土山城(つちやまじょう)
土山城の基本情報
通称・別名
- 土山氏砦
所在地
- 滋賀県甲賀市土山町北土山
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 土山盛忠
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- 羽柴秀吉
主な城主
- 土山氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、馬出し
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[4.9km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[6.6km]
日野城(滋賀県蒲生郡)[7.9km]
和田城(滋賀県甲賀市)[9.0km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[10.4km]
鹿伏兎城(三重県亀山市)[11.6km]
水口城(滋賀県甲賀市)[11.8km]
甲賀郡中惣城館(滋賀県甲賀市)[11.8km]
佐久良城(滋賀県蒲生郡)[12.1km]
福地城(三重県伊賀市)[12.2km]
土山城の解説文
土山城の口コミ情報
2023年01月24日 heihachiro
土山城
水口城跡資料館でパンフレットをもらってから登城。パンフレットの案内図通り、1号線沿いの土山地域市民センターに車を停めて(土日祝日もオープンで無料100台以上駐車可)城跡まで徒歩で10分ほど。城跡南側の民家と民家の間に登城路の案内板があります。本丸北東部の二重堀切や角馬出しがなかなか興味深いですねー。
2022年09月22日 RED副将軍
頓宮城[土山城 周辺城郭]
甲賀五十三家の一つで有力土豪の頓宮氏の居城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等は不詳。鎌倉期に頓宮正盛により築城されたと考えられる頓宮氏の居城。
頓宮氏は、藤原秀郷または藤原道長の系譜とも云われますが詳しいことは分かっていません。
鎌倉期には頓宮牧荘を中心に有力土豪として勢力を伸ばしました。
甲賀五十三家の一つで、土山氏、黒川氏、大河原氏は頓宮氏の庶流の様です。
長亨年間(1487年~1489年)、頓宮正盛の子である頓宮利盛が音羽野城を築いて移ったことにより頓宮城は廃城となりました。
頓宮氏は、近江国守護の六角氏に属していましたが、織田信長に六角氏は敗れて没落すると頓宮守孝は信長に降りましたが、1585年に豊臣秀吉によって領地は没収され改易となり表舞台から消えてしまいました。
見所
東西に伸びた丘陵上の先端に築かれ、主郭はコの字に土塁が巡っています。
北側は崖部で、背後の東側は深さ5mの堀切で遮断されています。
主郭切岸はかなりの鋭さで、主郭南東下の帯郭には虎口も確認できます。
行き方は、東光禅寺を目指してください。寺院裏山が頓宮城となります。
駐車場から5分も登れば主郭に辿り着きます。
2022年09月17日 甲斐守しんげんもち
土山城
大量のヤマヒルにやられました(T-T)雨天時はくれぐれもご注意を、難攻不落です。
2022年03月17日 RED副将軍
音羽野城[土山城 周辺城郭]
甲賀の典型的な単郭方形ですが、大手虎口は二重空堀が巡り桝形を形成しています。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
文明年間(1469年〜1487年)に頓宮四方介利盛により築城。
頓宮氏は甲賀二十一家のひとつの有力在地土豪。戦国時代は近江守護職の六角氏に属していました。
1487年〜1491年の室町幕府が六角氏討伐に遠征した長享・延徳の乱では、頓宮氏は幕府軍と対峙し活躍した様で六角氏から感謝状を送られています。そして、この頃に本拠地を頓宮城から音羽野城に移した様です。
1568年に織田信長により六角氏が滅ぼされると頓宮氏も降伏。
1585年には紀州征伐において不手際があったとして羽柴秀吉に所領を没収され、廃城となりました。
見所
東西60m、南北70mの土塁囲みの単郭方形の城郭。土塁の外側は横堀が巡り、典型的な甲賀特有の縄張りです。
南東部に虎口が開口し、横堀も二重になっており桝形を形成。大手であったと思われます。
2021年03月29日 刑部卿スーさん
土山城
本丸の形が方形なのがはっきりわかり、それを二重の堀で囲んでいるのもわかり、曲輪がよくのこっています。ただ木が倒れたままになっており、歩きにくかったです。
2019年04月24日 龍馬太閤【備中の麒麟】
土山城
主郭南・帯郭(奥)盛り土は虎口☆両翼に堀を完備し厳重さを伺わせる☆穴は多分・熊さんの冬眠跡☆
【見所】
①主郭南側の角馬出し♪
②同じく角馬出しと郭間の土橋♪
③要所に気づかれた空堀♪
④360度グルリと囲む主郭土塁♪
⑤土で固めた虎口♪
2019年04月17日 みず
土山城
駐車場は南側に公民館があります。許可を取ったら停めれるのかな?あとは、貴生川駅からバスもあります
民家の垣根右手から城跡へ行けます。馬出から3郭、2郭と主郭と回り谷を挟んで4.5郭とあります。主郭背後には堀切がありそのまま堀底道を通り2郭を見上げながら歩きそのまま進むと…馬出の裏手に出てきます。コンパクトだけど見所が多い城跡です。
遺構
野洲川と田村川が合流する地点から東方約2km、南に向かって伸びる丘陵の先端部に位置する。最も北に位置する主郭は四方を土塁で囲まれ、尾根続きの北東部は二重の堀切が設けられており、そのまま端部が竪堀となって下方へ落ちている。
主郭から南へ土橋によって繋がる曲輪Ⅱは、主郭虎口を防御する馬出しの形態をなしている。また、曲輪Ⅱの先で分かれた尾根上に曲輪Ⅲ、曲輪Ⅳが置かれ、曲輪Ⅳの南側虎口部分にも角馬出し状の空間が存在する。
歴史
文明年間(1469~1487)、頓宮(とんぐう)利盛の次男・土山盛忠が土山氏砦として築いた。その後、土山氏が代々続き、天正年間(1573~1592)土山盛綱が城主であった頃に、織田信長の家臣・滝川一益に攻められて落城した。
小牧・長久手の戦いの際には、羽柴秀吉が甲賀から伊勢の間に3ヶ所の築城を命じており、自らも土山に滞陣している。土山城に甲賀では他に類例を見ない馬出しが設けられているのは、この時に秀吉方の手による改修があったからと考えられている。
交通
・JR草津線甲賀駅から車で約20分参考文献
・『近江の山城 ベスト50を歩く』サンライズ出版株式会社、2006年。・『日本城郭大系 第11巻』新人物往来社、1980年。
・土山城跡現地説明板。