千賀地氏城(ちがちしじょう)

千賀地氏城の基本情報

通称・別名

千賀地城

所在地

三重県伊賀市予野字上出

旧国名

伊賀国

分類・構造

丘城

天守構造

不明

築城主

千賀地保長

築城年

室町時代後期

主な改修者

主な城主

千賀地氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、土塁、堀切、櫓台

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

石打城(奈良県奈良市)[4.1km]
丸山城(三重県伊賀市)[5.5km]
畑城(奈良県山辺郡)[6.1km]
伊賀上野城(三重県伊賀市)[7.2km]
桜町中将城(三重県名張市)[7.2km]
名張城(三重県名張市)[9.7km]
百地丹波城(三重県伊賀市)[11.0km]
笠間城(奈良県宇陀市)[11.4km]
柏原城(三重県名張市)[12.9km]
柳生陣屋(奈良県奈良市)[13.8km]

千賀地氏城の解説文



千賀地氏城(ちがちしじょう)は、三重県伊賀市予野にあった日本の城(丘城)。別名、千賀地城とも呼ばれている。

概要 

千賀地氏城は、国道368号から西へ1kmほど行くと予野という集落になる。集落の両側に丘陵がありその谷状地となっている。この両側の丘陵には14もの小城が群立しており、その中の一つが千賀地氏城となる。予野集落に入った右手最初の城が千賀地氏城で、旧字で近地谷(千賀地谷)といっていた。

服部家長の流れを汲む服部保長は足利義晴に仕えていたが、当地に移り住み、地名の千賀地を姓として当地に城を築いたと言われている。しかし服部保長の子服部正成は伊賀国を出国、徳川家康に仕え1582年(天正10年)本能寺の変が起こると徳川家康を助け、伊賀山中から四日市に移し、そこから海路で岡崎城へ送った(伊賀越え)。服部正成は後に与力150騎、伊賀同心300名を支配下に置く旗本8千石となり、江戸城半蔵門に名を残している。服部正成は1596年(慶長元年)に死去、服部正就が跡を継いだが、家臣の統率を乱し1605年(慶長10年)に失脚した。他の一族としては、藤堂藩城代の藤堂采女、津軽藩家老服部長門、桑名松平藩服部石見等がいる。「知賀地氏堡 按 千賀地半蔵則直之を保つ」(『三国地誌』)とあるが、城に関する伝承はない。

城跡は20m四方の平地で、東、西、北の三方に土塁を巡らし、北側の段丘には堀を切って独立させている。また東、西、北の三方は急崖となっている要害の地となっている。北側土塁上には7×4mの櫓台か見張り台があったと思われる一段高い台地が設けられている。本郭内は、服部半蔵、藤堂采女(伊賀上野城家老)誕生の地として石碑が建てられ、同地区の公園として保存されている。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • 伊賀鉄道 上野市駅
      • 三重交通 予野線 上出下車
    • 車でのアクセス
      • 名阪国道 上野IC → 国道368号 → 三重県道687号治田山出線
        • 周辺に駐車場なし

    参考文献 

    • 創史社『日本城郭大系』第10巻 三重・奈良・和歌山、新人物往来社、1980年8月、232頁。
    • 伊賀中世城館調査会『伊賀の中世城館』伊賀中世城館調査会、1997年3月、133頁。
    • 福井健二『三重の城』三重県良書出版会、1979年2月、199頁。

千賀地氏城の口コミ情報

2023年02月26日 RED副将軍
千賀地氏城



伊賀衆、甲賀衆を率いた服部半蔵の生誕の城👺

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。有力国人である服部氏一族の千賀地氏の居城。
室町時代後期に足利義晴に仕えていた服部保長が当地に移り住み地名の千賀地氏を名乗り、築城をしたとされます。
同族の百地氏、藤林氏らとともに伊賀忍者の一族と伝わります。
⁡服部保長の子、服部正成は出国し徳川家康に仕え、本能寺の変に際しては、岡崎城への撤退(伊賀越え)を助けました。徳川十六神将に数えられる。

