神戸城(かんべじょう)

神戸城の基本情報

通称・別名

本多城

所在地

三重県鈴鹿市神戸5-10他

旧国名

伊勢国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

複合連結式[5重6階/1580年築/解体]

築城主

神戸具盛

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

神戸信孝、本多忠統

主な城主

神戸氏、石川氏、本多氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀、移築櫓、移築大手門

指定文化財

県史跡(神戸城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

采女城(三重県四日市市)[5.8km]
国府城(三重県鈴鹿市)[6.8km]
浜田城(三重県四日市市)[10.2km]
伊勢上野城(三重県津市)[10.2km]
峯城(三重県亀山市)[10.4km]
亀山城(三重県亀山市)[11.9km]
茂福城(三重県四日市市)[14.7km]
安濃城(三重県津市)[15.9km]
菰野城(三重県三重郡)[16.1km]
上津部田城(三重県津市)[16.5km]

神戸城の解説文



神戸城(かんべじょう)は、三重県鈴鹿市神戸本多町にあった日本の城。江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれた。

概要 

神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に修築された。城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入った。

その後一時期天領となった時期もあったが、慶安3年(1650年)、石川総長が1万石で当地に封じられた。享保17年(1732年)には本多忠統が2万石で封じられ、城を修築し入城した。以降明治維新まで、本多氏7代が居城として用いた。

本丸には野面積みの天守台があり、かつては神戸信孝により5重6階の天守が築かれ、北東に小天守と南西に付櫓がある複合連結式の天守であったことが確認されている。天守は文禄4年(1595年)に解体され、桑名城に三重櫓として移築され神戸櫓と呼ばれた。現在城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられている。

遺構 

城跡は公園として整備され、本丸の石垣および堀の一部が残る。1937年(昭和12年)に、三重県の史跡に指定されている[1]

現存する建物として、市内東玉垣町の蓮花寺の鐘楼として移築された二の丸太鼓櫓、および,四日市市西日野町の顕正寺に移築された大手門がある。

城下の龍光寺には、神戸城主の本多忠統が建てた書院(坐忘亭、県指定有形文化財)がある。

神戸城の口コミ情報

2024年07月11日 ぺこたん副将軍
神戸城



街中にある公園石垣が綺麗です。ただ分かりにくいです。

2023年10月05日 RED副将軍
高岡城[神戸城  周辺城郭]



神戸城の支城で神戸氏の家老である山路弾正の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。弘治年間(1555年〜1558年)に山路弾正により築かれたとも云われます。
山路弾正は神戸城の神戸友盛の家老であり、北方の守る神戸城の支城として機能した様です。
1567年と翌1568年の二度に渡り織田信長からの侵攻を受けるも落城せず、最終的には織田信長の三男である織田信孝を神戸家の養子にすることで和議を結んだとされます。
しかし、1571年には更に勢力を拡大した織田信長は、神戸友盛に隠居を命じて幽閉し、神戸信孝(織田信孝)に家督を譲らせます。主君の不遇に山路弾正は謀反を企てたるも失敗し自刃。
その後、高岡城には神戸信孝の異母兄弟にあたる小島兵部が城主となったとされます。
本能寺の変で織田信長が没し、清洲会議で後継者に指名され無かった織田信孝は、岐阜城に入ります。城主が空いた神戸城には小島兵部が入城したため、高岡城は廃城となったと考えられています。

見所
鈴鹿川北岸の標高50mの丘陵上に築かれています。
公園、耕作地となりかなり改変を受けています。
山上までの途中の道沿いに空堀がありますがヤブ化していました。(写真⑥)

高岡城跡公園となっており道はかなり狭いですが山上まで車で登ることができます。山上には広い駐車場があります。

2023年09月30日 桜井太政大臣静龍
神戸城

神戸城、今現在(2023年9月末)駐車場は工事中で臨時駐車場には6台止められる状況でした。土曜日は昼には満車になるので平日がおすすめかな。臨時の駐車場からも直ぐ上がれます。今は彼岸花が沢山咲いています。

2023年09月26日 ひーやん
神戸城



神戸城に行くには、神戸公園の駐車場に停めることができます。現在は12月14日まで公衆トイレ改築中の為、使えませんがすぐ近くの場所に5台程度停めれる駐車場があります。小ぶりの天守台ですが、野面積みの石垣は実物ですよ!

