正法寺山荘(しょうぼうじさんそう)
正法寺山荘の基本情報
通称・別名
- 関氏正法寺山荘
所在地
- 三重県亀山市関町鷲山
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 関盛貞
築城年
- 永正年間(1504〜1521)
主な改修者
- -
主な城主
- 関氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、井戸
指定文化財
- 国史跡(正法寺山荘跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
鹿伏兎城(三重県亀山市)[5.5km]
亀山城(三重県亀山市)[5.6km]
峯城(三重県亀山市)[7.6km]
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長野氏城館(三重県津市)[14.0km]
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正法寺山荘の解説文
正法寺山荘の口コミ情報
2024年06月29日 ぺこたん副将軍
正法寺山荘
素晴らしい風景が印象的でした。細い山道を駆け抜けると現れます
2023年10月13日 RED副将軍
正法寺山荘
亀山城主の関盛貞が築いた関宗家の寺と別荘を兼ねた砦跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
永正年間(1504年〜1521年)に鈴鹿地方の豪族である亀山城の関盛貞により築かれました。
元々は京都の大徳寺の末寺として正法寺を創建したのが始まりとされます。
織田信長の伊勢侵攻に備えて土塁や石垣が積まれ、砦もしくは詰の城としても利用されました。
戦国時代の乱世でも、連歌師の柴屋軒宗長がしばしば訪れ、茶道や詩歌、風流の道でも交わりを深めていました。
関氏は、中勢・北勢地方にまで勢力を伸ばしましたが、織田信長が足利義昭を奉じて西上してくると、関一党は次々と織田信長に降り、離散して没落しました。
しかし関一政は、織田信長が没すると豊臣秀吉の重臣である蒲生氏郷の配下となり、九州征伐や小田原征伐などで転戦し家名存続のため戦功を挙げました。
関ヶ原の戦いおいては、当初は西軍に属するも、のちに東軍に属し、合戦後には亀山城を与えられ復領しています。
見所
羽黒山を背後に三方を小野川が天然の水堀となって囲まれた要害に築かれています。
主郭を中心に土塁や石列で区切られた7つの曲輪が配されています。また井戸や石組用水路も残っており必見です。
一向宗の城郭寺院とはまた違う様相です。
国史跡に指定されており、駐車場も完備されキレイに整備されています。
2022年10月15日
正法寺山荘
関宿から少し山道を入っていくとすぐに駐車場があります。駐車場自体が城中ですね。関宿と一緒に回ってみてください。夜は怖いかもよー。遺構は草の中^ ^
少し紅葉は始まってるかもね。紅葉時期は真っ赤っかです
2020年04月18日 梅鉢近江守Silvine
新所城[正法寺山荘 周辺城郭]
関氏が永正年間に宗家の寺および砦として築いたのが正法寺山荘で、その後、天正年間に関盛信によって築かれたのが新所城です。
鈴鹿川と東海道に挟まれた城山全体が城域となっていて、大きく3つのピークを中心にそれぞれ曲輪群を展開しています。西の曲輪群から東に向かって伸びる縦土塁と竪堀は規模が大きく、土塁端の堀切と合わせて、最大の見どころです。また麓の登城口付近には石垣も見られますが、どの時代のものかは分かりません。
国道沿いの関宿・西追分観光駐車場が無料で利用できます。道路を挟んで向かいの物流センターと建物の間の道の奥に登城口の案内があり、リボンに従って15分ほど登ると西の曲輪の主郭です。
また、城下にあたる関宿は東海道の宿場町の風情をよく残していますので、併せて観光されるのも良いと思います。
2019年08月26日 首藤但馬守通宗
新所城[正法寺山荘 周辺城郭]
亀山市歴史博物館で存在を確認
山の名前は「城山」
JR関西本線車内から目視可能
2019年06月19日 あきおこ
正法寺山荘
南西居館部の土塁。駐車場横にあり土塁で方形に区画される。段丘上に地選され、中央には石垣で区画された館の主要部があり段丘端外周を土塁が廻る。桜の名所らしく訪れた時は花見客で賑わっていた。敷地内に10台弱停められる未舗装の駐車場があるがトイレは無い
2019年04月23日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
僧坊跡[正法寺山荘 遺構・復元物]
城郭と寺院二つの顔を持つ正法寺山荘☆
僧坊跡・土塁と虎口☆低めの土塁はさほど防御を意識した作りではない☆戦乱の世に明け暮れる世にあってもこの砦は連歌師・柴屋軒宗長がしばしば訪れ詩歌や茶の湯などを行なっていた☆
【見所】
①僧坊跡の土塁♪
②寺院跡?石垣♪
③城郭北側の削平地は広〜い♪
④石組みで出来た排水♪
2019年02月24日 GAGA関白百万石
正法寺山荘
正法寺山荘は永正年間(1504〜1521)に関盛貞によって築かれた山荘です。
すぐ横を流れる小野川を天然の水堀としています。
正法寺山荘を築いた関盛貞は、「急がば回れ」を唱えたことで知られる宗長と親交が深く、宗長は何度もここを訪れています。
正法寺山荘は寺院(正法寺)と別荘を兼ねていましたが、織田氏の伊勢進攻に対抗する砦にするためか、土塁や空堀などの防御施設もあります。
とはいえ、土塁や切岸が低いなどとあまり防御力はなく、いざ実戦では役に立たなかったと思われます。
その他には、寺院らしく池の跡や溝などの遺構も見られます。
亀山や関宿へお越しの際は、ぜひ訪れてみられることをおすすめします。
2018年05月13日 課長大和守Ver.B
正法寺山荘
旧東海道関宿より北の羽黒山と鈴鹿川に囲まれた地に位置します。
道中は狭い道ですが古びた案内看板もあり、駐車スペースもありました。
国史跡に指定されていることもあり綺麗に整備され遺構も見易いですが、一段下がった削平地は藪化していたので見学の際は注意が必要です。
地元では桜の名所らしいので春先は人が多いと思いますが訪問時は貸し切り状態でした。
正法寺山荘の周辺スポット情報
僧坊跡(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
中央土壇(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
新所城(周辺城郭)
鈴鹿関(周辺城郭)
小野城(周辺城郭)
小川城(周辺城郭)
織田信孝墓所(寺社・史跡)
東海道坂下宿 大竹屋本陣(寺社・史跡)
東海道坂下宿 梅屋本陣(寺社・史跡)
東海道坂下宿 竹屋脇本陣(寺社・史跡)
東海道坂下宿 松屋本陣(寺社・史跡)
東海道坂下宿 一ノ瀬一里塚(寺社・史跡)
公衆トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
休憩所(関連施設)
しょうぶ池(その他)
関盛貞によって、永正(1104~)の始めに築かれた山荘で、4棟の建物跡・排水溝・井戸など様々な遺物が出土し、戦国武将の砦を兼ねた山荘跡として重要な遺跡です。
昭和56年1月に国の史跡に指定されました。