亀山城(かめやまじょう)

亀山城の基本情報

通称・別名

粉蝶城、胡蝶城

所在地

三重県亀山市本丸町

旧国名

伊勢国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

不明

築城主

関実忠

築城年

文永2年(1265)

主な改修者

岡本宗憲、本多俊次

主な城主

関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀

指定文化財

県史跡(旧亀山城多聞楼)

再建造物

模擬塀、石碑、説明板

周辺の城

峯城(三重県亀山市)[4.6km]
国府城(三重県鈴鹿市)[5.2km]
正法寺山荘(三重県亀山市)[5.6km]
安濃城(三重県津市)[8.9km]
鹿伏兎城(三重県亀山市)[10.5km]
伊勢上野城(三重県津市)[11.1km]
神戸城(三重県鈴鹿市)[11.9km]
上津部田城(三重県津市)[13.1km]
采女城(三重県四日市市)[14.1km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[14.7km]

亀山城の解説文



亀山城(かめやまじょう)は、伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった日本の城。

概要 

別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)という。文永2年(1265年)に関実忠によって若山(現在の三重県亀山市若山町)に築城され、その後現在の位置に移された。江戸時代は東海道の要衝としてたびたび城主が変わり、石川氏の時代に幕末を迎えた。

歴史 

鎌倉時代から安土桃山時代

伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって伊勢国鈴鹿郡若山に築城された。神戸、国府、鹿伏兎、峯、亀山の各城を居城とする関五家の宗家の居城として重きをなした。その後、関氏の時代のうちに現在の位置に移され、永禄10年(1567年)の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となった。天正11年(1583年)には蒲生氏郷が城主となっている。天正18年(1590年)に、豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されたとされる。

江戸時代

江戸時代においては、亀山城は伊勢亀山藩の藩主の居城となった。江戸時代初頭には丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の間違いによって、天守を取り壊されている。またこの時期の亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用している。このように本丸はたびたび利用されていたため、城主居館は二の丸におかれていた。寛永13年(1636年)、城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、本丸北側には天守代わりの三重櫓を、天守を失った天守台には多聞櫓が築造された。

明治維新以降

明治維新以降は、明治6年(1873年)のいわゆる廃城令によって、ほとんどの構造物が取り壊された。このため現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るに過ぎない。ただ、多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例であり、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている[1]。また、二の丸御殿玄関は、西町の遍照寺本堂に移築されている。

21世紀

平成13年(2001年)より4月上旬に「亀山城桜まつり」が行われている[2]

平成18年(2006年)には亀山城周辺保存整備事業の一環として、二の丸帯曲輪および周辺部分が江戸時代末期の状態に復元された。翌平成19年(2007年)4月15日に発生した三重県中部地震により天守台の石垣の一部が崩落したが、崩落箇所は昭和47年(1972年)の台風被害の補修で新たに積んだ部分のみで、江戸時代初めごろに穴太衆(あのうしゅう)によって築かれた古い部分には一切被害はなかった。

平成23年(2011年)8月 - 平成24年(2012年)3月の間、多聞櫓の復元修理において破損箇所の修理の他、江戸末期の姿に戻すため板壁から漆喰壁にするなどの工事が行われた[3][4]。費用は約7800万円。

復元修理完了間際[5]の2012年12月14日夜、火災が発生し5-6m2が焼けた[6]。このため工期は延長、公開も延期された。

平成25年(2013年)4月7日、櫓の修復完成式典が行われ、一般公開が開始された[7][8][9]

アクセス 

  • JR(東海・西日本)亀山駅(関西本線・紀勢本線)から北へ徒歩で約10分。

亀山城の口コミ情報

2024年06月04日 わた
亀山城



6月2日リア攻めに訪れたところ、丁度ショウブ祭り開催中でその規模の大きさに驚きました。歴史資料館では日本書紀まで遡って通行の要衝であったことが強調されており、思わぬ発見ができた1日でした。

2024年05月27日 池田紀伊守信輝
遍照寺[亀山城  寺社・史跡]

亀山有数の古刹で、本堂は旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の木阿弥陀如来立像は県下を代表する鎌倉彫刻として県文化財に指定されています。また、本尊の両脇侍として安置されている木造観音菩薩坐像、木造勢至菩薩立像も鎌倉時代の貴重な作品として、県文化財に指定されています。さらに、遍照寺墓地には江戸時代の芸術家大月関平の墓(市指定史跡)があります。例年6月に人形供養が行われている寺です。

