鹿伏兎城(かぶとじょう)

鹿伏兎城の基本情報

通称・別名

白鷹城、牛谷城、加太城

所在地

三重県亀山市関町加太市場

旧国名

伊勢国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

加太氏

築城年

正平年間(1346〜1370)?

主な改修者

主な城主

加太氏、鹿伏兎氏

廃城年

天正11年(1583)?

遺構

曲輪、石垣、土塁、井戸、虎口、掘立柱建物跡

指定文化財

県史跡(鹿伏兎城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

正法寺山荘(三重県亀山市)[5.5km]
福地城(三重県伊賀市)[8.2km]
亀山城(三重県亀山市)[10.5km]
長野氏城館(三重県津市)[10.8km]
和田城(滋賀県甲賀市)[10.9km]
土山城(滋賀県甲賀市)[11.6km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[12.0km]
峯城(三重県亀山市)[13.1km]
安濃城(三重県津市)[13.3km]
柏野城(三重県伊賀市)[13.6km]

鹿伏兎城の解説文

歴史 

鹿伏兎城は、関五家の一つ加太氏によって正平年間(1346~1370)に築かれたと伝えられる。城跡は大和と伊勢を結ぶ街道を見下ろす標高263mの山頂上に位置する。この街道は、鈴鹿峠越えの東海道が開通する以前は官道として利用され、近世以降は大和街道と称された。

天正11年、本能寺の変後の織田信雄・羽柴秀吉と神戸信孝・滝川一益との対立で鹿伏兎氏は信孝方に与したため信雄によって攻められ、鹿伏兎城は落城したとされる。

縄張 

鹿伏兎城は、26×10mの郭(1)と、15×15mの郭(2)、石組み井戸がある郭(3)、その周囲の土塁からなる。この他にも郭へ続く尾根上には平坦地が見られるが、城に伴うものかどうか判断し難い。

主郭と考えられる郭(1)は2ヶ所の虎口があり、山麓から続く道へつながる虎口を構成する土塁裾には石垣が見られる。石垣は拳大~80cmの自然石が用いられ、長さ17.2m、高さ2.6mある。虎口にのみ用いられることから、土留め以外にも「見せる」ということを意識したものと考えられる。

山麓にある神福寺は加太氏の館跡とされてきたが、平成12年度にここから西へ50m離れた地点の調査で15・16世紀代の掘立柱建物や土師器皿廃棄土坑、区画溝が発見され、近年、発掘地点が館跡ではなかったかと考察されている。

調査・整備の状況 

平成12年度に三重県埋蔵文化財センターが城跡下の道路改良事業に伴い発掘調査を実施、同年、関町教育委員会が道路北側の宅地で試掘調査を実施。

交通 

・JR関西線加太駅下車 神福寺に説明看板あり
・東名阪自動車道向井ICから北へ約500m

情報提供:亀山市市民文化部文化振興局まちなみ文化財室


鹿伏兎城の口コミ情報

2024年04月15日 RED副将軍
鹿伏兎城



関五家のひとつに数えられる鹿伏兎氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

1367年に鹿伏兎盛宗により築かれたと云われます。
鹿伏兎氏は、関氏六代当主の関盛政の四男である関盛宗が鹿伏兎谷を領して鹿伏兎氏を称したことが始まりとされ、関五家のひとつに数えられる重臣です。
はじめは牛谷城と呼ばれていましたが、七代当主の鹿伏兎定好の頃に修築し、鹿伏兎城と呼ばれるようになりました。
本能寺の変で織田信長が没すると、1583年に織田信雄を推す羽柴秀吉と神戸信孝を推す滝川一益との跡目争いで鹿伏兎氏は神戸信孝方に与したため織田信雄勢により攻められ落城したとされます。

見所
標高263mの牛谷山に築かれています。
山頂から北東下に一段下がった山腹に主郭を置き、主郭は土塁が巡り、北と南に虎口が開口。北側の虎口には川原石を使用した野面積みの石垣が認められます。長さ約17m、高さ約2mとなかなかの大きさです。
南側の虎口は二郭と繋がり、二郭には石積みの井戸が今なお水を蓄えています。
東側の切岸はかなりの鋭さです。

行き方は、神福寺を目標に設定。登城口が分からず寺院裏手の尾根に取り付き登城しました。どこかに登城口がある様ですが、登城口が分かりにくいためか遺構は手付かずで綺麗に残っていました。

2023年12月02日 池田紀伊守信輝
神福寺[鹿伏兎城  寺社・史跡]

正式名称は「医王山 神福禅寺」
宗派は臨済宗東福寺派
御本尊は薬師如来
寺伝によると奈良期、行基上人が奈良大仏造営祈願のため この地に赴いた際、薬師如来を草庵(薬師堂)に安置したことを初源とします。その後、草庵は荒廃しましたが、至徳元(1384)年 この地の国衆 鹿伏兎加太定俊が東福寺の禅僧 開通恵芳を招いて鹿伏兎氏の菩提寺として開山したとされます。境内には鹿伏兎氏の墓石が残っています。

2023年05月28日 のんちゃん兵部卿
鹿伏兎城



神福禅寺の墓場を横切り直ぐに登山口。木に赤色の目印を見ながら山登りで、かなり急斜面です。革靴で登ったので滑べる滑べる。木から木に飛び移りながら登りました。運動靴をおすすめします。20分程で城跡に着きました!

