植田氏城
植田氏城([長野氏城館 周辺城郭])
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植田氏城の口コミ情報
2023年06月12日 RED副将軍
背後に複雑な堀が残る伊賀特有の単郭方形の城郭🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等は不詳。伊賀の在地土豪である植田氏の居城とされます。
植田氏は、伊賀十二評定衆のひとつであり、天正年間の城主に植田光信、植田光次の名が伝わります。
植田光次は、1578年の織田信長による第一次天正伊賀の乱において、退却する織田信雄の殿を務めた柘植保重を討ち取ったとされます。
1587年の第二次天正伊賀の乱で敗れた植田光次は三河に落ち延び、徳川家康に仕えたとも、本能寺の変後に豊臣秀吉に仕えたとも伝わります。
見所
比高40mくらいの丘陵上に築かれ、伊賀特有の高土塁が巡る単郭方形です。
鋭い切岸の上に主郭の土塁は高さは最大約8mほどあり、北側に虎口が開口。
最大の見所は主郭背後です。お約束の大堀切がありますが端部は竪堀となり落ちている上に東側の竪堀は途中で二股に分かれている複雑なもの。一方は堀底道として利用されたのかもしれません。
単郭方形といえ、残存度が高くパーツのひとつひとつが大きいので見応えがあります。
行き方は、長泉寺を目標に設定。裏山が城跡となり谷筋を登っていくと広い削平地の中に巨大な城塁が現れます。
旧伊賀街道から橋を渡り、左手の山神公園の向かいのゴミ集積所辺りに駐車スペースがあります。
写真
①主郭背後の高土塁
②主郭背後の高土塁上から
③主郭の虎口
④⑤⑥主郭背後の堀切
⑦⑧二股に分かれる竪堀