望月城(もちづきじょう)

望月城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県甲賀市甲南町杉谷字占門(私有地)

旧国名

近江国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

望月氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

望月氏

廃城年

天正2年(1574)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

甲賀郡中惣城館(滋賀県甲賀市)[1.2km]
水口城(滋賀県甲賀市)[5.9km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[6.4km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[6.6km]
和田城(滋賀県甲賀市)[8.3km]
三雲城(滋賀県湖南市)[8.6km]
柏野城(三重県伊賀市)[12.0km]
福地城(三重県伊賀市)[12.9km]
土山城(滋賀県甲賀市)[13.0km]
小川城(滋賀県甲賀市)[13.2km]

望月城の解説文



望月城(もちづきじょう)は、滋賀県甲賀市にあった日本の城。

概要 

望月城は、戦国時代、近江国の甲賀郡の土豪・望月氏の築いたと考えられる中世城郭で、典型的な甲賀の城の一つ。 東へ張り出した尾根の先端に築かれており、谷を挟んだ南側の尾根には望月支城、南東には杉谷砦、北方には杉谷城がある。

文献 

甲賀市史編さん委員会編『甲賀市史』第7巻「甲賀の城」(2012年)

望月城の口コミ情報

2024年01月08日 tracer_azu
山上城[望月城  周辺城郭]



Google表記の山上城を目指して砂利道を進むとお地蔵さんがあり(写真載せておきます)その横の細い道を進むとすぐに城内となりますが、現状倒竹がすごい状態で、くぐったり跨いだり入り口付近多少はありますが、城内は基本的によく見れて、遺構も横矢のかかる折れた土塁や、折れのある堀底道などコンパクトながらみどころがあって楽しめるお城でした。

2022年01月28日 別損山城守備前994重砲隊
望月城



何故、近隣にある甲賀郡中惣城館遺跡群のように国指定史跡に認定されていないのか不思議な程、見事な甲賀名物の方形城館遺跡です。登城されたあなた❗️四方を取り囲む最大7から8m級の超弩級「アルプス土塁(仮)」に圧倒されるでしょう。👉「ど〜ん!」(喪黒福○さん風!)

土塁上からも主郭を見て下さい。例えるなら、「ここはお城の甲子園や〜」

近くに望月支城も有ります。支城の目標物は、新名神高速道路の高架下トンネルから県道337号方向に向かい、歩道ポールの切れ目付近に登城口があります。此方の土塁は「アルプス土塁」ではありませんが、主郭の広さは望月城より、広いです。

望月城、星みっつ!⭐️⭐️⭐️!損はしません。その目で変態級土塁を堪能してください。写真は土塁上西側から横堀を見た所、実際に見るとかなりの高低差があります。但し、近隣の方々にご迷惑をかけない様にしてください。

 

2021年12月10日 雪印 ネオソフト
望月城



初めて行きましたが、土塁が凄く高かったです。伊賀市でも土塁が高いのは多く見られますが、甲賀市の方は比較的、土塁が高くなかった城跡が多かったので圧巻でした。

入り口は分かりずらいですが、家の隣に登って行く所があり、登って行くと右手に氏神神社があり左手に虎口があります。

2021年11月09日 天道式部卿早雲
望月城

周囲に案内板・説明板の類がないのが非常にもったいない、素晴らしい遺構に出会えます。

まず、登城口は遺構の東側の家と家の間にある空き地の奥に細い登り道があります。※別サイトのコメントで崖を登るととありますが、崖を右手にみて少し東にいき細い道路の分岐に入り進むと空き地があります。

細道を登ると稲荷神社があり、神社の左に進むと虎口・大土塁に囲まれた主郭、右手奥の竹林を行くと堀・土塁があり、三日月型や二重になってたりと凄く面白いです

更に奥の谷を渡り進むと支城の遺構があらわれます。※ちょっと難易度高めですが。

登城口の空き地が私有地っぽいので難しいなどの事情があるかもしれませんが、他の甲賀の城跡遺構同様にいつの日か表示板・案内板などが設置されることを祈念いたします。

遺構内は手入れさられているようで藪などもほとんどなく気軽に行ける、おすすめのお城です。

2021年10月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
杉谷城[望月城  周辺城郭]