2023年04月01日 鳰丹波守️⬜
神戸城



神戸公園の中に石垣がありました。何台か車を停めるスペースもあります。周辺の道が狭いうえに、住宅地の中にあり、たくさんの子供が遊んでいるので、車で行かれる方は最徐行で。

2022年07月20日 【城郭道】たっきー
伊勢国分寺跡[神戸城  寺社・史跡]



伊勢国分寺、三重県鈴鹿市。
741年に聖武天皇が建てるように命じた官営寺院です。1922年10月12日に国の史跡に指定。2020年3月に歴史公園として完成されました。鈴鹿市考古博物館の隣で石碑、説明板、休憩施設などが建ち、のどかな史跡公園として存在しています。博物館からは伊勢国分寺跡を一望することができます。

かつての姿を想像しながら歩くことをお勧めしますよ。ついでに他の地域の国分寺も行くと良いと思います。

2022年05月25日 
神戸の見付[神戸城  遺構・復元物]



口コミが投稿されていないのも寂しかろう。見附の名前通りです。見附とは、見張り番のいた場所との意味。江戸城の見附のように城の番であれば、相当離れてるので広ーい神戸城?と興味深々。半分地元でありながら伊勢街道を知らなかった。というよりも、東海道同様伊勢街道も狭い。なおかつ神戸城の近隣のため、曲がりくねってます。地元の人ご苦労様です。さて結論。神戸宿というのが伊勢街道にありまして、四日市市追分から分かれて一番目。そこに入るための門番だったようです。

神戸城近隣と同様歩いて散策してください

2022年05月18日 
家康公伊賀越後船出場所看板[神戸城  その他]



神戸城の生い立ちにも関係しないので、運営基準違反かな?信孝公と家康公は木曽義昌公離反じの接点もあり、なお通過時領内であろうから全く関係ないわけでもないと思いますので、神戸城のリア責めポイントに入れさせていただきたい。なお、船出場所も諸説あるようですので、確定場所かどうかは専門の先生方にお任せします。看板だけのため寂しい現地訪問となりました

2022年05月14日 
神戸城

狭い道が、迷路のようになっているのもわかりますので歩くといいですね。攻略は自動車で行ってしまうので、駐車場においてから歩くのがよろしいかと。高校敷地になってるのもあり、こじんまりしてしまってますが、当時は大きかったのかな?天守台はどう見ても5層は立てれない気がしますが。

2022年04月18日 RED副将軍
神戸城



市街地の中に天守台の石垣が残存しています✨

オススメ度 ★★★★⭐︎

在地有力土豪の関氏一族である神戸氏の居城。1550年頃に4代の神戸具盛がこの地に移ってきて築いたと伝わります。1568年、織田信長の侵攻を受け、信長の三男である織田信孝を養子に迎えることで和睦。事実上、信長の傘下に属します。1580年には、金箔の瓦を用いた五重の天守を建造。

しかし、1582年の本能寺の変で信長が没すると、信孝は岐阜城に移り、秀吉と対立。最終的に謀反の口実を作られ、反秀吉の柴田勝家、滝川一益と挙兵するも自刃に追い込められてしまいました。江戸時代になると、一柳氏、石川氏を経て、本多氏の治世が7代約140年間続きました。

見所
本丸に天守台石垣、土塁、水堀が残ります。かつては五層の天守があったと伝わりますが、天守台は小振りで本当にあったのだろかと疑ってしまいます。現代なら明らかに建ぺい率、容積率オーバーの違法建築と思います。

神戸公園として整備され、駐車場も完備しています。

2022年02月28日 583系備前守きたぐに
神戸城



近鉄鈴鹿市駅から徒歩10分。JR関西本線河曲駅から徒歩35分。曲げた道と武家屋敷の名残の住宅街で、城が見通せない。突如現れる野面積みの天守台の石垣は感動もの。隅部は一応、算木積み。かつては黄金の瓦葺の五重の天守があったとのことで驚きです。さすが、信長の実子が改修しただけのことはあると思います。城全体として土作りの部分が多く、濠の腰巻石垣も当時から腰巻きだったものを現代に改修したのか、当時は腰巻きでなかったのかわかりません。

