桑名城(くわなじょう)
桑名城の基本情報
通称・別名
- 扇城、旭城
所在地
- 三重県桑名市吉之丸3421-1他
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 梯郭式平城
天守構造
- 複合式層塔型[4重6階/1635年築/焼失(火災)]
築城主
- 本多忠勝
築城年
- 慶長6年(1601)
主な改修者
- 松平(久松)定勝
主な城主
- 本多氏、松平氏
廃城年
- 明治6年(1873)
遺構
- 曲輪、石垣、堀
指定文化財
- 県史跡(桑名城跡)
再建造物
- 蟠龍櫓(外観復元)、石碑、説明板
周辺の城
-
長島城(三重県桑名市)[3.1km]
茂福城(三重県四日市市)[8.8km]
小木江城(愛知県愛西市)[8.9km]
大野城(愛知県愛西市)[9.8km]
蟹江城(愛知県海部郡)[11.6km]
浜田城(三重県四日市市)[13.4km]
前田城(愛知県名古屋市)[14.7km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[15.6km]
松葉城(愛知県海部郡)[16.0km]
荒子城(愛知県名古屋市)[16.3km]
桑名城の解説文
[引用元:Wikipedia「桑名城」の項目]桑名城(くわなじょう)は、三重県桑名市にあった日本の城である。江戸時代は伊勢桑名藩の藩庁が置かれた。
【概要】
桑名市街の東端に位置し揖斐川に臨む水城である。城の北辺には東海道桑名宿「七里の渡し」があり、交通の要衝となっていた。歌川広重の東海道五十三次「桑名」に往時の城が描かれている。
城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華公園として整備されている。
平成15年(2003年)に国土交通省水門統合管理所を建造するにあたって、かつての蟠龍櫓跡に建てることとなり、蟠龍櫓を外観復元した。二重櫓であり、1階は水門管理所となっているが、2階は桑名市所管の展望台兼資料室となっている。
【沿革】
戦国時代の桑名の地には土豪が蟠踞(ばんきょ)し伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城の桑名三城と呼ばれる城があった。現在の桑名城は東城があった辺りであり、永正10年(1513年)に伊藤武左衛門が城館を築いたのが桑名城の起源と考えられている。天正2年(1574年)織田信長がこの地を征し、部将の滝川一益が三城を配下に置いた。その後、豊臣秀吉の時代になると神戸信孝、天野景俊、服部一正、一柳直盛、氏家貞和、松平家乗と支配者が目まぐるしく入れ替わった。
関ヶ原の戦い後、覇者となった徳川家康は慶長6年(1601年)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じた。忠勝は入封直後、揖斐川沿いに城郭の建造を開始した。城には船着場も整備し、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞が立ち並んだ。また同時に城下町も整備された。築城開始当初には四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話がある。 元和3年(1617年)2代忠政は播磨姫路藩に移封となり、代わって松平定勝が入城。松平定重の時代、元禄14年(1701年)には桑名市街地の過半を焼く大火に遭い、この際に天守も焼失し以後再建はされなかった。
宝永7年(1710年)定重は越後高田藩に移封となり、代わって松平(奥平)忠雅が入城し7代続いた後、文政6年(1823年)に武蔵忍藩に移封となった。代わって松平(久松)定永が入城。先に高田に移封となった久松家の再入城となった。この際に藩祖である松平定綱(鎮国公)と実父松平定信(守国公)を祀る鎮国守国神社を城内に勧進した。 幕末には松平容保の実弟である松平定敬が藩主となり、京都所司代として兄と共に京都の治安を預かった。大政奉還の後の慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍と共に定敬も江戸に向かった。藩主不在の桑名城では抗戦か恭順か激論となり鎮国守国神社の神籤により上層部では抗戦と決定したが、下級藩士の猛反発にあい、結局は無血開城した。明治政府軍はこの際に辰巳櫓を焼き払い開城の証とした。