杉谷城は望月城の北東約0.3km、東方へ延びる山塊、標高約210mの緩斜面上平場に主郭が存します。南麓の滋賀県道337号線からの比高は20m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。滋賀県道152号線と滋賀県道337号線が重複する杉谷南交差点の北西側の山塊が概ねの位置となります。取り付きは南側からだと躊躇するので、交差点から北方へ150m位進んだ所に入口がある城域外西側に建つ小社に至る参拝道?を使いましょう。

築城年代は不明ですが、築城者は甲賀五十三家の一つ、杉谷氏です。元亀元年(西暦1570年)四月、金ヶ崎の戦いの後に京都に逃れていた織田信長が、同年五月、岐阜への帰還途上、近江国の千種越えにおいて鉄砲で狙撃される事案が発生しました。これを実行したのが杉谷善住坊で、善住坊はこの杉谷氏の一族だと比定されています。が、事績の追えない人物ではあるし、伊勢にも同名の杉谷城が存して杉谷氏(荻原氏)が城主だったとされている等、何処の杉谷氏の一族なのかは不明ですし、根本的に何れの杉谷氏にも関係の無い人物なのかもしれません。

お城は採土により大幅に損なわれているらしいのですが、自分の印象では城域南西側に改変が留まっているように感じました。情報の少ないお城(簡易な縄張図は探せる。)で全然期待もしてませんでしたが、びっくりするよな空堀で山側を堀切っています。ただ城域の判定に苦しむところもあって、城域外西側の小社の建つ標高約241mのピークはこれに含まれないのかな。周辺地形は改変もあるけど怪し過ぎるし、何よりこの高みから城域内は丸見えだ…往時の完全な状態が不明ではあるけど、まだまだ調査すべき箇所は沢山ありそうです。

杉谷氏の城館としては望月城の周辺を取り囲む様に杉谷城II、杉谷城III、杉谷砦が別に存します。いったい杉谷氏は望月氏の一族なんでしょか。狭い範囲に土豪がひしめき合う甲賀の地は訪れる後世の変態達を苦しめます。

2021年10月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
山上城[望月城  周辺城郭]



HOLY SHIT!!!

山上城は望月城の北西約1.6km、標高約207mの独立丘陵上平場に主郭が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されている近江山上館(甲賀五十三家山上氏居館)址を目標に設定して下さい。山上館の東側に見える雑木林がお城です。お城への取り付きは城域南東側から入り虎口(二重だったりする。)を目指すのが一番楽だと思います。

築城年代は不明ですが、築城者は甲賀五十三家の一つ、山上氏です。

お城は凄かったさ〜基本概ねで単郭(方形ではない。)の縄張だと思うけど、世間一般に流布している縄張図は簡易的なもので実際はもっと複雑に高さと厚みのある土塁が巡ってます。土塁は要所で切られて堀底道を小さな迷路としているし、横矢を掛ける小郭も効いている。主郭は土塁囲み(元々無かったのか、改変なのか知らんけど北辺と西辺の一部が欠けている。)の削平地で段付き、北側へ緩やかに落ちていきます。本当に小さなお城だけど夢中になっちゃったぜ〜楽しいてよりは面白い〜て感じ。ただリア攻めは雑木林、竹薮、倒竹、複雑な土塁構成等で難儀すると思います。

