甲賀郡中惣城館(こうかぐんちゅうそうじょうかん)
甲賀郡中惣城館の基本情報
通称・別名
- 甲賀郡中惣城館[寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城・竹中城]
所在地
- 滋賀県甲賀市甲南町新治他(地図は新宮城を示す)
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 不明[寺前城・村雨城・竹中城]、服部氏[新宮城・新宮支城]
築城年
- 15〜16世紀[すべて]
主な改修者
- -
主な城主
- 不明[寺前城・村雨城・竹中城]、服部氏[新宮城・新宮支城]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口[すべて]、堀切[寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城]
指定文化財
- 国史跡(甲賀郡中惣遺跡群)
再建造物
- 碑、説明板[すべて]
周辺の城
-
望月城(滋賀県甲賀市)[1.2km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[5.6km]
水口城(滋賀県甲賀市)[5.9km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[6.1km]
和田城(滋賀県甲賀市)[7.3km]
三雲城(滋賀県湖南市)[9.5km]
柏野城(三重県伊賀市)[11.4km]
土山城(滋賀県甲賀市)[11.8km]
福地城(三重県伊賀市)[12.0km]
日野中野城(滋賀県蒲生郡)[13.8km]
甲賀郡中惣城館の解説文
甲賀郡中惣城館の口コミ情報
2021年02月26日 イオ紀伊守
服部城[甲賀郡中惣城館 周辺城郭]
詳細は不明ながら、服部城は室町期に築かれた服部氏(甲賀五十三家、甲賀二十一家、荘内三家)の居城と伝わります。
服部城は、新宮神社の裏山から谷部をはさんで西側の丘陵地に築かれた方形単郭の城で、主郭の東辺から南辺を分厚く高い土塁がめぐっており、南東部外周には堀も見られます。北東部には虎口があるようですが、竹藪でよくわかりませんでした。主郭内部も藪化しているものの、足を踏み入れられる程度には整備されていました。
駐車場はないため、新宮神社の北にある新宮神社表門脇の空きスペースに駐車し、新宮神社に参拝した後に保育園との間の道を西へ進むと、服部城の北側に至ります。北側にあるはずの虎口からは入れそうにないので、北辺の小道を西側に回り込むと、主郭内への進入路がありました。…といっても、西側に回っても格別見どころはありませんし、東側から土塁をよじ登るほうが早いですけどね。
2020年09月27日 天道加賀守早雲
竹中城[甲賀郡中惣城館 周辺城郭]
竹永城の遠景。 近くまで行きましたが名の通り竹に覆われていて、私有地っぽっかたので、中には入らず。
ネット、書籍、地元の案内地図によって竹中城・竹永城両方の表記が見られます。
2020年09月13日 天道加賀守早雲
村雨城・寺前城登城口[甲賀郡中惣城館 その他]
登城口から村雨城を経て寺前城まで行けます。片道15分ほどです。
両城の説明板や顔出しパネルもあります
2020年09月13日 天道加賀守早雲
新宮城・新宮支城西側入口[甲賀郡中惣城館 その他]
看板などはありませんが、こちら側(ニシガワ)からも新宮城・新宮支城跡に行けます。
※東側入口に説明板が設置されています。
西側入口からは、支城へはまっすぐ、新宮城跡へは途中左に曲がるイメージです。
入口は、カーブミラーと緑の忍者が目印※2020年9月8日現在確認
2020年09月08日 天道加賀守早雲
「新治の七城」説明板[甲賀郡中惣城館 碑・説明板]
各城の配置・位置関係と縄張り図がとても参考になります。
2020年09月08日 天道加賀守早雲
新宮城登城口・説明板[甲賀郡中惣城館 碑・説明板]
甲賀の館城の一つ、新宮城の登城口と説明板があります。
2019年05月29日 【麒麟】民部卿しらいとはま
甲賀郡中惣城館
【村雨城】遠望~甲賀郡中惣城館の一つです… 長閑な田園風景の先に城跡の丘が見えます♪
2018年06月26日 カーネル
甲賀郡中惣城館
草津線甲南駅から
駅前の県道124号を南西に200mほど進み、県道127にぶつかったら南下します。野田交差点を超え甲南幼稚園の先で右折して、南西へ進むと善願寺の先の交差点に「新宮神社0.1km」の案内があるので左折します
ここに、甲賀郡中惣城館の案内板があります。新宮神社にお参りし、神社南の最初の交差点で右折して住宅地へ
ここから服部城によじ登りました。城は土塁に囲まれた曲輪が残ります
反対側に下り、新宮神社から南に続く道に復帰し、緑の忍者がついてるコーナーミラーから林に入ると新宮城です。反対側に抜けた南下して、新名神高速道路沿いに西へ向かい、新治口交差点に、寺前・村雨城の看板が草に埋もれてます
藪をかき分けて、尾根にムリムリに登ると道があり、土橋を渡り虎口から曲輪に入ると本丸で、周囲を高土塁に囲まれます。曲輪の南側にはどでかい空堀があり大迫力です。帰りは、キレイな道に沿って歩くと、新治口交差点の北に出ました。こっちから林に入ればよかった。次いで望月城へ
2017年11月09日 内大臣織田晃司
甲賀郡中惣城館
新宮支城に行きました。
駐車場はありませんので広いスペースに停めるしかありません。
新宮支城主郭の高土塁は圧倒されます。写真ではこの高さは表現しにくいので直接その目で確かめたほうがいいですよ。
2017年05月05日 木下近江守湖一郎
甲賀郡中惣城館
新宮城、新宮支城、寺前城、村雨城に訪れました。それぞれ、単郭方形型の城跡です。
見所は先人も書かれていますが、新宮支城の超ド級の土塁。新宮支城の虎口から土塁を見ると圧倒される高さの土塁です。写真では表せない高さでした。また、南北の尾根と分ける2つの堀切も見応えありです。
寺前城と村雨城の方は、連携して1つの城で、信長の南近江侵攻に合わせて、改修され、寺前城の複雑な虎口が形成されたようですが、複雑すぎて、私にはどのような虎口かわかりませんでした。教えて偉い人。。。
村雨城の南端の堀切・土塁から村雨城の郭と2本の堀切を越えて、寺前城の北端の土塁跡まで歩くと規模と大きな土木工事であったことが感じられました。また、古い地図を見ると西側の川も今よりも、城跡に近い所を流れていたようですので、池と川に囲まれた堅城だったのではないでしょうか。
4城とも、整備されて歩きやすかったです。ちなみにキツネとヘビが出迎えてくれました。
各城ともに、粘土質の土壌で、濡れると滑りやすいのです。
お城を訪れた後は、お土産に、竹中城の近くの菓子長というお菓子屋さんで忍者最中を買ってください(^ω^)
2016年01月13日 近江守Silvine
甲賀郡中惣城館
新宮支城のこれでもか!という程の高い土塁は必見です。
甲賀は信楽焼の産地であるように、粘土質の土が豊富な為、高い土塁が可能だったという事だそうです。
甲賀市甲南町の新治地区にある寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城・竹中城がこれに含まれる。
郡中惣は織田信長の近江侵攻を背景に永禄年間に形成されたもので、郡中惣の城館は一辺50メートル四方の粘土層を利用した高く厚い土塁で囲んだ単郭方形型を基本とする城館が狭隘な谷々に数多く築かれていた。