百地丹波城(ももちたんばじょう)
百地丹波城の基本情報
通称・別名
- 百地丹波守城、百地砦、百地丹波屋敷
所在地
- 三重県伊賀市喰代字城谷
旧国名
- 伊賀国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 百地氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 百地氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
丸山城(三重県伊賀市)[6.4km]
伊賀上野城(三重県伊賀市)[9.1km]
柏野城(三重県伊賀市)[9.2km]
千賀地氏城(三重県伊賀市)[11.0km]
長野氏城館(三重県津市)[11.3km]
福地城(三重県伊賀市)[11.3km]
桜町中将城(三重県名張市)[11.7km]
石打城(奈良県奈良市)[14.5km]
和田城(滋賀県甲賀市)[15.7km]
家城城(三重県津市)[16.0km]
百地丹波城の口コミ情報
2022年12月12日 気分爽快信濃守
百地丹波城
1郭周りの土塁は高く、1郭南には大きな空堀を配しています。また、1郭の東にも鋭い堀切があります。
2022年11月07日 泰遠江守
百地丹波城
お寺から歩くと古い地蔵が無数にあって、なかなかの空気感でした。
2022年07月25日 azu
百地丹波城
伊賀のお城らしい土塁に囲まれたお城で迫力のある虎口は北側に二ヶ所、南に一ヶ所ありました。曲輪と曲輪を分ける堀切は深く切り通し道としても使われていたのかな?と思いました(個人の主観)青雲寺さんは百地氏の菩提寺でもあり、元々こちらも曲輪の一つだったようです。こちらは百地氏の代々のお墓があります。主郭より山を少し登っていったところに薮化してますが石積みのある曲輪がありました。この石積みは後世のものか?
近くには池が二つあり、真夏の夕方に攻城したので、すっかりヤブ蚊にやられてしまいましたが、夏でも遺構をそこそこ見れる良いお城だと思いますが、それなりの準備が必要なお城だと思います。
2022年05月14日 RED副将軍
百地丹波城
伊賀の上忍 百地三太夫で有名な百地氏の居城。
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等は不詳。伊賀の土豪である百地氏の居城。室町時代に百地丹波守によって築城されたと云われています。百地氏は伊賀衆の催し事を差配する有力な立場であった様です。1581年の天正伊賀の乱に際しては、柏原城に立て籠り、織田信雄と対峙。乱に敗れた後は帰農した様です。
見所
主郭は土塁が巡り、北と南に虎口が開口。東の二郭とは深い堀切で分断されており、土塁と堀底の高低差は4m以上あり一番の見所。二郭はヤブに覆われていました。
2022年03月13日 RED副将軍
山下氏城[百地丹波城 周辺城郭]
主郭背後に大規模な土塁と空堀が素晴らしい城
オススメ度 ★★★★⭐︎
詳細不明です。
伊賀衆である福持氏の庶家の居城と思われます。
見所
主郭は高土塁が巡り、主郭北側背後は深い空堀で遮断。
主郭西側には石垣が残ります。
主郭の北西端は一段高くなり櫓台が敷設。規模が大きく櫓台というより郭です。
福岡氏城から北側の尾根を登ると辿り着きます。
登城路は足元悪くヤブもありますが、主郭周囲
は開けています。
写真
①②主郭背後の空堀
③土塁上の櫓台
④主郭内部
⑤主郭虎口
⑥⑦主郭西側の石垣
⑧主郭南側の切岸
2022年03月12日 RED副将軍
福持氏城[百地丹波城 周辺城郭]
大規模な土塁と空堀が主郭を巡ります。
特に主郭背後はヤバすぎます。
オススメ度 ★★★★★
伊賀衆である福持氏の居城。
馬野前司の福持九朗元乗の居城であったことから九太夫城とも呼ばれています。
1579年の天正伊賀の乱の際、福持氏は活躍。鬼瘤峠で柘植三郎左衛門保重を自害させ、織田信雄の撤退に繋がりました。
集落上の尾根先端部にある福岡氏城から西尾根を登ると福持氏城に辿り着きます。
見所
主郭は高土塁が巡り南東に虎口が開口。更に外周に空堀が巡り、北西の主郭背後は高低差は6mにも及びその土木量に圧巻。北側尾根は深く鋭利に断ち切られています。
高土塁には石積みによる補強が確認できます。
福岡氏城との中間にあたる郭には石垣がありますが後世のものにも見えます。
