長島城(ながしまじょう)

長島城の基本情報

通称・別名

松箇島城

所在地

三重県桑名市長島町西外面

旧国名

伊勢国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

藤原道家

築城年

寛元3年(1245)

主な改修者

伊藤重晴、菅沼定仍

主な城主

伊藤氏、滝川氏、菅沼氏、松平氏、増山氏、織田氏

廃城年

明治5年(1872)

遺構

移築門(蓮生寺)、石垣、堀

指定文化財

市史跡(旧長島城大手門)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

桑名城(三重県桑名市)[3.0km]
小木江城(愛知県愛西市)[5.7km]
大野城(愛知県愛西市)[7.9km]
蟹江城(愛知県海部郡)[9.7km]
茂福城(三重県四日市市)[11.4km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[12.6km]
前田城(愛知県名古屋市)[13.2km]
松葉城(愛知県海部郡)[13.8km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[14.1km]
荒子城(愛知県名古屋市)[15.1km]

長島城の解説文



長島城(ながしまじょう)は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)にあった日本の城。長島藩の藩庁が置かれた。

概要 

長島城の起源は、寛元3年(1245年)、藤原道家が館を築いたことにさかのぼる。文明14年(1482年)、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建された。元亀元年(1570年)、一向宗・願証寺の住職・証意(蓮淳の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となった。その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となった。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、清洲城に移った。

江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で当地に封じられ、長島城を改修し藩庁として用いた。元和7年(1621年)、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となった。

慶安2年(1649年)、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興された。元禄15年(1702年)には、4代将軍家綱の生母の弟増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き明治維新に至った。この間に城郭は順次拡大されたが、天守は上げられなかった。

明治5年(1872年)、廃藩置県と共に廃城となった。

遺構 

現在、城跡は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、遺構の大半は失われたが、東側に石垣および堀が残る。建造物としては、大手門が蓮生寺(長島町又木)に移築され現存する。奥書院が深行寺(長島町殿名)に移築されたが、平成5年に建て替えが行われ既に現存していない。また、長島中部小学校内に桑名市指定天然記念物の「大松」がある。この大松は本丸の西南隅にあったもので、樹齢三百数十年のクロマツである。

長島城の口コミ情報

2022年10月08日 RED副将軍
長島城



長島一向一揆の激戦地⚔
滝川一益の北伊勢支配の拠点でもありました。

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1245年に藤原道家が館を築いたのが始まりとされます。
1482年には北勢四十八家のひとりである伊藤重晴が再び築城しました。
1570年、一向宗の願証寺住職である証意が長島城を攻めて伊藤氏を滅ぼし、長島一向一揆の拠点とします。
1571年、織田信長は大軍で長島城を攻めるも落とすことができず撤退。退陣の際に殿を勤めた氏家卜全は討死します。
1574年、三度目の攻略により長島城は落城。その後、滝川一益が城主として北伊勢を支配しました。
織田信長の没後の1583年、滝川一益は柴田勝家に味方をし、羽柴秀吉と敵対。
柴田勝家が賤ヶ岳で秀吉に滅ぼされると滝川一益も攻められ所領は没収されました。
その後は、天野景俊、原胤房、福島正頼が入城しました。
1601年、福島正頼は大和国宇陀に転封となり、菅沼定仍が入封。
1621年、菅沼定芳が近江国膳所に転封されると長島藩は一時廃藩となりました。
1649年、久松松平氏の松平康尚が入封すると長島藩が再興。
1702年、増山正弥が入封すると増山氏が8代続き明治に至りました。
1872年、廃藩置県により廃城となりました。

見所
かつて堀であった長島川に架かる大手橋の橋脚の一部に石垣が残ります。
遺構は小中学校となりほぼ消失。
蓮生寺の山門には大手門の一部が残ります。

写真
①②大手橋の現存石垣
③蓮生寺の山門
④主郭跡の長島中部小学校
⁡⑤案内板

2022年05月27日 刑部卿スーさん
長島城



城跡には現在長島中部小中学校が建っているので、校庭に入るわけにはいかず、説明板がその近くに立っています。大手門が近くの蓮生寺に移築されているようです。城跡に建っているせいか中学校の校門が城門のようで素敵です。校舎の上には天守っぽいものも。

2022年02月07日 ファン掃部助トム治郎
長島城



長島駅から長島川沿いに南下していくと中学校が旧長島城です。神流川で命からがら生き延びた滝川一益がよくここまで帰ったなぁ。そこからすぐに願ショウ寺あり、さすがに本願寺も加賀と長島、石山に分散されていてはかなわないよなぁなんて考えながら木曽川を越し弥富駅まで歩きました。

2021年12月04日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
二間城[長島城  周辺城郭]



築城時期、築城主等、詳細は不明。永禄〜元亀年間頃には、城があったとされている。天正二年(1574)の『長島一向一揆』の際、信長軍が当地で野営して、船で長島へ渡ったと伝わる。

現在城跡は、イオンタウン弥富の西側の端辺りとされ、西側端辺りに高低差があるが、ショッピングモール建設時の造成によって出来たものと思われる、住所には、弥富市五明町二間城と城跡の痕跡が残っている。

2021年08月15日 ばらく~だ
長島城

長島城は、長島輪中(周囲を堤防で囲まれた中洲) に築かれた城だったため、かなり攻めづらかったと思われます。
長良、揖斐川の対岸の桑名城、蟠龍櫓前にある『宝暦治水』の案内板に江戸時代以前の長島周辺の川の流路が載っているので、信長が苦戦した理由が分かるかもです。

2021年06月17日 北風
長島城



信長を苦しめた一向一揆の牙城と言うイメージはありません。R1やJR、近鉄が横断して交通に支障ないようですが、やはり佐屋町以南は伊勢湾に浮かぶ島々だったのですね。小学校の入り口の標識は伊勢湾台風の洪水時の水位で2階も丸かぶりです。周辺の集落も石垣基礎です。

2020年11月08日 芦屋能登守虎吉
長島城



長島駅から徒歩十分弱、長島川沿いの小学校が本丸跡です。遺構は少なく、校庭横の大松が往時の名残りとか。近隣の蓮生寺に大手門が移築されており、長島一向一揆の拠点・願證寺(但し、移築後の場所)も歩いてすぐです。

2020年08月22日 そらそら伊勢守
長島城

長島中部小学校の門前に、長島城跡の説明板があります。小さな川沿いで少し狭いですが、駐車場はあります。

2019年06月02日 鹿化伊勢守大神
堀跡と大手橋両詰橋下石垣[長島城  遺構・復元物]



堀跡の長島川。大手橋の下両側には当時の石垣が残る。

長島城の周辺スポット情報

 大手門(遺構・復元物)

 堀跡と大手橋両詰橋下石垣(遺構・復元物)

 深行寺 奥書院移築(遺構・復元物)

 長島一向一揆殉教の碑(碑・説明板)

 長島の大松(碑・説明板)

 又木茶屋(碑・説明板)

 長島城説明板(碑・説明板)

 屋長島城(周辺城郭)

 小田御崎砦(周辺城郭)

 二間城(周辺城郭)

 篠橋城(周辺城郭)

 願證寺(寺社・史跡)

 やすらぎパーク 公衆トイレ(トイレ)

 やすらぎパーク 駐車場(駐車場)

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