菰野城(こものじょう)

菰野城の基本情報

通称・別名

薦野城、(菰野陣屋)

所在地

三重県三重郡菰野町菰野

旧国名

伊勢国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

土方雄氏

築城年

慶長6年(1601)

主な改修者

主な城主

土方氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀、移築門(金蔵寺)、移築櫓

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

千種城(三重県三重郡)[3.1km]
采女城(三重県四日市市)[10.9km]
浜田城(三重県四日市市)[11.2km]
茂福城(三重県四日市市)[12.3km]
峯城(三重県亀山市)[13.6km]
上木城(三重県いなべ市)[15.3km]
神戸城(三重県鈴鹿市)[16.1km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[16.8km]
国府城(三重県鈴鹿市)[17.1km]
亀山城(三重県亀山市)[18.2km]

菰野城の口コミ情報

2024年04月04日 池田紀伊守信輝
力尾城[菰野城  周辺城郭]

力尾城は土方雄久によって築かれた城です。1583年(天正11年)に滝川一益が北伊勢に侵攻した羽柴秀吉に敗れると、北伊勢は織田信雄の領地となり、信雄に仕えていた雄久に与えられました。その後、1590年(天正18年)に信雄が秀吉に改易されるまで雄久の居城として使われました。現在城址には土方氏の菩提寺である見性寺が建てられており、歴代藩主の墓碑があります。

2024年02月03日 深草少将
菰野城

明治時代になり天守代用の二重櫓が築かれましたが、廃城に伴い民家に移築したものの、10年ほど前に老朽化のために取り壊したそうです。

2024年02月03日 ショウちゃん
菰野城

現在は菰野小学校になってたので表御門と水堀と土塁しかありませんでした🎵だだ表御門は立派な門だったようです。

2024年02月01日 とんかつおやじND
北山城[菰野城  周辺城郭]



新名神自動車道建設前に三年間発掘調査され 粗い砂と粘土を交互に積み重ねて土塁を造った事等が報告されている。主郭を含む三つの曲輪は残るが南東側は削られたらしい

主郭は東側土塁の中央に虎口が空いて東側曲輪へ土橋で繋ぎ郭内に折れの動線となり 南側土塁は虎口に対し鍵形にでて 横矢を掛ける構造
古文書等に城名が見られない 城主等詳細不明
曲輪内には居林古墳群がある

最大の見所と思われるのは 主郭を守る東西の土塁と虎口かと思う

2023年11月06日 RED副将軍
菰野城



十二代に渡って善政を施した土方氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

1568年に滝川一益により築かれた代官所が始まりとされます。
織田信長により北伊勢攻略を命じられた滝川一益は、長島一向一揆を討伐後に北伊勢五郡を拝領しました。この時に菰野に三重郡の代官所を築いて家臣の南川治郎左衛門を配したとされます。
1583年に織田信長の後継争いにより柴田勝家と羽柴秀吉が対立。滝川一益は柴田勝家に与しましたが敗北したため、北伊勢は織田信雄の所領となり、菰野には織田信雄の家臣である土方雄久が入部しました。
その後、土方雄久は1587年に犬山城に移り、さらに能登に一万石を豊臣秀吉から与えられています。
1599年に徳川家康の暗殺に関与していたとして土方雄久と土方雄氏の父子は常陸国太田に追放。
しかし、1600年の関ヶ原の戦いが始まる直前に土方雄久は、徳川家康の命を受けて従兄弟にあたる前田利長の調略に成功し出陣を思い止まらせます。この功により土方雄久は能登の旧領に復帰。子の土方雄氏は菰野と近江を加増されて、菰野の代官所跡に菰野城を築いて大名となりました。
当初は簡素な建物で土方雄氏自身も京の屋敷を住居としていましたが、織田信雄の娘である八重姫を正室に迎えるにあたって「堀もないような城の主には娘をやれない」と言わたため、二日間昼夜兼行で幅6mの堀を設けたという逸話が残っています。
その後、十二代に渡って土方氏の治政が続いて明治を迎えました。
土方氏の統治は善政であったとされ、一度も一揆が起こることは無かったとされます。

見所
現在は、菰野小学校の敷地となっています。
南側の道路沿いに案内板と城跡碑が立っており、北西側には空堀と土塁が一部残っています。

2023年05月04日 _てつや
菰野城

小学校の付近がお城だったそうですが、石碑や案内板以外、建造物などは見れませんでした。

2023年04月01日 安濃津渡島守壱午
中野城[菰野城  周辺城郭]



赤堀藤太郎の居城。その後中野氏に改姓しました。永禄11年に織田信長に滅ぼされました。

現在は住宅街の中にポツリと案内板があります。案内板背後が土塁ですが、草ボーボーで規模がよくわかりません。道が狭いので、徒歩が最適だと思います。

近隣の保々西城や朝倉城がおすすめです!