2022年05月23日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
鹿伏兎城



仕事で大阪と奈良、三重と移動中でいつも気になっていた鹿伏兎城。(兜?、鹿と兎が伏せる城か~面白い名前)行きたい、見たいが募り城友と訪城です。アクセスはいい、加太駅直ぐ横に無料駐車場あり城は直ぐ裏手に楽ちんと思われたが·····?掛かりが見当たらない。登城口が見つからない。

麓の神福寺に直登ルートあるも目を凝らせど見えない。いや微かに通った後が見えるので攻城戦さながら直登!大した藪もなく木の幹や地面に食らいつき三点支持で頂上付近へ。ここで縄張り図見ると確かに獣が右向いて伏せしてるような配置。右前足から取り付いたところです。更に一段上り頭の東曲輪ここには何と水を湛えた井戸があります。見所の一つ目。石組みされた丁寧なつくりです。次は胴体にあたる西曲輪、この西曲輪の西端部に張り出し気味の枡形虎口は二つ目の見所。二つの曲輪の北側はうねる土塁で繋がっています、これが背中。

対して南側は絶壁に近い切岸、かなり怖い。西曲輪枡形虎口の壁面の石垣跡は見所ではあるが?妙に新しい気がします。戦中戦後に入れ替えでもされたかと思われます。私的な感想ですが···。井戸跡に戻り城友と感想会、これが楽しい。今回二度目の訪城の彼も取り付きが分からず苦労したようです。北側に林道があるようですが、登城道ではないようです。

枡形虎口から帰りは降りたら途中に戦死者を弔う為に置かれた石仏が等間隔に···。昔、昔、戦闘があった鹿伏兎城、有志の方の成仏させようと鎮魂込めてかな(合掌)。帰り道の山道で線路に出るこの道、これは見えんかった(笑)。旧大和街道にでる加太駅は東に見える。次来る時はこの道から登ろうっと。付き合って案内してくれた城友さんに感謝です。ありがとうございました!

山城好きなら一度は見て下さいの城でした。足元が危ない箇所があるので、おすすめは致しません。夏前にこれて良かった、木々を抜ける風は気持ち良かったな~。

2022年01月11日 課長大和守Ver.B
川俣城[鹿伏兎城  周辺城郭]



川俣城は鹿伏兎城の西、名阪国道板屋インター近く加太川の北側段丘上にあった城で現在は川俣神社となっています。
築城者は鹿伏兎氏で南北朝時代に築かれ、1414年北畠満雅によりそれまで御霊ヶ丘陣屋と呼ばれていたのを川俣城と改めたとのこと。
鹿伏兎城との連携は不明ですが位置的に近いので支城的役割を果たしていたのでは?と思います。

遺構は川俣神社本殿裏の土塁と神社北側に深く刻まれた空堀ですが、特に空堀は3〜4m程の深さがあり見応えがあります。
因みにこの神社何故か鳥居から参道を進み一旦堀底の手水場を経て再び本殿へと登る形となっており不思議な感じを覚えます。

クルマは旧国道25号沿いに神社駐車場らしきモノがありますが良からぬ話も見聞きするので、神社の南口付近に路駐されるのが良いかと思います(^^;
鹿伏兎城と違いお手軽に訪問出来ますので箸休め感覚で訪れてみてください⭐︎

2020年10月11日 作兵衛尾張守名古屋お城物語
鹿伏兎城



大和街道を見下ろす鹿伏兎城は重要な場所に築かれたお城です。

先人様の口コミ補足です。
関西本線加太(かぶと)駅に何台か駐車スペースが有るのでここを利用しました。
加太駅構内にはトイレが有りますが、あまり綺麗ではないので道の駅関宿などで済ませてから登城して下さい。自販機は有りました。
線路沿いを西に行きますと線路越しに神福寺が見えます。神福寺にはお城の石碑、案内板が有りますが
ここから登城しない事をオススメします。
更に線路沿いを行き大和街道25号線を西に300m程行くと大和街道松並木の木札と陸軍の石碑が有ります。写真を貼り付けるのでそこを目印にして下さい。その横の田んぼのあぜ道を線路側に入って行くと線路が見えてくるのでそこを跨いで行きます。
線路を越すと登城口が現れるのでここからの登城が良いでしょう。
道狭く危険な箇所も少々有りますので気を付けて登って下さい。途中には土橋や物見、主郭虎口下付近には石垣も残ってるのでテンションが上がって来ます。主郭は土塁で囲まれ遺構の状態も良いです。三郭には井戸が有り今でも滾々と沸き出てるのでここも見どころです。

決して登れない様な山城では無いので注意しながら
登って下さいね。
素敵な遺構が待ってます!

