長野氏城館(ながのしじょうかん)

長野氏城館の基本情報

通称・別名

長野氏城館[長野城・東の城・中の城・西の城]

所在地

三重県津市美里町桂畑他(地図は長野城を示す)

旧国名

伊勢国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

長野祐藤[長野城]

築城年

文永11年(1274)[長野城]

主な改修者

主な城主

長野氏[すべて]、細野氏[東の城・中の城・西の城]

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切[すべて]

指定文化財

国史跡(長野氏城跡)

再建造物

碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

鹿伏兎城(三重県亀山市)[10.8km]
安濃城(三重県津市)[11.1km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[11.3km]
宮山城(三重県津市)[12.1km]
福地城(三重県伊賀市)[13.2km]
家城城(三重県津市)[13.6km]
正法寺山荘(三重県亀山市)[14.0km]
上津部田城(三重県津市)[14.5km]
津城(三重県津市)[15.5km]
亀山城(三重県亀山市)[15.8km]

長野氏城館の解説文



長野城(ながのじょう)は、三重県津市美里町桂畑にあった中世の日本の城(山城)。

構造 

標高520mの山頂に位置し、付近の標高230mの丘陵尾根には東の城・中の城・西の城が築かれていた。伊賀道に面した交通の要衝にあり、堀切と土塁に囲まれた郭が点在する。主郭の台状地の三方には土塁を巡らし、さらに周囲には階段状の腰曲輪があった。

歴史 

工藤祐藤によって文永11年(1274年)に築城され、長野工藤氏の拠点とされた。貞和2年(1346年)に北畠氏に攻められて落城したが、文和元年(1352年)に再び工藤氏が入っている。延文5年(1360年)には室町幕府に反乱した仁木義長が逃げこみ、追討軍に対して2年以上籠城を続けた。

永禄12年(1569年)に織田信長が侵攻すると、弟の織田信包を工藤氏の養子として和睦した。信包は元亀元年(1570年)に上野城を居城とし、長野城を廃している。1982年1月16日、付近にある「東の城」「中の城」「西の城」の跡とともに「長野氏城跡」として国の史跡に指定された。

参考文献 

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(24.三重県)』、角川書店、1983年

長野氏城館の口コミ情報

2024年07月02日 RED副将軍
小野氏城[長野氏城館  周辺城郭]



石垣で固められた虎口が特徴的な小野氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代等の詳細不詳。在地土豪である小野氏の居城とされ、城主の名に小野弥右衛門が伝わる程度です。

見所
伊賀特有の単郭方形で周囲を高さ4~5m程度の高土塁が巡ります。
特徴的なのは虎口が石垣で固められており、土塁基部にも土留めの石垣が築かれています。
伊賀には幾つか石垣が残る城館がありますが、石垣の規模はトップクラスと思います。

比高もなく、ロードサイドにあるため気軽に訪れることができます。

2024年05月12日 刑部卿スーさん
長野氏城館



geoglemapで探すと520mのやまにある本丸(詰めの城)ではなく、少し離れた丘陵にある東の城、中の城、西の城の方が出てきました、入り口に説明板はあるのですが、入り口は草ボウボウ 道はありますが木が倒れたまま放置されてて歩きにくく、獣を捕まえるオリのようなものが放置されてました。土塁や堀、石垣も少しあってかなり広大な城というのはわかります。津市でもう少し道を整備してくれたら、回ってみたいと思う城です。本丸への入り口の表示は見つけられませんでした車は少し離れた長野宿の看板の所に止めました。

2023年10月31日 百済門徒衆修理大夫とら
津市美里ふるさと資料館[長野氏城館  関連施設]



長野氏城館の縄張り図が載ったパンフレットが貰えます。館内には長野氏城館の模型等が展示されています。

2023年10月31日 百済門徒衆修理大夫とら
登城口[長野氏城館  その他]



この先の林道は落石と枝葉で荒れており通行止めの可能性が有ります。ここに車1台のスペースが有ります。

2023年09月02日 RED副将軍
阿波氏城(上の館)[長野氏城館  周辺城郭]



