柳生陣屋(やぎゅうじんや)
柳生陣屋の基本情報
通称・別名
- (柳生城(今川を隔てた対岸))
所在地
- 奈良県奈良市柳生町(柳生陣屋跡史跡公園)
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 山城[柳生城]、陣屋[柳生陣屋]
天守構造
- -
築城主
- 柳生氏[柳生城]、柳生宗矩[柳生陣屋]
築城年
- 不明[柳生城]、寛永19年(1642)[柳生陣屋]
主な改修者
- -
主な城主
- 柳生氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切[柳生城]、石垣、曲輪[柳生陣屋]
指定文化財
- 旧柳生藩家老屋敷(県指定文化財)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
笠置城(京都府相楽郡)[3.0km]
上狭川城(奈良県奈良市)[3.8km]
水間城(奈良県奈良市)[6.1km]
石打城(奈良県奈良市)[9.9km]
白栖城(京都府相楽郡)[10.1km]
鹿背山城(京都府木津川市)[10.2km]
畑城(奈良県山辺郡)[10.5km]
木津城(京都府木津川市)[11.3km]
岩掛城(奈良県天理市)[11.4km]
椿尾城(奈良県奈良市)[11.7km]
柳生陣屋の口コミ情報
2024年02月12日 中村侍従和夫
柳生陣屋
柳生の郷ってこんなところなんてすね。ここから新陰流が誕生したと思うと感慨深いです(新陰流の何たるかも存じ上げないですが…)。高校日本史の史料に出てくる徳政碑文も実際に見ることができて感動!
2023年02月27日 tracer_azu
柳生古城[柳生陣屋 周辺城郭]
柳生城、柳生古城はぜひセットで訪れることをお勧めします。こちらは看板が🪧出ているのでわかりやすく階段の道を登って程なくするとL字にオレた堀切兼空堀が出てきます。土塁は高く横矢がかかります。主郭は広く、整備されていて見やすかったです。主郭の石碑が土塁となっていてその背後の堀切も中々見応えがありました。お手軽に見れて良い城でした。
2023年02月27日 tracer_azu
柳生城[柳生陣屋 周辺城郭]
芳徳寺を目指していくとあります。登り口手前に壊れた社があります、入ってすぐに巨大な堀切がお出迎えしてくれます。道として改変されているようですが往時はたてぼりだったようです。ここより城内荒れている感じですが、堀切、空堀が東尾根以外各所にあり見どころ満載でした。
2023年02月27日 tracer_azu
興ヶ原城[柳生陣屋 周辺城郭]
口コミがなかったのでGoogleストリートビューなどで検索して公民館前の駐車場にとめさせていただき少し歩いて城址まで向かいました。目印は赤い屋根の家でその裏の山が城となっています。登り口があります。段曲輪の高低差が高く道なき道は倒木、倒木、、足元が悪いのでいかれる方はお気を付けて。主郭虎口は改変?のような感じもしますが、主郭背後の堀切は鋭角、高さもあり中々のものでした。
2023年02月26日 小太郎左衛門督南海道22國守
柳生陣屋
小高い丘の陣屋跡を訪問。特に遺構には目立つものはなかったが、一万石余の小規模藩陣屋規模と立地条件を垣間見た。近くには、柳生石舟斉が、天狗退治した際に切った伝説の一刀石があり、一見の価値がある。2月25日訪問。
2023年02月06日 なりぶ
柳生陣屋
【柳生古城】笠置山の南3kmの位置にあり、後醍醐天皇の笠置山倒幕挙兵の折に柳生永珍が築城。2段の主郭跡、堀切、横堀、竪堀が良好な状態で残ってます。
2023年01月24日 なおちん
柳生陣屋
初代柳生藩主 柳生宗矩が、芳徳禅寺に続いて3年かけて築いた正木坂の陣屋。3代柳生藩主 柳生宗冬の1747年に全焼し、仮建築のまま明治の廃藩を迎え、姿を消してしまったそうです。1977年から市による発掘調査が行われ、現在では当時の陣屋を忍ばせる史跡公園として整備されたのだそうです。