甲賀の謂わゆる単郭方形のお城を訪ねて感じるのですが、高さと厚み(てか幅員ですわ…)のある土塁を単純にただの土盛りの障壁と見るのは難しい(段が付いていたり、櫓台があったり、郭と言ってよい程の削平面積があったり…)お城が沢山あります。これがこの地方の土塁の常識だと言われればそれまでなんですが、丘陵地形を凹して掘削残土を掘り残しの土塁上に凸したのが概ねの築城方法の一つだと思うので、その構成をもっと自由に考えてみてもよいのかもしれません。

写真見れば理解出来ると思いますが藪蚊の聖地(悲惨な目に遭います。)でした。冬でも藪度は変わらないと思いますが秋以降に行きましょう。攻城時間2時間位、正においらが甲賀のお城に求めていたものの一つです。望月城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2021年10月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
山上館[望月城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜甲賀編

山上館は望月城の北西約1.6km、標高約206mの独立丘陵上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。

築城年代、築城者は不明ですが、お住まいになられていた方は甲賀五十三家の一つ、山上氏です。

居館の現況はグラウンドになっています。見事なまでにひら〜っとしていますが、周囲より一段高くなっているので居館の規模は容易に把握出来ると思います。東隣りには一段下がった舗装路を介して山上城が存していますが、地形図等を見れば山上館と山上城は同一の丘陵上に築かれており、両者は空堀(つまりは舗装路が堀跡だ。)で隔てられていたと推測されているようです。

甲賀の城館は距離が近くても実に細かく区分されています。同一城でいいんじゃねぇ…等と考えたりしちゃいますが、そうは出来ない事情がきっとあるのでしょう。

リア攻め時は近くに市議会議員選挙事務所が立ち上がっていて熱い応援を何度もお願いされたんですが、おいらは此処での選挙権が無いので終始冷ややか…大体、鬱蒼とした雑木林に分け入って行く人間にそんなお願いするなよ…恥ずかしいわ…攻城時間10分位、マニア向け。

※写真中にある雑木林が山上城です。

2021年10月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
川北城[望月城  周辺城郭]



川北城は望月城の北方形約1.0km、標高244.7mの南杣トンネルが貫通する北東へ延びる山塊、標高約224mの中腹部緩斜面上に城域が存します。北麓の舗装路からの比高は40m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。自分は北麓から獣柵ゲートを開けて直登しましたが、高台の、半ば公園化?を諦めた感じの放棄された広場?と配水施設もあるので別に行き易い道があるかもしれません。こんな場所で二宮尊徳像に出会えるとは思ってもみませんでした。

築城年代、築城者は不明ですが、同じ望月城のリア攻めマップにある塩野城の詰城の趣きがあります。色々調べましたが何も出てこねぃ…

お城は山城の範疇に入りますが城域の判定に苦しみますし、何より主郭の位置が判らない…祠の立っている場所がそうなのか、それとも城域を広く考えて配水施設の建ってる場所がそうなのか…そして山腹の緩斜面にはコの字型の凹地形の結構広めの郭?があるんですが斜めってます…とても落ち着かない感じ…後世の植林による改変なのか知らんけど、改変だとしたら改変する意味がよく解らない…相当異形のお城なんですが、山城に通い詰めている自分にも理解不能な所があります。又、城域には改変でなければ土塁が確認出来ると思います。

北麓(たぶん堀と土塁が付いていたように思える。)から直登すると結構な急斜面且つ要害地形で「これは…」等と呟いて期待感MAXだったんですが、上に登ると意外な程あっさりしていて守りに不安を感じます。攻城時間50分位、マニア向け。

2021年10月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
塩野城[望月城  周辺城郭]



塩野城は望月城の北方約1.1km、標高約180mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。後は心眼で城域を特定しましょう。

築城年代、築城者は不明ですが、塩野城は居館城だったらしく、お住まいになられていた方に甲賀望月氏の一族、望月弥平太の名が挙げられています。

お城の現況は住宅地となっています。謂わゆる単郭方形の縄張だったのでしょう。が、何かを見出そうと頑張っても通報されるだけだと思うので諦めました。てか根本的に何も見付からないと思います。難し過ぎてよく判らん…攻城時間30秒位(通り過ぎただけとも…)、スーパーマニア向け。