服部氏の一族とされる阿波氏の詰め城跡

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。室町時代に阿波氏によって築かれたとされます。
阿波氏は、服部氏一族と云われ、三国地誌には阿波越後守の名が残ります。
織田信長による伊賀攻めの際に落城した模様です。

見所
比高50mくらいの山陵に築かれており、頂部に主郭と西尾根の西出郭で構成されています。
主郭は西側を除く三方を高土塁が巡り、高土塁の内部には石積み認められます。
また、高土塁の南側には櫓台が形成され、南側背後の尾根筋は堀切で遮断されています。
西出郭へと続く主郭南西部には上り虎口が開口しており見所のひとつです。
西出郭は土塁壇が認められます。

北西麓には下の館と称される居館として機能した阿波氏館がありますので併せて訪城ください。

写真
①②主郭内部
③櫓台から主郭内部
④⑤主郭背後の土塁
⑥主郭背後の堀切
⑦上り虎口
⑧西出郭

2023年09月02日 RED副将軍
阿波氏館(下の館)[長野氏城館  周辺城郭]



服部氏の一族とされる阿波氏の居館跡

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代に阿波氏によって築かれたとされます。
阿波氏は、服部氏一族と云われ、三国地誌には阿波越後守の名が残ります。
織田信長による伊賀攻めの際に落城した模様です。

見所
服部川左岸に築かれた単郭方形の居館跡です。西側の服部川を天然の堀とし、残りの三方は土塁が巡り南側に虎口が開口しています。
現在も阿波氏の末裔の方がお住まいの現役の城館です。
南東側の丘陵には上の館と称される詰め城として機能した阿波氏城がありますので併せて訪城ください。

2023年08月29日 RED副将軍
安岡氏城[長野氏城館  周辺城郭]



ロードサイドにある切岸が見事な安岡氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等の城史は不詳。
在地土豪の安岡氏の居城と伝わります。
1578年からの織田信長による天正伊賀の乱においては、善戦するも最終的に落城したとされます。

見所
登城口から登り始めると直ぐにある削平地が屋敷跡と云われ東に土塁壇が確認できます。
その上の広い削平地が主郭とされ南側背後に土塁が配され、更に東側には三方に低土塁を付された櫓台があります。かなり鋭い切岸であり、砦程度の小規模城ですが見応えがあり、ロードサイドで気軽に訪れることができオススメです。

行き方は、国道163号沿いに県道668号との交差点から東へ約150mに行った所に登城口があります。

2023年07月29日 たまちゃん
長野氏城館



現状は車で本郭直下まで行けますが、崩れているところが複数あるので、大雨の後は通れなくなるかも知れません。鹿がいますので林道を歩く方は動物対策も。

2023年06月12日 RED副将軍
植田氏城[長野氏城館  周辺城郭]



背後に複雑な堀が残る伊賀特有の単郭方形の城郭🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等は不詳。伊賀の在地土豪である植田氏の居城とされます。
植田氏は、伊賀十二評定衆のひとつであり、天正年間の城主に植田光信、植田光次の名が伝わります。
植田光次は、1578年の織田信長による第一次天正伊賀の乱において、退却する織田信雄の殿を務めた柘植保重を討ち取ったとされます。
1587年の第二次天正伊賀の乱で敗れた植田光次は三河に落ち延び、徳川家康に仕えたとも、本能寺の変後に豊臣秀吉に仕えたとも伝わります。

見所
比高40mくらいの丘陵上に築かれ、伊賀特有の高土塁が巡る単郭方形です。
鋭い切岸の上に主郭の土塁は高さは最大約8mほどあり、北側に虎口が開口。
最大の見所は主郭背後です。お約束の大堀切がありますが端部は竪堀となり落ちている上に東側の竪堀は途中で二股に分かれている複雑なもの。一方は堀底道として利用されたのかもしれません。
単郭方形といえ、残存度が高くパーツのひとつひとつが大きいので見応えがあります。

行き方は、長泉寺を目標に設定。裏山が城跡となり谷筋を登っていくと広い削平地の中に巨大な城塁が現れます。
旧伊賀街道から橋を渡り、左手の山神公園の向かいのゴミ集積所辺りに駐車スペースがあります。