2020年04月25日 安濃津中納言壱午
鹿伏兎城



三重の山城ベスト50という本を見ながら訪れました。

車はJR関西本線加太駅に停められます。トイレはここで。線路沿いをしばらく西に行くと、鹿伏兎氏菩提寺の神福寺が見えます。ここに案内板があります。案内板を見ると道があるようですが、はっきり言います。道は無いです(笑)本当に未整備です。気軽に行くことはお勧めしません。道無き道を登ると尾根らしきものに出ましたが、登る方によって出る場所は違うと思います。

よく分からないまま尾根沿いに歩くと石組井戸がありました。なかなかの趣があります。そこからよく覚えていないのですが、西のほうに歩くと曲輪らしきものが連なっていました。その先端辺りにでっかい案内板がありました。そこには虎口もあります。その近くには立派な石積がΣ(゚д゚;)そこから東に行くと何やら不気味な石仏が沢山置かれていました。ボロボロで痛々しいです…そこを下れば道があるのかと思いきや途中で道が無い(゚o゚;

ここからは苦難の道のりでした😅Googleマップを見ながら尾根伝いに北に向かいました。途中で綺麗な小川がありましたがそれどころではない(笑)危うく遭難しかけました。やっとのことで城北側の林道に出ました。そこからは簡単に加太駅に戻れました。

本当に疲れた(笑)もう一度言います。道は無いです(笑)ここはガチガチの山装備で行くことをお勧めします。くれぐれもハイキング気分では行かないで下さい。苦労した分、石積を見た時は感動しました😂遺構は本当によく残っています。

2018年03月27日 権中納言みきを
鹿伏兎城

先人の方の書かれている通り、神福寺の横から入るルートおよび北側から回り込むルートには登山道のようなものはありませんでした。
自分も先人の方と同様に北側のルートから尾根沿いに登ったのですが、急な斜面でかなりきつかったです。
主郭は山頂ではなく、山頂から北東方面にあり、入口に虎口と説明板があります。
城跡を見学した後に気づいたのですが、虎口横の石垣方面に登山道のような道があり、その道を下ると国道25号線の麓に到着しました。(加太駅の西側)
この道が一番楽なアクセス方法だと思いますが、道沿いからだと分かりづらいので一応目印になりそうな物の写真を載せておきます。

2017年10月01日 まるき〜陸中守
鹿伏兎城

JR関西本線加太駅より北側の神福寺に城の案内があり、寺の横から城跡に上がって行けるような地図があるが道なのか崖なのかよくわからないルートで危険を感じたので引き返しました…

駅の東側の踏切より北に進むと林道北在家中津川線というのがありそこから少し行くと城跡の北側に行けるのでそちらからアクセスしてみるも結構険しい、山の尾根沿いに登って行くと十数分で本丸北側の土塁に到達できました

どちらから城跡を目指しても道なき道のようです…
そのためか少々荒れているが遺構はハッキリ残ってます。
先人の書かれている通り井戸水、湧き水は透き通りゴミさえ取り除けば使えるような感じ
虎口手前の石垣は何故ここだけ?と思ったのと少し綺麗すぎて違和感を感じましたが…

すごく高い所の狭い所にある、とても登りにくい
極端にいうと、とんがった山の上にある城跡…というイメージでした。

2012年02月28日 June02
鹿伏兎城

『』です。
井戸が生きている事に。
居館跡である神福寺。墓地を抜け、急傾斜の山肌と2度の尾根坂を登る事25分。物見趾?の牛谷山頂に着き、少し降ると、土塁に囲まれた主郭が広がり、そして、虎口が…、脇には標柱と説明板。さらに、野面積み石垣。感動でした。
石垣の写真をアップします。
湧井は、主郭一段下の曲輪跡にあり、底が見える透明度に驚き、また、癒されてしまいました。
鹿伏兎⇒現地名の加太は、冬の陣後、藤堂高虎公にこの地を含む5000石加増時に、祝して変更されたとも…、諸説有り。(駅)

鹿伏兎城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 川俣城(周辺城郭)

 鍛冶坂城(周辺城郭)

 鹿伏兎氏墓所(寺社・史跡)

 神福寺(寺社・史跡)

 JR加太駅駐車場(駐車場)

 岩盤(その他)

 登城口(その他)

 登城ルート(その他)

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