2022年07月03日 上田図書頭雪娘
柳生陣屋
暑い時期の訪問でしたがのんびり楽しくできました。柳生城と柳生古城の堀切も是非 おすすめです。
2022年05月06日 RED副将軍
柳生陣屋
公園となり、建物跡が復元されています。
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1642年に柳生宗矩により築造。柳生氏は筒井順慶や松永久秀に従っていましたが、徳川家康が天下統一すると将軍家剣術指南役に取り立てられたことは有名です。1747年に火災で焼失、再建されずに廃藩を迎えました。
見所
1980年に史跡公園として整備されています。建物跡を石積みにより復元されていました。近くの柳生城や柳生古城のついでに立ち寄りました。
2022年01月17日 RED副将軍
柳生城[柳生陣屋 周辺城郭]
柳生石舟斎こと柳生宗厳が有名な柳生氏の居城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
南北朝時代に築城されたと言われる柳生氏の居城。1544年、大和統一を目指す筒井氏による侵攻を受け抵抗するも落城。その後、松永久秀に属したが松永氏滅亡後は徳川家康を頼り、後に近世大名となり付近に柳生陣屋を構える様になります。
見所
主郭南側の大堀切。主郭の尾根筋を南北両側に堀切で区切り堅める。主郭は藪化しているのが残念。現在は柳生家の菩提寺である芳徳寺の境内となっています。
2021年10月30日 右大将蔵人頭
柳生陣屋
今日は天気に恵まれ、絶好の行楽日和でした。「陣屋跡」ということで、建物等は残っていませんが、広々していました。ここから歩いて10分ほどの「疱瘡地蔵」を訪ねました。正長の土一揆の碑文が刻まれています。
2021年08月12日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
柳生陣屋
バイクで柳生の里に到着!ちょうどお昼だったんで正午のサイレンが大音量で鳴り響きビックリ!柳生陣屋は跡地だけでしたが、ベンチが置いてあってゆっくり休憩できる感じ。ただ今日は暑過ぎて直ぐ出発しましたが。
2021年02月08日 ばらく~だ
柳生陣屋
柳生陣屋へは、奈良駅(JR、近鉄)から奈良バスを利用し、柳生バス停が最寄りになります。約50分で料金は970円(片道)でした。
1日3往復しかないので、時刻表の確認は必須です。近鉄奈良駅前バス停の乗車券発売窓口で、時刻表が載っているパンフを頂けました。
柳生陣屋周辺は、柳生の里としてハイキングコースが整備されていて、家老屋敷→小山田分家屋敷→柳生陣屋→疱瘡地蔵→天石立神社(一刀石)→芳徳禅寺(柳生家墓所)→十兵衛杉を半日ほどでまわれました。
周囲の山は杉が多く植えられていますので、花粉症の方はご注意を😷
2020年08月26日 大納言Z周防守369
柳生古城[柳生陣屋 周辺城郭]
R369と県道4号の交差点の北東に鉄の階段がある。それを登ると山道が続く。それが「数珠口坂」と呼ばれる坂道であり、主郭へと続く。主郭には「剱塚」と呼ばれる石碑が建てられている。
ここから先、北へ尾根づたいに行くと、笠置山に繋がるといわれている。1331年の元弘の乱で、城主の柳生永珍がここに立て籠り、後醍醐天皇が潜行していた笠置山を南から守っていた。
2014年05月04日 中務卿一之介
柳生陣屋
近鉄またはJR奈良駅から奈良交通バスで約50分950円です。
小高い丘の上にいい状態で保存されています。
敷地内にトイレはありますが、汲み取り式です…(食事中の方ごめんなさい)。
周辺は柳生の里として整備されており、柳生藩家老屋敷、芳徳寺などの見所が、徒歩圏内に点在しています。
その中で、柳生宗厳が天狗と試合をした際に、そこにあった巨石も一刀両断したという、一刀石はお薦めです(辿り着く直前に巨石が廃棄されたよな不思議な光景も)。