写真
①主郭背後の高土塁
②主郭背後の高土塁上から
③主郭の虎口
④⑤⑥主郭背後の堀切
⑦⑧二股に分かれる竪堀

2023年04月20日 RED副将軍
神地安城[長野氏城館  周辺城郭]



天正伊賀の乱において伊賀衆が織田信長を迎え撃つために築いた超マイナー城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。1578年から1581年の天正伊賀の乱において、伊賀に侵攻してくる織田信長の軍勢に迎え撃つ為に伊賀衆が築いた拠点と伝わります。

見所
丘陵先端部を削平した二段の切り込み郭です。周囲に腰郭を配し、伊賀特有の土塁囲みの単郭方形ではありません。見所は主郭背後の大土塁で土塁上は櫓台の様な空間となっています。伊賀でお決まりの土塁背後の堀切は見当たりませんでした。しかし、大土塁の高低差は7mにも及び切岸の鋭さもかなりのもの。主郭下の副郭には社が祀られていました。ただ、冬期でもヤブに大部分が覆われ写真は全く映えません。という事で★2です。手練れの城好きは心眼でご確認ください。

行き方は、さるびの温泉を目標に設定。南側の丘陵上が城域となります。登城口の案内板もありますので分かると思います。

2023年03月16日 RED副将軍
岩谷山城[長野氏城館  周辺城郭]



周辺の伊賀特有の城跡とは異なる陣城的な城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

同名の山城が東広島市にもありますが三重県伊賀市の岩谷山城です。

築城年代等の城史は不明。近隣には阿波氏城、植田氏城、重瀬氏城等の在地土豪の城跡が密集する地域であり、同様の土豪の城跡と思いましたが、明らかに単郭方形に高土塁の伊賀特有の城跡では無いため、伊賀に侵攻した織田信長勢の陣城の様に感じました。超マイナー城であり、情報の少ない城跡です。

見所
南北に連なる二つの郭で構成されています。北郭が一段高く土塁囲みであり主郭と思われます。北側と西側の土塁は3mほどの高さがあり、東側は急峻な斜面であるため土塁は低くなっています。南側には虎口が開口。南東角は明確な櫓台となっています。

南郭は西側に虎口が開口し大手と思われます。周辺の伊賀特有の高土塁に囲まれた単郭方形とは違うため、織田信長勢の陣城、または在地勢力の詰め城と思われます。

行き方は、阿波氏城から南西へ200mほど尾根筋を進んだ所にあります。槙野川に沿いの東海自然歩道から登ることもできます。いずれにせよ一切案内はありません。

2023年02月10日 近江守フロクニ
長野氏城館

桂畑川沿の道を進み、林道を進む事2.4kmで城の足元まで軽箱で行けました。林道は林道ですが路肩だけ気を付ければ普通車でも行けそうです。落石だけは注意です。今日は霧の中で何も見えなかったけど、天気が良ければ良い風景が楽しめると攻略後に寄った美里ふるさと資料館で聞きました。

2022年10月21日 RED副将軍
長野氏城館



登録地の長野城の口コミです。

伊勢国中部の有力国人であった長野工藤氏の詰城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

1274年、工藤祐長により築城された長野工藤氏の拠点。
工藤祐長は、鎌倉御家人であった工藤祐経の三男です。鎌倉殿の13人を視ている人には我が家坪倉の子といった方が分かりやすいでしょうか。曾我兄弟に殺された人です。1239年に伊勢国安濃と庵芸の二郡の地頭職を得たことにより子の工藤祐長が下向して長野氏を名乗りました。
南北朝時代には長野氏は北朝方に付き、南朝方の北畠氏と争い、1346年には北畠氏に攻められて落城。しかし1352年に再び長野工藤氏が取り戻した様です。
1558年、長年の長野氏と北畠氏との争いに講和が成立。北畠具教の次男である北畠具藤を長野藤定の養子に迎えて当主として家督を譲ることとで成立となりましたが、事実上は北畠氏の家督乗っ取りで長野氏は北畠氏の配下となりました。
1569年に織田信長が伊勢に侵攻。すると長野具藤は信長の弟の織田信包を養子として迎えることで和睦。長野氏一族である細野藤敦は織田信長に対抗したため一族で争いながらも、長野氏は織田信長配下となります。
1570年、織田信包は上野城に居城を移したため長野城は廃城となりました。