2021年10月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
杣中城[望月城  周辺城郭]



杣中城は望月城の北方形約2.0km、標高約172mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。杣中公民館の南側周辺が概ねの城域です。ちなみに同じ望月城のリア攻めマップにある松中城とはほぼ隣接しています。

築城年代は不明ですが、築城者は芥川氏と推測されています。芥川氏は甲賀二十一家の内、北山九家の一つ、お城は別称で芥川城とも呼ばれます。

お城の現況は雑木林、竹林、更地等となっています。ただ堀や土塁等の遺構がしっかり確認出来ますね。城域の判定に苦しみますが、謂わゆる単郭方形の縄張だったのでしょう。特に土塁がしっかり残っているんですが、雑木と竹薮と下草、強い陽射しで写真が壊滅、又、西南辺には堀様地形を見る事が出来るんですが、こちらは後世の改変かもしれません。先人様のブログなんか見ると時期によっては見易くなると思いますので参考までに…攻城時間20分位、マニア向け。

こんな時期に行くのも何ですが、甲賀のリア攻めと藪蚊は切っても切れない関係でしょう。凄まじい編隊を組んで襲って来ます。今回の遠征は2日掛けて31城を廻りましたが、決してオーバーな数字ではなく30箇所位は刺されました。暑過ぎたので雨合羽は遠慮してTシャツに虫除けスプレーを肌が白くなるまで吹き掛けましたが、流れちゃったのか藪蚊の殺る気度が勝ってるのか意味の無い状態に…藪蚊のBLOODTHIRSTY感は敵ながら天晴れ!吸血中は摘めますw洗練された都会的、MODERNでURBANなかずりが薮の中で苦闘してるなんて誰かに見られたら恥ずかしいわ…やっぱり蚊取り線香が最強ですかね。

2021年10月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
松中城[望月城  周辺城郭]



松中城は望月城の北東約1.9km、標高約169mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。後は心眼で城域を特定しましょう。

築城年代、築城者は不明です…てか情報が全く無い…

お城の現況は水田です。ひら〜っとしてる以外に何も見出せません。凄く優しい眼で見ると段が付いてるように思えますが、やっぱり後世の改変でしょう…これ本当にそうなんか…攻城時間は1分位…

実は同じ望月城のリア攻めマップにある市原城から0.5kmしか離れていない。が、その間にも古屋敷と称する居館がある事に気付かず通り過ぎてましたw怪しい雑木林だなとは思ってたんですが…スーパーマニア向け。地形段差マニアでも無理だと思います。

2021年10月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
市原城II[望月城  周辺城郭]



市原城IIは望月城の北東約1.5km、標高約175mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。後は心眼で城域を特定しましょう。

築城年代、築城者は不明ですし、同じ望月城のリア攻めマップにある市原城との関係性も不明です。

お城は畑地や住宅地に飲み込まれていて難し過ぎてよく判らん…単郭方形の縄張だったのでしょう、最近まで堀と土塁の残滓が残っていた(今も改変で無ければ堀様地形が少しだけ確認出来ます。)ようですが、現況から此処がお城だったなんて想像も出来ない…攻城時間2分位、スーパーマニア向け。

…これだけではあんまりな口コミなので甲賀市の城館全制覇を目指す変態にアドバイスを…

まずは車を捨てましょう。甲賀市は市内に約75の城館が集中し、その密度と言ったら尋常じゃありません。それこそ数百メートル間隔で連なり(怪しいと感じた場所は大抵そうだったりするw)ます。車で進軍すると狭い道には入るし、駐車場所(かずりは誰も作業していなくても農道には絶対駐車しない!迷惑極まりないし無用のトラブルになる。)には困るし、そもそも論で車で移動するような距離じゃない。そこで推奨されるのが自転車です。JRの油日、甲賀、寺庄、甲南、貴生川の各駅にはレンタサイクルがありますのでこれを活用しましょう。たとえ車で現地入りしたとしても自転車で廻る事を推奨します。

