伊賀上野城(いがうえのじょう)
伊賀上野城の基本情報
通称・別名
- 白鳳城、上野城
所在地
- 三重県伊賀市上野丸之内
旧国名
- 伊賀国
分類・構造
- 梯郭式平山城
天守構造
- 層塔型?[5重/1612年築(未完)/倒壊(台風)]、層塔型[3重3階/1935年築/木造模擬]
築城主
- 筒井定次
築城年
- 天正13年(1585)
主な改修者
- 筒井定次、藤堂高虎
主な城主
- 筒井氏、藤堂氏、服部氏、仁木氏、脇坂氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(水堀)、武具蔵
指定文化財
- 国史跡(上野城跡)
再建造物
- 模擬天守、石碑、説明板
周辺の城
-
千賀地氏城(三重県伊賀市)[7.2km]
柏野城(三重県伊賀市)[7.9km]
石打城(奈良県奈良市)[7.9km]
丸山城(三重県伊賀市)[8.3km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[9.1km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- 47 伊賀上野城
設置場所
- 大天守閣1階[地図]
伊賀上野城の解説文
[引用元:Wikipedia「伊賀上野城」の項目]上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった日本の城(平山城)である。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。
【概要】
伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿および芭蕉翁記念館や伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
【歴史】
〜平安時代〜
城のある丘は平清盛の発願によって建立された平楽寺という大寺院があった。
〜室町時代〜
伊賀上野城西の丸と後世に呼ばれることとなる丘陵には伊賀の守護大名である仁木氏館(伊賀の守護所)があった。しかし仁木氏は室町時代半ばから衰退が始まり、戦国時代には名ばかりの守護となっていた。特に北・南伊賀には影響が及ばなくなり(仁木氏は伊賀中部に威力があった)、権威を回復しようと合戦を起こすもその都度敗走し、柘植氏と戦った際には当主が討たれた。遂に仁木氏の生活は貧窮を極め、伊賀中部の国人らの援助により体を成す有様で守護としての権威は没落、侮辱の対象とされるなど、領国経営は機能していなかった。 そのような状況にありながら、仁木兵部少輔は家宝として茶器を購入したり、実状に相応しくない行動が多くなった。これに怒った豪族らが守護所を襲撃した。仁木一族は信楽へ逃れ、大名としての仁木氏は一時滅亡した。後に仁木義視が織田信長の援助で守護に返り咲いたが、国人の支持を得られず再び追放され伊賀は反織田の姿勢を明確にした(伊賀惣国一揆)。以降の仁木一族の動向は不明。
〜戦国時代〜
天正7年(1579年)9月、伊勢の織田信雄が8千兵を率いて伊賀平定(天正伊賀の乱)に乗り出したが、伊賀衆の前に大敗し、天正9年(1581年)9月に信雄の父織田信長は4万5千の兵で伊賀を平定。信雄の家臣である滝川雄利を伊賀守護とした。雄利は大寺院、丸山城、滝川氏城を改修し伊賀を支配した。本能寺の変後豊臣政権となると、天正12年(1584年)10月に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣脇坂安治が伊賀守護となったが、天正13年(1585年)5月に摂津に移封された。
〜筒井氏時代〜
脇坂安治の移封から3ヶ月後の8月、大和郡山城から羽柴の姓を賜った筒井定次が伊賀へ移り住んだ。定次は天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺、仁木古館跡に築城することにした。
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伊賀上野城の口コミ情報
我流尾張守クールさん[2017年08月13日]
鉄路で来ました。
JR伊賀上野駅から伊賀鉄道なら上野市駅まで260円、三重交通バスなら公園東口バス停まで210円です。どちらも1時間に1本です。伊賀鉄道上野市駅には「メーテル&鉄郎」が鎮座しています。