少し離れた伊賀市坂下にも福持氏城と呼ばれる福持氏の出城があります。もの好きな人は併せて訪城ください。
写真
①主郭背後の空堀 土塁上から
②主郭背後の土塁
③主郭背後の空堀
④主郭背後の空堀 最深部は北側尾根を断つ
⑤主郭南西部の土塁、空堀
⑥最高所の櫓台
⑦石積みが残る虎口
⑧主郭内部
2022年03月11日 RED副将軍
福岡氏城[百地丹波城 周辺城郭]
主郭背後の大土塁、大堀切が素晴らしい。
オススメ度 ★★★★⭐︎
中馬野集落上の山陵に築かれ、福持九郎の居城であった福持氏城と城域を共有している様です。
福持氏関連の城跡と思われますが詳細不明。
集落上の尾根先端部に福岡氏城、西尾根を登ると福持氏城、北側の尾根を登ると山下氏城に行けます。
伊賀市中馬野には福持氏城、福岡氏城、山下氏城の3城が密接。
3城ともなかなかの名城です。
見所
単郭方形で背後に巨大な土塁が巡り、更にその背後は大堀切で遮断されています。
なかなかの規模で衝撃を受けますが、それ以上の城跡が近くに2城も控えています。
行き方は、Googleマップで福岡氏城で登録あります。
但し、登城口は集落の中であり道幅は狭く駐車場もありません。離れますが集落外で路肩駐車しました。
写真
①②背後の大堀切
③土塁上からの主郭
④⑤⑥主郭からの大土塁
⑦大土塁
2022年02月01日 RED副将軍
中出山城[百地丹波城 周辺城郭]
寺社建立による改変で遺構は不明確ですが、土塁囲みと石積みが各所に見られます。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
永井氏城の出城または居館わとして機能したと考えられています。
見所
永井氏城に比べて土塁は低いですが、石積みによる補強が為されています。
南西に虎口が開口し、石積みで補強された切り通し道に加えて、横堀が巡るも浅くなっています。
永井氏城との間にも浅い堀切や石積み、古墳が確認できます。
神社建立により改変されていると見られ、不明確なところが多いです。
永井氏城から北へ尾根を10分ほど進むと、尾根の先端部にあります。
2022年01月31日 RED副将軍
永井氏城館[百地丹波城 周辺城郭]
伊賀特有の巨大土塁に囲まれた単郭方形の城
背後の堀切も見事です
オススメ度 ★★★★⭐︎
天正年間(1573年〜1593年)に百地氏に属する上忍だった永井内膳によって築城された永井氏の居城。永井氏は、天正伊賀の乱にも参陣し、織田信長の軍勢と戦ったと伝わりますが、その後の動向は不明な様です。
見所
前山山頂から北尾根筋に築かれ、主郭は土塁囲みの方形で東側に虎口が開口。ここも伊賀甲賀の特徴的な単郭方形の縄張りです。虎口には武者隠しが敷設されています。
土塁は最高10m程度もあり、更に土塁上にも郭があり、奥には見張り台もある巨大なもの。
主郭背後の西側は巨大な堀切で防御しています。
行き方は、城域南側の道路に案内板が立ち、階段が付けられています。案内板の前には1台分の駐車スペースがあります。
階段を登れば数分で迷うことなく辿り着きます。
北尾根の先端部にある中出山城は永井氏の出城とも居館言われ、併せて訪城して下さい。
2022年01月19日 RED副将軍
福持氏城[百地丹波城 周辺城郭]
超マイナー城。福持氏の出城と伝わります。
小規模ながらも山城遺構はしっかりと残ります。
⚠️伊賀市坂下にある方の福持氏城です。
伊賀市中馬野にある福岡氏城と城域が共有している福持氏城(本城と言われ、通称は九太夫城)とは別城です。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
16世期後半の天正時代に福持氏により築城。
中馬野が本城で、ここは支城または出城であったと思われます。
見所
山頂に主郭を置き、南へ小規模な郭が二つ連なります。
主郭の北側は二重堀切で遮断。しかし、現代では獣害フェンスで更に遮断されています。
主郭は低いながらも土塁囲みが確認できます。
行き方は坂下コミュニティセンターの裏山となります。
明確な登山口は見当たりませんでしたので、そのまま急斜面を直登しました。踏み跡があるので分かると思います。ものの10分程度で辿り着きます。
写真
①②主郭の土塁
③二重堀切を上から
④二重堀切を横から
⑤⑥主郭切岸
⑦登城路
⑧主郭にある城標
2021年11月20日 絢八幡淡路守ピコ不戦
百地丹波城
城跡と四国霊場が同じ場所にあって 遺構もハッキリ遺されていた。