何故かと言うと、城館の場所は特定出来ても取っ付きに困る所が大多数を占めます。殆どの城館は未整備で鬱蒼とした雑木林の中に隠れているので入れる箇所も限定されてしまいます。つまりは周囲を一周するような事態が頻繁に起こりえるんす。そんな時に自転車は大活躍、少しの悪路でも走行出来るし、狭い道でも安心、結果的に相当な時間短縮に繋がります。

借用場所からは離れても5kmを越える事は無いですし、高低差も殆どありません。今までとは違う甲賀ならではの健康的なリア攻め、凄く楽しかったです。見たいお城を選ばないという方は是非試してみて下さいまし。自分のリア攻め方式は地域限定型のフィールドワーク、色んな発見や地元の方の貴重なお話も聞けますよ!

2021年10月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
市原城[望月城  周辺城郭]



市原城は望月城の北東約1.8km、杣川の西岸、標高約172mの平野部平場に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されている和晃技研(株)甲南工場を目標に設定して下さい。お城は地籍名から此処ら辺だと推測されています。

築城年代、築城者は不明ですが、戦歴があります。正平十五年(西暦1360年)佐々木大夫判官高頼が籠る市原城に仁木三郎義任を総大将とする伊勢、伊賀の軍勢二千余騎が押し寄せたそうですが、この地域の歴史に疎いので背景が全く解りまてん…

お城は東側で一段高い場所に立地してますが、難し過ぎてよく判らん…周囲を堀とした単郭方形の縄張らしいけど、世間に流布した縄張図とおいらの想像は遥かに違う…烏滸がましいけど城域は南側に更に大きいと思うのさ。発掘調査が行われたのかは知らんけど、古い中世城郭だと思うし、二千余騎を迎え撃つには狭い単郭方形のお城では勇気とは言わないぞ。城域を大きく取らないと拠点として成り立たない(籠ってたのは近江の佐々木さんだぜ…)。そうでなければ河川も含めた土地の大きな改変か城郭として後の二次利用があったと思います。

城域を分断する滋賀県道128号線から一歩も離れる事無くリア攻め…攻城時間にして1分位ですが、これ書くのに1時間位掛かりました。馬鹿なんでしょか。スーパーマニア向け。

2021年10月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
望月家累代之墓所[望月城  寺社・史跡]



望月家累代之墓所は望月城の北方約1.1km、川北城の存する北東へ延びる標高244.7mの山塊北東麓、標高約188mの緩斜面上平場に位置する墓所です。

甲賀望月氏一族の墓所の一つと推測されますが、誰のものかは判らないし、惣領家当主の物かも判りません。ただ墓石群には最近の物もある事から滋野三家、信濃十六牧の筆頭、望月牧を支配した信濃望月氏の末裔が遠く離れたこの甲賀の地で綿々とその血を繋いでいるのでしょう(幾つかの墓石に残る家紋は九曜紋だ…)。

勅旨牧・御牧とは奈良時代後期に滞りなく朝廷に馬の供給が保たれるように信濃、甲斐、上野、武蔵に設けられた官制の牧場です。信濃は十六牧あり、望月牧はその筆頭でした。望月の地名は貞観七年(西暦865年)八月十五日(満月の日、すなわち望月っす。)に武徳殿において同牧の駒を天皇が叡覧すると定められた事に由来します。ちなみに自分的には武蔵国小川牧は歩いて5分の近所でして、小川牧に関係があったと推測される小川氏は承久の乱の際に功を立て、薩摩国甑島に所領を得ました。城めぐ登録城の亀城城主ですね。

