上木城(あげきじょう)
上木城の基本情報
通称・別名
- 阿下喜城、片山城
所在地
- 三重県いなべ市北勢町阿下喜2892
旧国名
- 伊勢国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 片山信保
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 片山氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
高須城(岐阜県海津市)[12.7km]
千種城(三重県三重郡)[13.4km]
菰野城(三重県三重郡)[15.3km]
小木江城(愛知県愛西市)[15.6km]
西高木家陣屋(岐阜県大垣市)[16.3km]
長島城(三重県桑名市)[17.0km]
高室山城(滋賀県犬上郡)[17.7km]
桑名城(三重県桑名市)[18.4km]
福束城(岐阜県安八郡)[19.1km]
茂福城(三重県四日市市)[19.8km]
上木城の解説文
上木城の口コミ情報
2024年06月26日 図書頭RedKing
上木城
リア攻めは、⑧のような山地の開発宅地です。踏査された方の報告が既にありますから、周辺の状況です。①東側市道から望む城山。②城下から阿下喜方面を望む(山並みは鈴鹿山脈、架線は三岐鉄道北勢線。)。③東側の谷?排水路?④城下の肉屋さんからの城山。⑤城下の市道。⑥城下のバス停。⑦主要地方道5号北勢多度線から望む、ゴム工場の裏山です。信号右は、一般県道608号畑毛東貝野阿下喜線(つまり起点です。)。こちらの山の向こう側は、いなべ市北勢庁舎に図書館、万葉の里公園(紫陽花が綺麗でした。)。今尚、地方行政の中心で市民の憩いの場です。
2024年05月25日 れいぶ尾張守りっく
上木城
傍に阿下喜温泉 北勢線 軽便鉄道博物館がありました
2024年05月19日 刑部大輔衣浦酔侯
上木城
ナビに案内されて自転車で南側住宅地から攻めましたが入口が分からず。堀のようなものは見えましたが、城内へ入れませんでした。
2023年09月05日 曲輪衆三河守名古屋のリラン
上木城
城のまわりは深さ6メートルくらいの堀がその外は民家ばかりで勝手に城攻めは出来ません民家の方に了承得て城攻めが出来ます
2022年02月07日 安濃津中納言壱午
金井城[上木城 周辺城郭]
アクセスについては先人の方が記されていますので、歴史について補足させて頂きます。
大永2年に種村高盛によって築かれました。永禄11年、織田信長侵攻により降伏し、信長の支配下に置かれました。高盛の四男、秀信が跡を継ぎますが、滝川一益に謀反の疑いをかけられ、長島城にて切腹しました。その後、一族は離散しました。
現在は土塁、空堀などの遺構が良好に保存されています。駐車場から城内へ歩くと、始めにコンクリ舗装の土橋があり、両側に深い空堀があります。虎口を越えると立派な土塁があり、曲輪が広がります。
2回目の攻城でしたが、前回気づかなかった遺構も発見でき、楽しめました。
2022年02月05日 安濃津中納言壱午
梅戸城[上木城 周辺城郭]
員弁郡の有力者である梅戸氏が代々、居城とする。南近江、六角氏と太いパイプを持ち、安濃郡の有力者、長野氏と桑名郡の覇権を争う。天文9年、六角氏による北勢侵攻に伴い、梅戸氏が北勢地域の覇権を握る。永禄11年、織田信長の北勢侵攻に伴い、落城。
現在は、公園として整備されています。本丸西側に、立派な空堀が残っており、本丸内に土塁も残っております。石碑が本丸入口に建っています。
2022年01月12日 とんかつおやじND
上平野城[上木城 周辺城郭]
城館の遺構のようです。
「員弁郡郷土資料」によると 城館の大きさは東西十五間、南北十間とあるそうです。
時代は不詳 梅山宗兵衛 及び 梅山甚之丞が居住した。
土塁は高さ30〜50cm 堀は深さ30cm位 で 南西側に土塁の切れた虎口あります。南東面は切岸
2021年12月23日 とんかつおやじND
下平城[上木城 周辺城郭]
城主 田切佐兵衛と伝わる
遺構は 石垣、土塁、郭、堀
現在 東側に二車線の車道が通りアクセスはすぐ、駐車帯あり
主郭虎口が南側と東側にあり石積み❓跡か石が散乱
主郭は東側と北側が土塁で囲み 北東側と南側に2〜3本づつの堀切あり
道路脇に城址標柱あり
道路から南側入口入ると 獣罠あります ご注意下さい
2021年12月22日 とんかつおやじND
白瀬城[上木城 周辺城郭]
白瀬城 城主 近藤氏、白瀬氏
南側下段に近藤氏の墓あり
遺構は 土塁、堀、郭
個人的に規模以上の技巧的縄張りだとおもいます。多様な堀切が見られました。一番南側の大堀切は車道から徒歩5分で行けます。主郭らしき曲輪下段に虎口があり 外側に土塁を築き隠してあります。曲輪間の切岸が鋭い
城域のど真ん中に鉄塔が設置されて残念
西側は断崖で下が員弁川 近づくのも躊躇う位抉れてます😅
付近に駐車スペースは無く山道分技箇所に何とか…
2021年12月22日 とんかつおやじND
玉垣城[上木城 周辺城郭]
(山口城)
中世城館 永禄中頃まで藤田東馬允が居住していたが 織田信長により滅ぼされたと伝わる
方形単郭の城で 四方を土塁で囲む 南側以外は外側横堀もあり土塁、郭、堀がのこる 虎口の外側を土塁があり外部から虎口が見えない。東側道路沿いに看板あり獣柵の戸あり棒とロープで縛ってあります
駐車場はR306沿の簡易パーキングふじわらより入口看板まで徒歩5分位
2021年02月06日 大島美濃守光義
上木城
民家の裏ですので、苦情にならない様に注意して下さい。
2020年11月28日 安濃津中納言壱午
治田城[上木城 周辺城郭]
『三重の山城ベスト50を歩く』という本を見ながら訪れました。この城を一言で表すと、写真のとおり、まさに猿の惑星という感じでした!?
