千種城(ちぐさじょう)

千種城の基本情報

通称・別名

所在地

三重県三重郡菰野町千草

旧国名

伊勢国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

千種顕経

築城年

永徳元年(1381)

主な改修者

主な城主

千種顕経、千種顕理

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(千種城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

菰野城(三重県三重郡)[3.2km]
上木城(三重県いなべ市)[13.4km]
浜田城(三重県四日市市)[14.1km]
茂福城(三重県四日市市)[14.8km]
峯城(三重県亀山市)[15.3km]

千種城の解説文

千種城は後醍醐天皇の忠臣であった千種忠顕(1346~1369)の子顕経が、永徳元年(1381)に鵜川原の禅林寺城から移転築城したといわれている。当城は京・近江から根の平峠を越えてくる「千草越え」の出口の位置にある。城の北側は自然崖と竹谷川で、南側は急斜面の小高い丘になっている。

戦国時代、千種氏は員弁・桑名・朝明・三重四郡の北勢四十八家の棟梁となる有力者であったが、天正12年(1584)豊臣秀吉軍の蒲生氏郷に攻められ事実上滅ぼされた。同19年顕理のとき当城を失い、音羽村を与えられた。最後の城主顕理は元和元年(1615)大阪夏の陣で戦死し、千種氏は滅んだ。

現在は城跡に昭和2年(1927)建立の「千種城址」の記念碑が残っている。敷地の中央部に幅7メートル、深さ2メートルほどの空堀があり、その両面に本丸跡と二の丸跡、そして周囲には高さ2メートルの土塁がある。同38年1月に県指定史跡文化財となった。なお、千種家の菩提寺であり位牌がまつられている禅林寺は鵜川原地区下村にある。

情報提供:菰野町教育委員会

千種城の口コミ情報

御狐神民部卿双熾様[2016年02月28日]
行き方は千種小学校の南側を通る県道762号線を西へ進んで行くと右側に広いゲートボール場らしき広場がある。
そこを左に曲がり、すぐ右に曲がる。
南西に進んで、ゆるい坂を行くと千種城の投稿写真のように階段、説明板が見えてきます。
軽自動車ぐらいなら、そのまま山の上に駐車できるみたいですが狭いので、途中にあった広場に停めて歩いて行く事をオススメします。(広場から歩いても5分ぐらいなので)
子供が基地とか作って遊びそうな森の中の城址公園って感じです。妙にワクワクするサイズ感と雰囲気があります♪
遺構も土塁・空堀・土橋とわかりやすくハッキリと確認でき除草などわりと整備もされていて見やすかったです。
石碑にとまっている鷹がリアルでカッコいいです!

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