話は脱線しましたが、朝廷に献上する馬は平安京周辺諸国に設けられた飼養牧と呼ばれる牧に預けられ、必要に応じてその都度活用されていたようです。そしてその飼養牧の一つが近江国甲賀郡にありました。これにより甲賀郡と信濃望月氏は古くから何らかの関係があったとされています。

平将門の乱において望月三郎兼家は功を立て勅命により甲賀郡主、十六ヶ村を賜り甲賀望月氏の祖となりました。甲賀望月氏は甲賀五十三家の筆頭でしたが戦国時代には衰退します。寛永十四年(西暦1637年)、島原の乱において同氏の末裔、望月与右衛門は老中松平信綱に従い原城に何度も潜入、城内の兵糧が尽きかけている事を察知、報告する等、忍びの者としての活躍が有名ですね。

実は川北城への登城路を探している時に偶然発見したのですが、最近信濃の望月城のリア攻めマップをこそこそと作成していたのが御導きだったのでしょか。何だか少し不思議な気持ちになりました。

2021年03月07日 イオ左衛門佐
杉谷砦[望月城  周辺城郭]



詳細は不明ながら、杉谷砦は杉谷氏(甲賀五十三家)が築いた出城と伝わります。なお、織田信長を火縄銃で狙撃したことで知られる杉谷善住坊は杉谷氏の一族とも言われます。

県道から正福寺の東側に続く道に入り、少し行くと車両通行止めになっていますので、道路脇の空きスペースに路駐させてもらいました。

駐車場所から正面の藪に突入すると主郭北西部に至るのですが、進入路を見付けられず、竹藪沿いに東に少し進んだところから突入すると、東側の堀切から続く竪堀の北麓に出ました。杉谷砦の一番の見どころと言われるだけあって、相当な深さで東尾根を完全に断ち切っています。堀切の西側には主郭があるはずですが、ルートがわからないので土塁によじ登ってみると、はるか下に主郭が見えます。大変な高さ(7mくらい)です。主郭に下りていくと広さはないものの、東辺から南辺、西辺までを高土塁で囲んでいます。主郭北東隅から東側の堀切に続く道があり、堀切を越えて東尾根にも行ってみましたが、雑木林になっていて特に削平された様子もないので、城域ではなさそうです。

それにしても、堀切のあちこちに石仏が転がっていたのは何か謂れがあるものなんでしょうか。

2021年03月06日 イオ左衛門佐
望月支城[望月城  周辺城郭]



戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家)の一族の城で、杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれ、谷をはさんだ北側の望月城と連携して機能したものと考えられます。

下調べでも登城口がよくわからなかったのですが、望月城西側の二重堀切のあたりで南側の谷越しに望月支城らしき切岸が見えたので、谷を渡って北麓に取りつき、雑木を手掛かりに直登すると北側の帯曲輪に着きました。さらに土塁を乗り越えて主郭内へ。「土塁、低っ!」 思わず声が出ます。主郭を囲む四方土塁は常識的な高さで決して低くはないのですが、この日は非常識な規模の土塁ばかり見てきたので、感覚がおかしくなっているようです(笑) 主郭内は北西部が一段高くなっていたり中央部に窪みがあったり、なかなかの広さがあり、東側と南側に虎口が開口しています。東側の虎口を出ると小さな曲輪がありますが、その先は道路により崖状に削り取られています。南側の虎口の先に広がる南の曲輪を経て西側へ回ると堀切が西尾根を断ち切り、堀底から見ると南西隅の土塁は充分な高さと厚みが感じられます。

さて、北側の谷から望月城に戻ってもいいのですが、どうせなら直接に望月支城へと至る登城ルートを探してみよう、ということで、東側虎口の先の崖を降りる…のはちょっと怖いので、南の曲輪から南側の谷のほうに下りて行きました。しかし…。北側の谷もそうでしたが、谷にはいくつかの水の流れがあり、ところどころ足場と思しき丸太が置かれているものの、ヘタに足を踏み入れるとずぶずぶと沈んでしまう箇所もあり、無事に道路には出られましたが、あまりおすすめできません。やはり望月城から来て望月城に戻るのが一番良さそうです。