松平定信没後100年にあたる昭和3年(1928年)に本丸・二之丸一帯を整備し九華公園とした。昭和17年(1942年)には三重県の史跡に指定された。平成15年(2003年)には国土交通省水門統合管理所を建造するにあたって蟠龍櫓を外観復元した。
【遺構】
伝承では、了順寺(桑名市大福)の山門が城門を移築したものとされ、現存する。三の丸御殿は浄泉坊(三重郡朝日町小向)に移築され、現存する。その他の遺構としては、一部堀が残り、また、海沿いには石垣が残り、県史跡の指定を受けている。
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桑名城の口コミ情報
2021年01月23日 さっちゃん
桑名城
15時半頃に車で行きました。
駐車場は柿安の隣の駐車場に停めました。
お花見やお祭りで何回かきた事のある九華公園ですが、桑名城の城址を訪ねるという目的で来たのは初めてだったので、色々発見があって面白かったです。
城址は二の丸掘りの橋を渡ってすぐの鎮国神社の奥にありましたが、戊辰戦争で亡くなられた桑名藩士の碑が立てられていました。
そして、橋の近くにある花壇に、お城の石垣に使われていたのではないかと思われる石を発見。無常を感じました。
2020年09月03日 桜井静龍
桑名城
桑名駅前の桑名物産観光案内所でレンタル自転車をかりました。雨降ってたけ。途中で止みましたが。本多忠勝公像近くのチャリ置き場から直ぐのところからはなーにもなくて驚きましたが、少し周り歩くと水門が藩政時代の櫓を再現してたり、縄張りが残ってたり、明治以降ですが治水工事の頑張りがみられたりしました。
天気がよければ楽しめる場所でした。ちなみに店は昼前は軒並み閉まってました😅今時勢やしね。
2020年03月12日 安濃津伊勢守壱午
桑名城
遺構は少しだけ物足りないですが、水堀や水上に浮かぶ曲輪群、一部残る石垣や本多忠勝像は見ものです。水堀はとにかく幅が広い!忠勝はここで晩年を過ごしたと思うと感慨深いです。付近の旧東海道や七里の渡し、忠勝公墓所の浄土寺と合わせて訪れるのがお勧めです!
2019年03月22日 ドラガン尾張守店長
桑名城
東本願寺の桑名別院に寄りつつ、桑名駅から徒歩約30分。
東海道の要所、本多忠勝公の桑名城跡に着く。
見事な堀や縄張りは残るも、本丸跡には神社が建てられている。
近くには七里の渡しもあり、熱田の宮だけではなく、津島の佐屋にも航路が結ばれていたのを知る。
道すがら、焼き蛤や安永餅の店も多数あり、朝早く行ったのを悔やむ(^-^)
2018年05月19日 内大臣織田晃司
桑名城
九華公園(桑名城)の駐車場はありますが利用は17:00までです。
水堀と神社脇に天守台があります。
投稿写真の蟠龍櫓は九華公園から揖斐川方向に進み本多忠勝公像からさらに進み九華公園からは離れた場所に水門管理所として復元されてます。
木曽川、揖斐川、長良川が注ぎ込み常に水害との闘いの場。
桑名の焼き蛤食べたかった…
2017年05月04日 【単騎駆】右衛門督かげちゃん
桑名城
バイクは駐輪場に駐める事ができます。本丸跡のグラウンドで近くの中学校(高校?)野球部が練習試合やっていたので、本多忠勝さんもどっかで見ていたかもしれないです。
2016年05月29日 あきちぃ播磨守十兵衛光秀
桑名城
桑名の由来…桑名城のある九華公園の九華(きゅうか)を(くはな)と呼ぶようになったと説明板に書いてありました
2012年08月24日 野舘宮内少輔サラマンダー
桑名城
2012年8月24日8時10分頃(45分)
駐車場は辛うじて開いていた市民プールに停めました(後払い200円)
本丸にあたると思われる神社の裏手から入ってしまい、訳も分からず天守台とおぼしき石垣を撮影し、水堀をぐるっと回って時間切れ
投稿写真にある復元櫓等は全く分からず、中途半端に退散してしまいました…
城跡というより地域に根付いた憩いの水上公園という趣があり、小坊主君も亀やアヒルを見つけてテンションを上げていました
2011年05月16日 シャア専用ゲルググ尾張守
桑名城
天守台が残ってます
神社の隅にあります!
(プールと野球場の間)
2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
桑名城
[武将像]本多忠勝像
三ノ丸跡に鎮座。