見所
伊賀特有の単郭方形です。
北側の主郭背後は堀切で堅められ主郭の三方を土塁が巡ります。
服部半蔵正成生誕の地の碑が建ってます。

2022年11月14日 八咫烏紀伊守鉄龍
千賀地氏城



こじんまりとした城址ですが、土塁はちゃんと残ってます。あんないばんが新しくなってました。民家の脇を抜けるので節度を持って訪問しましょう。

2022年06月20日 課長大和守Ver.B
山ノ田城[千賀地氏城  周辺城郭]



山ノ田城は名阪国道白樫インターの北、法花地区に張り出す丘陵にあった城です。

城は麓に案内があり主郭まで迷わず辿り着くことが出来ますが、歴史や遺構については色々調べてみましたが不明です(^^;
私がよく三重県の城で参照する「三重の中世城館」という資料には法花地区に3城記載があるのですが、縄張りや立地や別称から探るも該当しないようで謎は深まるばかり…。
立地から天正伊賀の乱の陣城かとも思いますがどうなんでしょうか?
現地で見た限りでは舌状に張り出す郭と北側に主郭と思われる頂点の郭、更に北に低い土塁を伴う郭があり舌状郭直下の畑も郭利用されていたのでは?と思われました。
また堀切は見られなかったものの東から南にかけては高さのある切岸で守られていたようです。
舌状郭には伊賀の城でよく見る青いプレートもあり、何故かキティちゃんのブランコまで置かれてました(笑)

城までは法花地区内の道路が狭く駐車場所も少ないためクルマで来られる場合はご注意ください。

2021年07月25日 摂政やつた
千賀地氏城



ここで服部半蔵さんが生まれたのですね。城跡へはさほど苦労せずに登れましたがクモの巣に悩まされました…

2021年02月28日 課長大和守Ver.B
筒井城[千賀地氏城  周辺城郭]



筒井城は伊賀、大和の国境近くの通称筒城山に築かれた城で天正伊賀の乱の際に織田方支援の為の陣城として筒井氏が設けたとされます。

城跡へは名阪国道治田インターから県道687号を東に進み、最初の信号手前の田舎道を南に入った先の廃工場脇に先ず1つ目の案内板が現れます。
矢印に従い坂を上がると資材置場に出ますが、肝心の登城口は正面の砂山脇の藪に隠れているので要注意…(^^;
よく目を凝らすと歩道整備された跡がありますので、それに沿って進むと「城跡まで300m」という2つ目の案内板が現れます。
後は踏み跡に沿って緩斜面を暫く歩けば城域に到着です。

城跡は2つの変形郭で構成されており互いを浅い堀で仕切った形の縄張りですが、一段高くなった郭のほうに横堀や食違い虎口、土塁などが見られましたのでこちらを主郭としていたのかな?と思いました。
また周辺にも堀切、竪堀、土橋など有り陣城とは言え割とバラエティーに富んだ遺構が見られました(^^)
(やや遺構は風化気味で曖昧でしたが…)

駐車場は資材置場にも置けますが現役稼働している可能性もありますので、廃工場前のスペースが無難かと思います。

最後にこちらの城は千賀地氏城口コミにて触れられていた先人の方の情報で知ることが出来ました(^^)感謝☆

2020年11月19日 しげしげ主税頭信繁
千賀地氏城



道路沿いに小さな石で出来た城址入り口表示有り、駐車スペースはありませんので注意が必要。そこから入って直ぐに城址にたどり着きます。

2020年09月22日 菩提玄蕃頭山城
千賀地氏城



伊賀上野城からだと、368号を南下、687号に入ってしばらく進むと、右に小高い丘が見えてきます。民家や工場が集まった辺りの右側に「千賀地城址入口」と書かれた小さな石碑があります。そこから民家の横を奥に進み、案内に沿ってコンクリートの階段を上がって行くと主郭にたどり着きます。
主郭内には服部半蔵・藤堂采女正誕生の地碑をはじめとして、服部半蔵故郷塔,藤堂采女家供養塔、伊賀乱横死者供養塔があります。土塁などの遺構も残されており、行ってみる価値はあると思います。
687号は道も狭く、駐車場はありませんが、登城口の北数百メートルのところに、丘側にえぐられるようになっているところがあり、ここならば車1台ぐらいなら置けるかなと思いました。ただ、駐車場ではないので、地元の人に迷惑をかけることなく、自己責任でお願いします。