2021年03月05日 イオ左衛門佐
望月城



戦国期に築かれた望月氏(甲賀五十三家筆頭格)の居城で、織田信長に近江を追われた六角氏が、伊賀に落ち延びる際に一時滞在したとされます。

杉谷川南岸の丘陵地先端に築かれた城で、谷をはさんだ南側の望月支城と連携して機能したものと考えられます。

登城口から登り始めてすぐに祠のある副郭に到着。副郭から横堀の土橋を越えて虎口を抜けると主郭です。主郭に足を踏み入れると新宮支城にも劣らぬ分厚く高い四方土塁に囲まれ、圧倒されてしまいます。土塁上を一周すると、土塁西辺内周に帯曲輪状の中段スペースがあり、中段を設けられるほどの土塁の高さと分厚さって……と非常識なまでの規模を実感させられます。主郭を出て北側に回ると横堀をはさんで帯曲輪があり、北辺を土塁で囲っています。西側にも横堀と土塁がめぐり、南のほうでは大土塁をはさんで二重堀切になっています。

大いに期待して訪れた新宮支城に対して、望月城はノーマークでしたが、新宮支城に勝るとも劣らないとんでもない城でした。こちらもぜひお立ち寄りを!

2020年09月08日 天道式部卿早雲
登城口[望月城  その他]



集落の空き地(?)の奥に道があります。看板などはありません。登城口から神社を左にすぎて主郭の虎口です。また、社奥の竹林を進むと横堀・土塁、更に西側の二重堀切や支城の郭や土塁が見られます。
登城口にスペースはありますが、駐車していいかは不明です。自己責任でお願いします。

2018年06月26日 カーネル
望月城

村雨城をでたら、県道337号を西北西へ進む

望月城北側の集落の空き地から登りました。最初は蜘蛛の巣と藪がありましたが、すぐに神社の曲輪にでて、この後は快適でした

本丸は高土塁に囲まれていて、その周りは三日月型の堀になっています。3/4周したところで下に民家が見えたので、無理やり降りてしまった

あとは北東の甲南駅を目指して、ひたすら歩きました

服部城、新宮城、村雨城、望月城と歩いて2時間半でした

2017年11月09日 織田上総介晃司
望月城

新名神高速・甲南インターからすぐですが駐車場はありません。

この地方の中世城郭で高い土塁と堀切で形成されてます。知らない人だとただの山に見えてしまうでしょう。

11月に訪れたのでキノコが生えていましたが、もちろん採ってはだめですし、素人が食べるのはこれまた危険です。

2016年02月07日 城井宇都宮智房
望月城

登り口に標識がない、探すのに苦労するかもです。

集落内に空き地があり、その奥に山道があります。

その山道を登りきった所に稲荷神社があり、左を向くと主郭虎口が開けてます。

主郭土塁の高さは10m弱 虎口正面には、雛段状の曲輪跡も確認出来ます。

稲荷神社を右に進むと、三日月状の腰曲輪があり、土塁・空堀・土橋が良好な状態で残っています。

最高位の中世城館跡と思います。

望月城の周辺スポット情報

 望月支城(周辺城郭)

 杉谷砦(周辺城郭)

 山上城(周辺城郭)

 市原城(周辺城郭)

 市原城II(周辺城郭)

 松中城(周辺城郭)

 古屋敷(周辺城郭)

 杣中城(周辺城郭)

 塩野城(周辺城郭)

 川北城(周辺城郭)

 山上館(周辺城郭)

 山上城B(周辺城郭)

 杉谷城(周辺城郭)

 杉谷支城(周辺城郭)

 望月家累代之墓所(寺社・史跡)

 (寺社・史跡)

 甲南PA上り線ウェルカムゲート・一般道P(関連施設)

 望月城最寄道路脇(その他)

 登城口(その他)

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