2021年10月28日 ひろ図書頭
百地丹波城
永保寺さんに車を駐車させて頂き 境内にある案内板の通りに登城。虎口、土塁、堀切がハッキリ見てとれます。
2021年09月20日 ばらく~だ
百地丹波城
高い土塁と深い堀で閉鎖的な主郭は、忍の者の砦だからでしょうか。他の山城とは違って、中を見せたくない感があるように思いました。
2021年02月16日 オミト河内守
百地丹波城
土塁や堀など石垣以前のお城の雰囲気を強く残していました
2021年02月14日 北湖織部正
百地丹波城
のぼりの立った近くの神社(お寺)からの道から行くと脇に地蔵様を見ながら通ったさきに砦あとがあります。あと、式部塚もあります。
2019年10月07日 首藤志摩守通宗
中出山城[百地丹波城 周辺城郭]
わかりやすい独立丘陵。南隣に永井氏城館があるが、連結しているのか否かは確認できず。
2019年10月07日 首藤志摩守通宗
上山氏城館[百地丹波城 周辺城郭]
蓮生寺墓地の東側が城域。藪と柵で明確な遺構は確認できず。山容におもかげを感じるのみ。
2019年10月07日 首藤志摩守通宗
永井氏城館[百地丹波城 周辺城郭]
車道北側に手書きの看板と急な階段あり。
豪雨のため城攻めを断念したが、googleマップによると主郭部に石組み遺構がある模様。
2019年01月14日 フー甲斐守
百地丹波城
主郭A〜D、帯曲輪Ⅰ〜Ⅳとそれぞれを仕切る堀切。土塁、二重掘りや土橋も見られました。主郭と帯曲輪Ⅱ、Ⅲは行けてませんが、それでも十分堪能できます。きっと忍び衆にとっては山全体が城なのでしょう。
多少の倒木や藪漕ぎはやむなしと思って頂ければと。
ここは草木の枯れるこの時期がオススメと思います。朝霜が朝日で溶けて雨のようになるので当然寒いですが(笑)
きつさという意味では登るにキツくはないと思います。駐車スペースは小さいのでお気をつけておいで下さい
2016年05月23日 まるき〜出雲守
百地丹波城
アプリでは百地丹波城、現地の表記は百地氏城跡、個人的には百地砦と呼ぶのがしっくりきていますが…(;^_^A
城の縄張り内の青雲寺の下に広い駐車スペースあり
歩いてほんの数分でメインの主郭へ辿り着ける
高い土塁に囲まれているが土塁の外側は道路に面しているのでコンクリートで覆われており少しガッカリなのですが…
内部はいかにも土の城っという感じで遺構もよくわかりやすい。中を歩いて行くとどこまで郭が続いてる?ってくらい広い
一箇所だけ低い石垣に囲まれた郭がありましたがそれが遺構なのかどうかは判断できず…。でした。全てを見切れていませんがちょっとワクワク感がある場所でした。
百地丹波城のすぐ近くに滝川ダムがありますがココはいつも無人なのでダムカードは名阪国道友生インター近く伊賀庁舎で配布されています。
百地丹波城関連の資料は伊賀上野城内の忍者博物館に問い合わせを。
2016年03月20日 シバヤン左兵衛督忠肝義胆
百地丹波城
伊賀忍者棟梁で有名な百地三太夫の城。
全体的に見て丘城の印象を感じました。
お寺本堂から右に進むと百度石があり階段上にお堂がありました。
さらに右に進み山道を抜け舗装路になりまた丘のなかの山道に入ったら左斜面に小さな石仏があちこちに座ってます。
苔の生えた道はヒンヤリして静寂な中に
孤独感に心が押し潰されそうに感じました
さっきの石仏が気になって•••。
南虎口から入ったら本丸跡です。城址の横の説明に百地と藤林は同一人物の疑いありと書かれてます。忍者ですから偽名を使うことはよくあると私は思います。
本丸跡に北東虎口がはっきりと残ってます。南虎口は少し崩れてあります。中は
昼間なのにかなり薄暗く陰気を感じました。
天正伊賀の乱で多数の戦死者が出たさいに百地三太夫は行方不知になったそうです。
その際彼を逃がす為に死んだ者達の象徴がさっきの石仏なのかと思い手を合わせてお悔やみして帰ることにしました。
お城の裏に星雲寺にトイレがあり使わせていただきました。
ここで凄惨な殺戮があったなんて思えないのどかな田舎町でした(´-`)
2016年01月04日 勝之助若狭守
百地丹波城
城郭近くに駐車スペースもありリア攻めしやすいお城です。高い土塁も比較的はっきり残っていて興味深い城跡でした。
トイレはありません。
2010年10月18日 三河守コーキしゃん
百地丹波城
主郭部はかなり高い土塁で囲まれていて迫力がありました