国道沿いに駐車して歩いていくと、一応武器(傘)を持っていきました。うぉぉおお!掛かれーー!一目散に逃げてきました笑笑
入口には看板と素晴らしい土橋(大嘘)があるのでわかりやすいと思います。これが現存だったらなぁ〜!
入っていくと堀切がどんどん出てきます。比較的、北伊勢の城の中では薮は少ないと思われます。主郭には櫓台らしきものも!土塁も良い感じです。
来た道を戻って、先程の現代土橋に戻ります。そしたら、また性懲りも無く猿共が!!猿など恐るるに足らず!掛かれーーー!!!!
何となく攻城戦気分が味わえました笑
2020年10月03日 安濃津中納言壱午
田辺城[上木城 周辺城郭]
熟人荘駐車場より登城しました。登城口に立派な模擬門があるので分かりやすいはずです。
まず、初めに見えてくるのは不気味な信楽焼の数々…その中でも特に、入口付近の猪の信楽焼には肝を冷やしました。模擬門を潜ると堀を挟み、二之丸が見えてきます。二之丸にはしいたけ園?なるものがありました。基本的には藪ですね。更に進むとびっくり仰天、本丸を囲む巨大な堀が!私は西虎口から本丸へ攻城致しました。ここの土橋も良い雰囲気です。本丸内は結構な藪なので、土塁に上り本丸を1周しました。The・土塁という感じで、個人的には伊賀の城の感じです。本丸内に突き進みたい方は長袖長ズボンを必ずお穿き下さい。特に何かがあるって感じでは無さそうですが…本丸には3つほどの虎口がありました。
この城は、北勢(北伊勢)では随一の遺構が残存しており、見応えは十分です。このアプリに登録されていないのは残念ですね…
2020年08月23日 梅鉢近江守Silvine
田辺城[上木城 周辺城郭]
田辺城はいなべ市北勢町田辺にあり、織田信雄に仕えた木造長政が領地を与えられ、ここに築いたと伝わります。
城は熟人荘という有料老人ホームの駐車場に案内板があり、すぐ脇に模擬城門が設置されています。城門を入るとすぐに横矢のかかる外堀があります。外堀の先は熟人荘の椎茸栽培地になっていますが、奥へ進むと2〜3mの高さの土塁と内堀に四方を囲まれた主郭にたどり着きます。主郭から西の尾根には低土塁で区切られた屋敷地があります。また、熟人荘から道路を北へ300m程のところにも屋敷地の遺構があったとの事ですが、道路建設に伴い破壊されています。駐車場から主郭までは登りもなく、5分ほどです。
2016年03月13日 御狐神弾正尹双熾
上木城
台団地一帯が城跡でその北側の谷のようになってるのが堀です。めっちゃ巨大な堀!
偶然住民の方が外で立ち話をしていたので事情を説明して下におりてみましが、ただの谷底に籔が広がっていてジャングル!って感じでした。
堀には団地の生活排水的なのが流れて小さな川の様になってます。
宅地ですのでウロウロしたり無断で進入しない方がいいと思います。田舎なのでよそ者は目立ちます(苦笑)
お話した城跡の団地住民(現城主)はとても優しくイイ人でした♪「ジャングル入るなら長靴貸してあげよか?」って言われました(*´∀`)♪
団地で道幅があまり広くないので路駐はやめて近くにある公民館?集会所?のような建物の駐車場に車を停めるといいと思います。
城跡は北から南に傾斜する台地にあり、南には員弁川を望む。
中心部は宅地化しているが、城跡の北、東部分は山林となっており空堀を部分的に確認することができる。
近世の地誌類では城主は片山氏と伝えられている。片山氏の名前は15世紀から確認することができ、当時の文献から片山氏が室町幕府奉公衆であり、阿下喜以西に勢力をもっていたことが推測されている。
城跡から県道を挟んだ北側には片山氏の菩提寺である見性寺があり、境内には永禄10年(1567)年に討死した上木城主片山範者の墓と伝えられる五輪塔が安置されている。