見所
長野氏城館跡として国史跡に指定。
標高520mの山頂に築かれた長野氏の詰め城。
小規模ながら残存度合いは良好です。
主郭北東部には大土塁があり、西側は低い土塁の先には段郭が連なります。
主郭の北東尾根は土塁や土橋などが残り、一番の見所です。

麓からの比高は360mほどですが主郭近くまで林道が付いてます。しかし落石がメチャクャ多いので途中から徒歩で登城しました。

2019年06月07日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
長野氏城館



山道からの渓流。川への滑落を注意しながら一本道。川から上がる冷風に流れる汗も体も冷やされる心地良さです。釣りができるかは不明(笑)

2019年06月07日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
長野氏城館



主曲輪。ここは詰城のようです。女や子供を隠す隠れ家的な役目かと思う。しかし、この電波塔が残念ですが、まずまずの景観です。軽四なら主曲輪下まで行けます。

2019年06月07日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
長野氏城館



主曲輪下の二の曲輪には駐車スペース何とか簡易トイレがあるけど入るのに勇気いりそうです。

2016年03月20日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
長野氏城館

伊賀守の称号取る為にこの城館に向かいました。恐怖体験の幕開けです(^o^;
163号線から桂畑文化センターに到着、北へ伸びる二股手前に長野氏城までの看板発見!やったーヽ(^o^)丿。坂道を進み高狭林道へ入る。車は軽四駆、道は舗装路から砂利道から悪道路になり崖下が覗けながら山頂に。途中崖ギリギリの道でかなり怖かった。
長野氏は曽我仇討ちの工藤祐経の子の祐長からこの地に来て長野氏を名乗ったそうです。抗争を繰り返し信包が入り上野城に移り1570年廃城となったそうです。
標高520m、本丸跡から一段降りた曲輪に城址。この下にも堅堀、横堀のような山道
あり。驚いたのなんの大要塞ですよ、ここは!(一人大興奮してました。)
1城10枚投稿ルールから載せられなかった写真があり見せられないのが残念です(>.<)
城址からの眺望は••すごいの一言。
歩きは1時間半、軽四駆で30分。登城はくれぐれも注意して下さいませ(^_^)/~


2016年01月04日 勝之助若狭守
長野氏城館

山頂の城郭には麓の美里町桂畑から林道を山の中へ入って行きます。車で10分ほど走ると分岐点と城跡の案内標識があるのでそこからさらに未舗装道を2.4km進みます。
道は狭く落葉などで滑りやすいので注意が必要です。分岐から先は更に要注意ですよ。
電波塔のある付近が山頂です。

もちろんトイレはありませーん。

長野氏城館の周辺スポット情報

 長野氏城(東、中、西の城)説明板と登城口(碑・説明板)

 長野城(東の城)(周辺城郭)

 長野城(中の城)(周辺城郭)

 長野城(西の城)(周辺城郭)

 阿波氏館(下の館)(周辺城郭)

 阿波氏城(上の館)(周辺城郭)

 植田氏城(周辺城郭)

 小野氏城(周辺城郭)

 神地安城(周辺城郭)

 曽我氏城(周辺城郭)

 天神城(周辺城郭)

 重瀬城(周辺城郭)

 中垣内城(周辺城郭)

 福地氏館(周辺城郭)

 平松東砦(周辺城郭)

 平松砦(周辺城郭)

 別府氏城(周辺城郭)

 安岡氏城(周辺城郭)

 岩谷山城(周辺城郭)

 今峯城(周辺城郭)

 榊原城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車スペース&トイレ(駐車場)

 忍者トレイル西教山登山口駐車場(駐車場)

 津市美里ふるさと資料館(関連施設)

 登城口(その他)

 登城口(その他)

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