2023年12月27日 大宰帥苧環
亀山城



亀山駅から徒歩で10分ほど。道は新しく、歩きやすいです。列車の待ち時間に最適。石垣がきれい。

2023年07月18日 bombaye 左兵衛督
亀山城

石垣はよく残っている。説明看板によれば、地震で崩れたものを修復したらしい。

2023年05月23日 OK☆越前守☆STYLE
亀山城



基本大きな公園です。多門櫓の石垣はいい感じ。

2023年05月02日 鳥栖大蔵卿
亀山城



公園になっており、池があり、遊具があり、広場があり、高台でいい感じでした。櫓一つですが、石垣がしっかり見ることができました。

2022年11月12日 RED副将軍
亀山城



多聞櫓は三重県で唯一現存する城郭建造物🏯
天守は丹波亀山城と間違えて破却された伝承が有名✨

オススメ度 ★★★★⭐︎

1266年に関実忠により築城した亀山古城が始まりとされます。
関氏は、伊勢平氏の系譜で戦国期は織田信長、豊臣秀吉に属し、蒲生氏郷の与力大名として各地を転戦。1590年の小田原征伐後に蒲生氏郷に従い白河に転封となるまでこの地を支配しました。
その後、岡本宗憲が入封し現在の近世城郭が築かれました。
天守も築かれた様ですが、1632年頃に丹波亀山城の天守破却命令を堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を破却してしまったとの伝承があります。
岡本宗憲は関ヶ原合戦で西軍に属したため改易となり、その後は多くの大名が入れ替わって入部しました。
1744年に石川総慶が備中松山より入部すると石川氏が11代続き明治維新を迎えました。

見所
現在、天守台上には間違えて破却された天守の代用として築かれた多門櫓が残っています。三重県で現存する唯一の城郭建造物。
天守台石垣は転用石も使われており、なかなかの高さです。

2022年09月24日 世界左京大夫三郎太
多聞櫓[亀山城  遺構・復元物]



旧亀山城多門櫓。多門櫓は亀山藩主が石川氏であった18世紀後半に建築され建築部材から見つかった「惣武具」や「武器蔵」といったもじから当時は武器庫として使用されていたと考えられています。内部は土間でしたが前身となる建物の礎石痕が見つかり保護のため板床が設置されています。

2022年07月24日 【城郭道】たっきー
帯曲輪(おびくるわ)[亀山城  碑・説明板]



【亀山城二の丸帯曲輪】
亀山城の二の丸の北辺にある小規模な曲輪です。三重櫓跡付近の園路から近づくことができます。2006年に復元整備された場所で土塀、埋門跡、二の丸御殿の礎石などがあり、説明板も設置されています。
多門櫓からも近いのでぜひ行くべきかと。少し歩いて外から見るのもおすすめ。

2022年03月17日 おっちゃん868号
亀山城



現在は多聞櫓、石垣、土塁、堀の一部が残っているのみ。東海道五十三次に歌川広重が描いた亀山城に思いを馳せる。

2022年03月01日 山城守さとぴ~
亀山城



一部の土居や多聞櫓は2007年の三重県中部地震で壊れたので復元されてます。

2022年01月11日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
亀山城



現在は公園化が進み、遺構も、ごくわずかしか見られませんが、復元された櫓や高石垣など、見る要素が多いので、行き甲斐があります。

2021年05月03日 横山日向守忠篤
亀山城



櫓と石垣は、見所ありますがそれ以外は遺構があまり見られませんでした。
櫓のある場所から少し入った所のテニスコートの側に駐車場がありますのでアプローチは容易ですね。

2021年02月09日 オミト河内守
亀山城



城内の大半が学校や役所などに転用されていますが、石垣と多聞櫓は当時から場所を変えていないようです

2020年12月19日 ばらく~だ
亀山城

御城印はJR関西本線 関駅の駅舎内売店で入手できます。以前は亀山駅前の観光協会で入手できたそうですが、入居していたビルの建て替えのため、移転したそうです。

2020年09月25日 かわっく右近衛少将
亀山城

雨の亀山城も雰囲気あります。
晴れの日とは違う趣きがあるものですね!

2020年09月24日 伊勢守ヒロピン
亀山城

多聞櫓の有る中心部だけでなく城下町も歩いて欲しい☺️江戸時代の城下町と東海道が想像できる👍

2020年04月19日 【城郭道】たっきー
与助井戸[亀山城  遺構・復元物]



与助井戸。多聞櫓の石垣より亀山神社側にあり、説明板が立っています。是非、確認していってください。

2019年08月26日 首藤但馬守通宗
伊勢亀山藩家老加藤家屋敷長屋門[亀山城  遺構・復元物]

土日祝日のみ見学可能(無料)

2019年08月26日 首藤但馬守通宗
亀山古城[亀山城  周辺城郭]

看板があり、それらしき小山もある

2018年11月01日 金森出雲守
亀山城

市立博物館の城下町模型は一見の価値があります。受付で頼むと城のスタンプを押させてもらえます。

2017年11月09日 織田上総介晃司
亀山城

西出丸の駐車場(無料)を利用。

多門櫓は三重県下では数少ない現存建物です。その内部も一般公開されてます

私が以前、本で見た多門櫓は下見板張りだったので白漆喰の多門櫓には違和感を感じましたが、「平成の大修理」で築城当時に復原(※)したそうです。

亀八食堂で「亀山みそ焼きうどん」を食べました。
肉とうどんを注文して自分で焼いて食べるのですが、これが美味い。みそなので焦げ付きには注意してください。

※復原…現存している建物などを改修で変更される以前の姿に戻すこと

復元…失われた建物などを史料に基づいて当時の姿を再現すること

だそうです。



2017年05月21日 青コアラ美濃守
亀山城

城の痕跡を探すブラタモリ的な街歩きを楽しみたいなら、まず亀山市歴史博物館に行く事をお勧めします。現在の航空写真とかつての城域を重ね合わせた地図が手に入ります。街のあちこちに説明板や標柱が立っているので、それを探しながら歩くのも楽しいです。