中納言織田晃司さん[2017年08月06日]
市役所横の駐車場(有料)に駐車。
大天守3階の天井には天守復興を祝い、横山大観や川合玉堂たちの書いた色紙が張り付けてある。
高石垣は藤堂高虎の築城で、日本有数の高さをほこる。
高虎の石垣は、反りのないのが特徴
上から見下ろしても下からみあげても石垣の高さを確認する事ができる。
シバヤン丹波守雲外蒼天さん[2016年02月26日]
近江出身の武将は武辺だけでなく人芸に優れている者が多いです。この伊賀上野城の築造者の藤堂高虎もその一人です。
関西本線の伊賀上野から伊賀鉄道に乗り変えて上野市駅か北にすぐに聳えたってます。入口より左側学校裏からの方が城へは近いです。天守閣内は三階からなり最上階からの眺めは気持ちいいですよ。窓は開けられるので吹き抜ける風は冷たいが心地いいです。東側からは筒井氏時代の石垣遺構が覗けます。
一通り見学したあと城入口横の「くのいち家」で昼食、今日の日替わりランチの伊賀牛のバラ肉入りの肉豆腐が大変おいしかったですね(ちょっと宣伝(^.^))。
この城は対豊臣戦用と言うよりも独立心の強いこの地を統治する為にはどうしても必要だったのでしょう。石垣が高くなったのも火攻めを恐れてのことと考えます。
この城は対豊臣戦用と言うより忍びの横行する伊賀を統治する為に築かれたんだなと感じました。
この城の職員達も大阪から来たと伝えると少し驚いて各階付いて来てくださり丁寧なご説明をされて嬉しかったです。
入館料500円、城パンフレット350円買いました。百名城1つクリア(^o^)
剣帝レオンハルトさん[2016年02月04日]
市役所横の有料駐車場(500円、先払い)に車を停めて登城しました。駐車スペースが狭いので、大型車は注意して下さい。
天守入城も大人1人500円、小人200円です。支払いの際にJAFの会員証を提示したら、大人20%小人25%の割引が4人まで受けられるそうです。
1時間程あれば天守、高石垣等じっくり見ることができると思います。ただ、現在公園整備の工事の為、一部入れない場所がありました。
まるき〜淡路守さん[2016年01月26日]
城の麓にある案内所の所から通常上方向へ登って行くと思いますが
バス駐車場の左側の道を歩いて行く方が天守、高石垣へは近いです。
堀の外側から高石垣を見ようと堀を降りたあとが何ヶ所かありましたけど、草木が生茂り足場が見えづらく勢い余って水に落ちる可能性があるので注意です(汗
上野高校運動場前辺りから見える高石垣が無難な所かな…
割と草木が多くて、もう少しスッキリと天守が見える様にして欲しい所。
駐車場500円
天守入城500円
100名城スタンプあり
近くに伊賀上野民俗資料館があり無料で見学出来ますが城関係の資料はありませんでした。
ООトマシさん[2015年03月28日]
私財を投じて再建した川崎克氏が木造にこだわった天守が80周年を迎えます。
当時、自らの銅像を贈るといわれ、それよりも城再建にその資金をだしてほしいといわれたといいます。
上がり口と最上部の一角にホットカーペットが敷かれていて登城者の冷たい足もとを暖めてくれる心遣いがうれしいです。
有名な高石垣は日本一、ニの、というファジーな案内が笑いを誘いますが、実際うえから覗きこむと足がすくみます。
タバスコさん[2014年10月14日]
天守閣のなかのかべをよく見ると忍者が居ます
左衛門督ぶぶ之助さん[2014年01月25日]
平成26年1/6〜1/31まで、補修工事中です。
天守に足場を組んでました。
OHMSS井村さん[2012年11月11日]
この秋から松坂城と鳥羽城との三城連携で、城郭めぐりスタンプラリーが始まりました。スタンプ台紙は大天守閣にあります。
勘解由次官ぷんちゃんさん[2012年08月23日]
伊賀なので、忍者博物館で忍者衣装が借りられます。コスプレして城の潜入もおすすめです。
桑名伊賀守はまぐり〜さん[2012年01月18日]
天守の内に高虎が秀吉から拝領した兜が展示してあります。
三河守コーキしゃんさん[2011年05月05日]
未完成のお城ですが、本丸西側には高さ、30メートルもある高石垣があって、上から見ても下から見てもその高さが実感できます
天守閣は天守台より一回り小さく作ってありました
古楽侍従広家さん[2010年09月18日]
高石垣を積んだ天守より筒井古城や城代屋敷の方が高い位置にあります。不思議な縄張りですよね。