千種城(ちぐさじょう)
千種城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県三重郡菰野町千草
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 千種顕経
築城年
- 永徳元年〔南朝〕/弘和元年〔北朝〕(1381)
主な改修者
- -
主な城主
- 千種顕経、千種顕理
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(千種城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
菰野城(三重県三重郡)[3.1km]
上木城(三重県いなべ市)[13.4km]
采女城(三重県四日市市)[13.9km]
浜田城(三重県四日市市)[14.1km]
茂福城(三重県四日市市)[14.8km]
峯城(三重県亀山市)[15.4km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[16.1km]
高野城(滋賀県東近江市)[17.0km]
神戸城(三重県鈴鹿市)[19.0km]
国府城(三重県鈴鹿市)[19.5km]
千種城の解説文
千種城の口コミ情報
2022年03月10日 安濃津伊勢守壱午【若】
保々西城[千種城 周辺城郭]
北勢中央公園内の野球場近くの駐車場に駐車できます。そこから、案内に沿って野球場をグルっと回り込むと城の入口です。
入ればすぐに屋敷跡です。この屋敷跡がなんといってもデカい!!城主朝倉氏は守れるのか?と思うくらい。疑問に思いつつ、主郭に向かって進みます。所々に、虎口等の防御設備があり、ただの屋敷では無かったのかなと。看板の縄張りを見てみれば、驚く程の広さの屋敷!度肝抜かれました…主郭に入るには、1列でしか侵入できない細い土橋を通る必要が…土橋両側の堀も深い深い!写真で表現出来ないのがもどかしい。いざ、主郭に入ると鬱蒼とした薮…ま、まあ主郭までの遺構が素晴らしいので、帳消し!
北勢最大級の城郭と称される城ですが、名に恥じぬ名城ですね!また来城しようと思います。
2020年09月27日 みずのみや出雲守
千種城
城の入口に立つと、三段に分かれた急な階段が立ちはだかります。
「この先に何段続いているのだろう…」と不安になるかも知れませんが安心して下さい。
見えているものが全てです。
階段の上はもう二の丸です。
2020年04月17日 近江守Silvine
朝倉城[千種城 周辺城郭]
朝倉城は別名市場城とも言い、近隣の保々西城と同時期に築かれたと思われる城です。低土塁で田の字に区画された屋敷地と、深い堀と高い土塁で区切られた単郭方形の主郭からなり、保々西城と共通点が非常に多く見られます。
屋敷地は現在宅地となって消滅したところも多くありますが、集落内には一部土塁が残っています。主郭内は竹林で荒れ気味ですが、堀や土塁、井戸ははっきり確認できます。
地図のポイントの辺りに墓地があり、そこに城の説明書きと駐車スペースがあります。
2019年06月25日 しげぽん
千種城
よく整備された公園になってます。駐車スペースがないのでご注意ください。
近くに千草こども公園があり、車を停められるのでそこから登城するのが良いと思います
2016年02月28日 御狐神左近衛大将双熾
千種城
行き方は千種小学校の南側を通る県道762号線を西へ進んで行くと右側に広いゲートボール場らしき広場がある。
そこを左に曲がり、すぐ右に曲がる。
南西に進んで、ゆるい坂を行くと千種城の投稿写真のように階段、説明板が見えてきます。
軽自動車ぐらいなら、そのまま山の上に駐車できるみたいですが狭いので、途中にあった広場に停めて歩いて行く事をオススメします。(広場から歩いても5分ぐらいなので)
子供が基地とか作って遊びそうな森の中の城址公園って感じです。妙にワクワクするサイズ感と雰囲気があります♪
遺構も土塁・空堀・土橋とわかりやすくハッキリと確認でき除草などわりと整備もされていて見やすかったです。
石碑にとまっている鷹がリアルでカッコいいです!
戦国時代、千種氏は員弁・桑名・朝明・三重四郡の北勢四十八家の棟梁となる有力者であったが、天正12年(1584)豊臣秀吉軍の蒲生氏郷に攻められ事実上滅ぼされた。同19年顕理のとき当城を失い、音羽村を与えられた。最後の城主顕理は元和元年(1615)大阪夏の陣で戦死し、千種氏は滅んだ。
現在は城跡に昭和2年(1927)建立の「千種城址」の記念碑が残っている。敷地の中央部に幅7メートル、深さ2メートルほどの空堀があり、その両面に本丸跡と二の丸跡、そして周囲には高さ2メートルの土塁がある。同38年1月に県指定史跡文化財となった。なお、千種家の菩提寺であり位牌がまつられている禅林寺は鵜川原地区下村にある。