2020年09月21日 大納言Z武蔵守369
吹井氏城[千賀地氏城  周辺城郭]



花垣歴史研究会の案内板が建っている。時間の関係で近くまで立ち寄れなかった。

2020年09月21日 大納言Z武蔵守369
木原氏城[千賀地氏城  周辺城郭]



千賀氏城とは谷を隔てて、浅井氏城と並んで南側に築かれた城。

2020年09月21日 大納言Z武蔵守369
浅井氏城[千賀地氏城  周辺城郭]



千賀地氏城とは谷を隔てて築かれていた。
浅井酒店の裏山に築かれていたが、地主なのだろうか?

2020年09月21日 大納言Z武蔵守369
三重交通バス菖蒲池停留所[千賀地氏城  その他]



千賀地氏城跡へは、この停留所から徒歩17、8分で登城できます。写真と逆方向です。

2020年09月21日 大納言Z武蔵守369
千賀地氏城



付近に駐車場がなさそうなので、自動車で行くことを断念。公共交通機関で登城することにしました。
ウィキペディアには上野市駅から三重交通32系統予野線、上出停留場下車と掲載されていますが(確かにここが最も近いのですが)、平日でも1日3往復、土休祝日運休なので注意して下さい。
ですので、近鉄名張駅から(西口から乗車)71系統伊賀上野駅着に乗車して、菖蒲池停留場で下車(所要時間:約23、4分。運賃:片道570円。なお、近鉄桔梗が丘駅でもこの系統は通ります。西口から乗車できます。1時間に1本程度運行していますが、土日祝は一部減便があるので注意。)。すぐ北の三叉路を左折して徒歩17、8分程で登城できます。

2016年05月23日 まるき〜出雲守
千賀地氏城

県道678号線、城址案内の石碑が道路脇にポツンとあるのでそれを見つけてくださいそこから歩いて60〜70メートル奥に行き民家の間を抜けて約50段ほどのコンクリートの階段を上がって行くと土塁で囲われた20メートル四方の空間が現れる
そこに城址案内板、碑とベンチ服部半蔵、藤堂采女(うねの)伊賀乱黄死者の慰霊碑、服部半蔵、藤堂采女生誕の地の碑がある
たまたまこの石碑等をここに運んだというおじいさんが居られたので話を聞いてみたが「服部半蔵なんて向こうの山のモンなのに、なんでここに慰霊碑があるのか、意味わからん」と…えらい怒ってはりました。
服部半蔵はこの地の者ではないらしいというニュアンスでした
また、城址になってるらしいが地元の方に言わせると武士の屋敷跡だったらしいです。近隣に駐車場は無く路駐するにも気を使う所。探索は15分もあればできるかな〜?
余談ですが、ここから2キロほど西へ行くと光洋鋳造という会社があり、近辺に城めぐ未登録ネットにもほとんど載っていない筒井城跡という所もあります〜

千賀地氏城の周辺スポット情報

 千賀地城址看板(碑・説明板)

 千賀地城址看板(碑・説明板)

 浅井氏城(周辺城郭)

 木原氏城(周辺城郭)

 杉山八三郎城(周辺城郭)

 吹井氏城(周辺城郭)

 筒井城(周辺城郭)

 山ノ田城(周辺城郭)

 勝島氏城(周辺城郭)

 松生飛騨守城(周辺城郭)

 広瀬東城(周辺城郭)

 ヒウラ砦(周辺城郭)

 広瀬山城(周辺城郭)

 登城口(その他)

 三重交通バス菖蒲池停留所(その他)

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