2023年02月08日 安濃津渡島守壱午
水沢城[菰野城  周辺城郭]



岩手県の水沢(みずさわ)城ではなく、三重県の水沢(すいざわ)城です。加治信濃守城ともいいます。

加治氏の居城とされ、織田信長の北勢侵攻の際は、滝川一益に服従しました。天正5年(1577年)に滅亡し、城は廃城となりました。

現在は、常願寺の境内となっています。城跡を示す石碑と土塁が残ります。写真1枚目の土塁はまるで庭園のようです。

2023年02月07日 安濃津渡島守壱午
平尾城[菰野城  周辺城郭]



千種城の支城と考えられています。意外にも遺構が残っており興奮!空堀(1枚目)、虎口(2枚目)、土塁(3枚目)がなかなか素晴らしい。井戸も残っているそうですが、日が暮れそうだったので、探すのは断念。小規模ですが、遺構はコンパクトにまとまっています。充分に行く価値はあると思います。説明板つけてほしい…

2023年02月06日 安濃津渡島守壱午
城の山城[菰野城  周辺城郭]



坂田氏の居城で、織田信長に攻め滅ぼされました。登城口がジャングルで凄い状態です(写真2枚目)。この土管が目印で、茶畑の中にあります。思いのほか立派な空堀が残っていました。かつては背後の内部川を利用した防御体制を整えていたのか、と勝手に想像。もう少し整備されていればなあ…

2023年02月05日 安濃津渡島守壱午
宿野城[菰野城  周辺城郭]



登城口がなかなか見つけられず。入口だけ薮だらけでした。奥に抜けると薮は無く、綺麗さっぱり(--;)このパターンよくある気が…説明板は無く、歴史は詳細不明。街道を見張る城?小規模な堀切、土塁が残存しております。

2023年02月02日 安濃津渡島守壱午
杉谷城[菰野城  周辺城郭]



織田信長の暗殺未遂で知られる杉谷善住坊の居城です。六角義賢の差し金といわれていますが、諸説あるようです。城域に入るには、慈眼寺さんの北から直登するしかありません。曲輪が連続し、横堀や堀切も見られます。写真5枚目の曲輪のど真ん中をぶった切る亀裂には驚きました…!案内板などは無く、想像で楽しめる城かと思います。杉谷善住坊の隠れ岩も行ってみてはいかが?鈴鹿山脈を越える必要がありますが笑

2022年12月12日 安濃津渡島守壱午
山本城[菰野城  周辺城郭]



浜田城主田原氏の分家とされる山本氏が築城しました。小牧・長久手合戦では織田信孝に付くが留守中に筒井順慶に攻められ落城しました。

現在は空堀、土塁、井戸などが残っています。石垣も残っているとの事ですが、見つけられず…

鹿の群れに出会えました!(写真は撮れず)

2022年05月17日 
移設門[菰野城  遺構・復元物]

菰野藩移設門です。その当時のまま残っています。その他、多数移築されているものも別の場所にありましたが、この門以外は取り壊されています。

2021年11月13日 足軽織部正高虎
杉谷城[菰野城  周辺城郭]

杉谷城は織田信長を狙撃した人物として知られる杉谷善住坊(萩原善住坊)の居城です。1570年(元亀元年)の「金ヶ崎の退き口」で京都へ撤退した信長は、居城の岐阜城へ戻るため浅井氏の所領である近江を通らず、千草街道を桑名に抜ける道を選びました。善住坊はこのとき暗殺を企て信長を狙撃しましたが、失敗に終わります。暗殺は六角義賢(承禎)の依頼とされますが諸説あるようです。その後、善住坊は逃亡しましたが、潜伏先の近江高島郡で磯野員昌に捕縛され、信長の命により鋸挽きの刑に処せられました。現在城址には土塁と空堀を確認することができます。

2017年01月29日 稼ぐぞ休日給征夷大将軍クララ姫
菰野城

菰野小学校の一角に石碑などがあります。西には雪を被った鈴鹿山脈御在所岳がこちらを睨むようにそびえていました。近くには片岡温泉(源泉かけ流し、美人の湯)があります、是非!

2016年02月29日 御狐神弾正尹双熾
菰野城

現在は菰野小学校の敷地になっていて北側に堀跡と土塁があります。
南側(近鉄湯の山線沿い)に庭園の一部の名残りがあり、そこに菰野城跡の石碑と歴史看板あります。

すぐ近くにコンビニがあるので、そこで次の行軍の為の休憩や買い物、ナビ設定などをするといいと思います。

2013年07月30日 三河守コーキしゃん
菰野城

菰野小学校の南側に石碑と説明板があり、北西側に土塁と堀の一部が残ります。

菰野小学校より6㎞程北(菰野町小島)にある「金蔵寺」の山門は菰野城の移築門だそうです。

金蔵寺の東側にある北勢中央公園付近には「保々西城」や「市場城」があります。

両城共見応えがありますので、近くを訪れた際は時間があったら寄ってみて下さい。



2013年05月08日 塩ぽん隼人正
菰野城

織田家家臣・土方氏の居城。1万2千石の小藩であったため陣屋しか許されなかったが、幕府が倒れたどさくさに紛れて、明治元年に堀を巡らし、櫓を建築した。明治6年廃城。

菰野城の周辺スポット情報

 移設門(遺構・復元物)

 杉谷城(周辺城郭)

 山本城(周辺城郭)

 城の山城(周辺城郭)

 水沢城(周辺城郭)

 平尾城(周辺城郭)

 宿野城(周辺城郭)

 中野城(周辺城郭)

 北山城(周辺城郭)

 一生吹山城(周辺城郭)

 佐倉城(周辺城郭)

 力尾城(周辺城郭)

 宿野西城(周辺城郭)

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