西之丸の青木門跡は、今でも道がクランク状になっていて、かつて枡形門があった名残りがあります。
ここから北へ行くと重臣の加藤家屋敷の長屋門があり、さらに西へ行くと外堀の一部が復元してあります。

ちなみに現在見られる遺構はいわゆる近世亀山城のもので、信長の伊勢進攻時の城は亀山古城と呼ばれ、歴史博物館の南に石碑と説明板があります。
博物館の入口の前の道を南に下り、左側の一本目の筋を入ってすぐの所ですが、正確な城域は特定されていないようです。

2016年09月08日 まるき〜陸中守
亀山城

亀山城の見どころである多聞櫓は三重県では数少ない現存建物

2012年に新たに改修されたようで改修前の写真と改修後の写真が入り混じってますね…フォト
今の多聞櫓は江戸時代の頃を再現していて、外壁は真っ白!
その外壁も一部の心無い人の仕業なのでしょうか足で蹴ったような穴ボコがありました…。
内部は最低限の簡素な壁土の塗り方がされていて凸凹!
こんな櫓内部は珍しいかも〜
ここも改修工事後、原因不明の出火(放火?)がありその時の柱も展示されていました…

隣接する学校グラウンドから仰ぎ見る石垣はなかなかの迫力で空に向かってそびえ立つようでしたよ(^◇^;)

三重櫓跡、二の丸帯曲輪、埋門跡のある場所は
ますみじとうえん
と言う公園になっていて機関車とセスナ機が展示されていました…
(悲しくなる程オンボロでサビサビすが)

近くに無料の駐車場がありますので是非!
多聞櫓 入場無料


2016年06月27日 如月宮内大輔瓶割中
亀山城

近くにある亀山市博物館は6月27日から7月1日まで、休館になってました。

2014年06月17日 VINO-S
亀山城

多聞櫓の内陣への開門時間は土日の10時から16時外壁は白と築城時の状況に

2012年12月18日 半月民部少輔虎陵
亀山城

先日の火災の影響で、多聞櫓の修理完了が年明けにずれ込むとのことです。作業員の方々が帰った後のことなので不審火の可能性があるということです。もし放火だとしたら、強い憤りを感じます。

2012年12月16日 半月民部少輔虎陵
亀山城

多聞櫓は、数日前に火災で床と柱の一部を焼いてしまいました。貴重な文化財なので大切に守り伝えていきたいものです。また、亀山市のHPによれば多聞櫓は、江戸時代末期の建築当初の姿に戻されるということで修復前と修復後では外観が大きく変わっています。

2012年09月22日 尾張守ひろっちぃ
亀山城

伊勢亀山多門櫓まさかの工事中。ちゃんと下調べしてから来るべきだった。無念

2010年11月15日 三河守コーキしゃん
亀山城

多聞櫓もいいですが二ノ丸帯曲輪の埋門も良かったです

亀山城の周辺観光情報

遍照寺

亀山有数の古刹で、本堂は旧亀山城二之丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像、木造観音菩薩坐像などは県下を代表する鎌倉彫刻として県文化財に指定されています。

加藤家長屋門・土蔵

加藤家は江戸時代後期の亀山城主石川家の家老職を務めた家で、亀山城西之丸に屋敷地を賜りました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されています。

情報提供:亀山市市民文化部観光振興室

亀山城の周辺スポット情報

 西の丸(遺構・復元物)

 西出丸跡(遺構・復元物)

 伊勢亀山藩家老加藤家屋敷長屋門(遺構・復元物)

 与助井戸(遺構・復元物)

 築山(遺構・復元物)

 二之丸御殿の礎石(遺構・復元物)

 土塀(遺構・復元物)

 太鼓櫓跡(遺構・復元物)

 東三の丸跡(遺構・復元物)

 多聞櫓(遺構・復元物)

 石坂門の石垣(遺構・復元物)

 青木門跡(碑・説明板)

 羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡(碑・説明板)

 亀山城本丸東南隅石垣と多聞櫓(碑・説明板)

 亀山城及び城下の歴史まちづくり案内(碑・説明板)

 亀山城三重櫓跡(碑・説明板)

 二之丸帯曲輪(碑・説明板)

 二之丸帯曲輪及び周辺整備事業(碑・説明板)

 帯曲輪(おびくるわ)(碑・説明板)

 大手門跡(碑・説明板)

 石井兄弟敵討碑(碑・説明板)

 亀山古城(周辺城郭)

 家老名川大右ヱ門氏屋敷(周辺城郭)

 亀山神社(寺社・史跡)

 本宗寺(寺社・史跡)

 亀山八幡神社(寺社・史跡)

 守口遺跡(寺社・史跡)

 亀山宿高札場(寺社・史跡)

 遍照寺(寺社・史跡)

 しぼりや(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 亀山公園(関連施設)

 亀山氏歴史博物館(関連施設)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore