り図などの看板があります。
訪れたのが6月ということで草がボーボーでしたが、土塁や虎口はしっかり確認することができました。
2011年08月28日 まったり丹波守屋
和田城
あぶらひ駅から県道51を南下した場合、善福寺を過ぎると『和田城』の看板あり。
北上の時には看板は確認できませんでした。
『薮内橋バス停』の向かい側の道を行くと案内板があります。
駐車場は無いので善福寺前に停めるのが良いかも。
丘なので簡単に訪問出来ますが熊らしき糞があったので対策は十分に。
【歴史】
甲賀武士の自治組織である甲賀郡中惣の構成員、和田氏の居城だ。応仁年間(1467~1469)に和田左京大夫が砦を築いたとされる。
和田氏は源高政を祖とする一族だ。六角氏に仕えていた18代・和田惟政は織田信長の家臣となり、後に高槻城主となって活躍した。
和田城の北方にある公方屋敷は、室町幕府第15代将軍・足利義昭が永禄8年(1565)に興福寺を出奔した後、約2年間和田氏を頼って亡命生活を送った屋敷と伝わる。
【遺構】
和田川に突出する独立した丘陵の西端、標高243.5m地点に築かれている。甲賀の城は丘陵の先端に築かれる傾向があり、それよりも後方の高い山には築かれないのが特徴だ。和田城も同じように、丘陵の先端に築かれている。
甲賀の城によくみられる、曲輪の周囲に土塁をめぐらせた、小規模な単郭構造の城だ。土塁は北辺が低く、西辺はやや高い。東辺の土塁は三角形の幅広な平面になっており、櫓台だったと考えられる。南辺は2段の土塁が築かれ、その外側は堀切で背後を分断している。主郭西側には腰曲輪が、主郭北東側には帯曲輪がある。
和田城の周囲には和田支城Ⅰ、和田支城Ⅱ、和田支城Ⅲ、殿山城など、土塁で囲まれた単郭の小規模な城がある。それぞれ単体で機能するのではなく、連動して機能していたようだ。
【交通】
JR草津線油日駅から徒歩で約20分
【参考文献】
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。
・『図解 近畿の城郭Ⅳ』戎光祥出版、2017年。