朝倉城

朝倉城([千種城  周辺城郭])

千種城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「朝倉城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

朝倉城の口コミ情報

2023年01月06日 RED副将軍


ヤブの中に深い空堀と虎口が見事に残る朝倉氏の拠点🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

朝倉城または市場城と呼ばれていますが伊勢国の城跡です。
朝倉城は土佐国が有名で但馬国にもあり、市場城は三河国が有名で伯耆国にもあります。
いずれにしても「じゃない方」は払拭できませんが遺構としては見事です✨

築城年代は不詳。朝倉氏の保々西城の支城であり、康正年間(1455年〜1457年)に保々西城が築かれる前から存在し、保々西城が築かれた後は支城となった様です。
朝倉氏は、室町幕府の奉公衆で、同族の保々西城朝倉氏、茂福城茂福氏、中野城中野氏と結んで勢力を保っていました。
1568年または1574年に織田信長の伊勢侵攻により保々西城とともに落城したとされます。

見所
朝明川北岸の河岸段丘に築かれています。
単郭方形の主郭で南を除く三方に土塁が巡り、その外側を折れが伴う深い空堀が巡ります。
北と南東に虎口が開口し、北の虎口には土橋が架かり見所のひとつです。
全体的にヤブで夏期の訪城は不可。マニア向け。写真は全く映えません。

行き方は、市場町公会所をまず目指してください。その奥に墓地があり説明坂があります。墓地の奥を進むと城域北側の空堀に架かる土橋に辿り着きます。

写真
①北側虎口
②③空堀
④空堀の底から
⑤⑥土塁
⑦土橋
⑧井戸跡

2020年04月17日 近江守Silvine


朝倉城は別名市場城とも言い、近隣の保々西城と同時期に築かれたと思われる城です。低土塁で田の字に区画された屋敷地と、深い堀と高い土塁で区切られた単郭方形の主郭からなり、保々西城と共通点が非常に多く見られます。
屋敷地は現在宅地となって消滅したところも多くありますが、集落内には一部土塁が残っています。主郭内は竹林で荒れ気味ですが、堀や土塁、井戸ははっきり確認できます。
地図のポイントの辺りに墓地があり、そこに城の説明書きと駐車スペースがあります。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore