采女城(うねめじょう)

采女城の基本情報

通称・別名

北山城

所在地

三重県四日市市釆女町字北山

旧国名

伊勢国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

後藤基秀

築城年

文応元年(1260)

主な改修者

主な城主

後藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、枡形虎口、井戸

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

浜田城(三重県四日市市)[5.3km]
神戸城(三重県鈴鹿市)[5.8km]
茂福城(三重県四日市市)[9.9km]
峯城(三重県亀山市)[10.7km]
菰野城(三重県三重郡)[10.9km]

采女城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

采女城(うねめじょう)は三重県四日市市釆女町にあった城である。北山城ともいう。

遺構
足見川と内部(うつべ)川の合流地点の北方、標高約70mの丘陵上に位置する。

放射状に伸びる丘陵の尾根上に8つの曲輪を配し、それぞれの曲輪間は空堀や堀切で隔てられている。曲輪群の中心にある最も広い場所が主郭にあたり、その周囲は土塁に囲まれている。また北西隅には櫓台と推定される規模の大きい土塁が確認できる(『大系』、『週日』)。

城内に残る空堀は幅約10m、深さ約5mに及ぶ巨大なものもあるほか、高さのある土塁や枡形状の虎口など、数多くの遺構が現存している。

歴史
文応元年(1260)、後藤基秀が三重郡釆女郷の地頭となって一族郎党とともに移り住み、釆女山(北山)に築城したのが始まりという(『現板』)。他に、文治3年(1187)に後藤基清が築城したとする説もある。

その後、後藤家15代300年の居城として栄えたが、永禄11年(1568)に織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて落城、時の城主・後藤釆女藤勝は自害して果てた(『戦廃』)。

落城の際に、藤勝の妻や娘が身を投げた(『現板』)といわれる井戸が主郭に残っている。

交通
四日市あすなろう鉄道内部線内部駅から徒歩約15分

参考文献
『大系』:『日本城郭大系 第10巻』新人物往来社、1980年。
『現板』:采女城跡現地説明板。
『週日』:『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。
『戦廃』:『戦国の城を極める 廃城をゆく5』イカロス出版、2017年。

采女城の口コミ情報

尾張守だもんでさん[2019年04月06日]
道路脇に案内板があり、その近くに一台なら駐車できるスペースがあります。
かなり整備されていて、一部の堀には橋や階段がかけられています。
見所は主郭と2郭の堀や、2,3,4郭の間の虎口です。各郭を囲む土塁や8郭からの眺めもオススメです。

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