2022年02月27日 兵部卿スーさん
神戸城



住宅街の中の平城です。住宅街の中をクネクネと曲がって、🅿️に着いたら、ほぼ満車💦 公園に来ている人たちの車🚗が。天守台の野面積み石垣はよかったです。土塁や堀も見られました。

2022年01月24日 ばらく~だ
神戸城



神戸城の見所は、やはり天守台石垣だと思います。自然石を組み合わせた野面積みですが、荒々しい見た目ながら、崩れることなく400年以上その形をとどめていることに感心させられます。

2021年04月15日 課長大和守Ver.B
沢城[神戸城  周辺城郭]



沢城は1367年関盛澄が築城後4代にわたり神戸氏が拠点とした神戸城の前身の城です。

現在は会社敷地の一角に石碑と説明板があるのみですが、当時は広い沼地に楕円形の主郭と多数の郭があったようです。
現在でも周辺は水田地帯ですので浮島形態の城だったのかもしれません。

神戸城からすぐ近くに位置していますので併せて訪問されると良いと思います。

2020年12月06日 てるちゃん
神戸城



住宅地の細い道路を通り、神戸高校にたどり着いたら、隣の神戸公園の駐車場です。
天守台から覗き見る石垣が何とも言えず良い具合。

2020年11月23日 そらそら伊勢守
神戸城



住宅街の中で、Yahoo!カーナビで行くと、初め車で通れない道を教えてくれたので、少し歩いてみたら、南側にちゃんと駐車場がありました。神戸公園の真ん中に城跡、石垣が残されています。ゴロゴロした大きめの石を大胆に積んである印象でした。

2020年07月29日 織田上総介晃司
神戸城

駐車場とトイレ有ります。

ナビで神戸公園又は神戸高校でセットするとたどり着けます。
住宅地の中にあり道幅は狭いので運転には気をつけてください。

鈴鹿市といえば二輪・四輪、国内外のレースが行われる鈴鹿サーキットがあります。
特にF1と8耐が有名。

実は2度F1を見に行ってます(1993年と2005年)
アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ミハエル・シューマッハなど名ドライバーの走りを生で見れてめちゃくちゃ興奮してたのを思い出します。

2016年04月23日 まー刑部卿
神戸城

神戸城への案内表示はされてません。現在は神戸公園として整備されてます。天守台の石垣、本丸の土塁、堀も縮小されていますが残ってます。城跡が住宅地の中にあるため道路は一台分ほどの幅です。
駐車場は有ります。

2016年01月12日 ソバッソ80.0
神戸城

かんべ城に行って来ましたー
成り立ちは詳しくないので、現在の城郭について書きます。

現在遺構としてドカンと残ってるのは、本丸跡と天守台跡。なかなか立派な土塁と石垣でした。
石垣の天守台に使われている石が丸こい大きい物が多かったのが印象に残ります。滋賀の大溝城跡みたいな感じ。(河川もしくは湖なんかにあるような石ばっかりやったんで、もしかしたら鈴鹿山脈から採掘したものではなく鈴鹿川上流?)

神戸公園として整備されてるのですが、そのすぐ隣りが神戸高校です。二の丸かな。水路がその周囲にありまして、恐らく堀跡ではないかと。
ひとまず一周しましたが、民家の周りなんで怪しまれないようにご注意を。

神戸公園は高校生や近所の方の憩いの場のようです。天守台のベンチで高校生カップルがイチャイチャしておりました。

賛否あるとは思いますが、個人的には城跡の良き活用方法かと思います。地域のシンボルとして今も神戸城は健在でした。

2013年05月29日 startrek
神戸城

二の丸二重櫓の鯱が市役所ロビーに展示されています。

神戸城の周辺スポット情報

 天守台(遺構・復元物)

 旧太鼓櫓(遺構・復元物)

 神戸の見付(遺構・復元物)

 土塁跡(遺構・復元物)

 神戸城(遺構・復元物)

 神戸城跡説明板(碑・説明板)

 高岡城(周辺城郭)

 沢城(周辺城郭)

 上箕田城(周辺城郭)

 須賀城(周辺城郭)

 木田城(周辺城郭)

 伊勢国分寺跡(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 神戸公園駐車場(駐車場)

 高岡城跡公園 (駐車場)(駐車場)

 神戸城櫓鯱市役所1階ロビー展示(関連施設)

 鈴鹿市考古博物館(関連施設)

 家康公伊賀越後船出場所看板(その他)

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