福地城(ふくちじょう)

福地城の基本情報

通称・別名

福地氏城

所在地

三重県伊賀市柘植町7426-2他

旧国名

伊賀国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

福地氏

築城年

不明

主な改修者

福地宗隆(福地伊予)

主な城主

福地氏、池尻氏

廃城年

天正10年(1582)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、礎石

指定文化財

県史跡(福地城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

和田城(滋賀県甲賀市)[5.1km]
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佐治城(滋賀県甲賀市)[11.9km]
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福地城の解説文

福地城(ふくちじょう)は、三重県伊賀市柘植字浦出にあった丘城・城館。

概要
城主
城主の福地氏は、平清盛の末裔を称した土豪で、柘植の有力な国人「柘植三方(日置氏・北村氏・福地氏)」を構成した氏族。祈願寺は長福寺(現・万寿寺)と推定され、本尊の地蔵菩薩像の内部から発見された南北朝時代の文書に「ふくちの御てら」とある。この文書には「やなき」という女性から「ふくちの御てらの了賢房」へ宛てた書状が含まれるが、了賢房はやなきの子で、いずれも福地氏の一族と推定される。福地氏は正長2年(1429年)に室町幕府から関氏の討伐を命じられており、この頃既に柘植を代表する国人に成長していたことが確認できる。天正9年(1581年)に織田信雄が伊賀国を攻めた天正伊賀の乱では、福地宗隆が織田方に味方して勢力を拡大したが、天正10年6月(1582年6月)に織田信長が没する(本能寺の変)と、伊賀衆の残党に裏切り者として攻められ、国外へ逃亡した。菊岡如幻の著した『伊水温故』は、福地氏の戦国時代の所領を1000石程としている。

構造
丘陵頂上の城郭と丘陵の裾の城郭に大きく分けられ、前者は詰城・後者は居館と推定される。大手門は石垣を用い、礎石の遺構から門扉の存在が確認される。大手門の両側には高さ3.5-4.8メートルの土塁があり、櫓の遺構と推測されている。丘陵頂上には11以上の郭が確認され、同心円状に配置されている。

現在、城跡は芭蕉公園として整備され、「伊賀の小屋組みの家」という懐石料理屋が営業している。

出土物
鍋 香炉 染付皿 摺鉢 
羽釜 白磁碗 天目茶碗 深鉢
皿 染付椀 捏鉢 

福地城の口コミ情報

2020年10月06日 琉球守こうちゃん播磨の守
福地城



名阪国道沿いにあります☝️福地城跡の北側に有る細い道路でリヤ攻めゲット出来ました!5.6台停めれる駐車スペースありました!トイレには入ってませんがありました!写真の階段を少々登れば、あとは緩やかなので大丈夫です!複合的な城郭らしく県指定の史跡になってます。

2019年05月29日 【麒麟】民部卿しらいとはま
福地城



福地城★謎の穴蔵★本丸北東隅の土塁に石垣で造られた穴蔵状の遺構…櫓台の穴蔵

2019年05月29日 【麒麟】民部卿しらいとはま
福地城



【福地城】本丸櫓台の穴蔵…本丸北東隅の土塁にある石垣で造られた穴蔵状の遺構がみられます!

2019年05月29日 【麒麟】民部卿しらいとはま
福地城



【福地城】詰めの城(本丸)虎口の石垣…野面積の石垣で算木積を志向していますが未完成です!

2013年02月25日 三河守コーキしゃん
福地城

地図のピンの位置より西側に登城口と城址碑があります。

現在は芭蕉公園として整備されており、駐車場とトイレが完備されています。

遺構はほぼ完存していて、主郭部は土塁に囲まれていて、土橋、空堀、井戸等、かなり見応えがあります。

平山城なので歩き易く、伊賀地方独特の縄張りを体感できるオススメのお城です。



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