甲賀郡中惣城館(こうかぐんちゅうそうじょうかん)

甲賀郡中惣城館の基本情報

通称・別名

甲賀郡中惣城館[寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城・竹中城]

所在地

滋賀県甲賀市甲南町新治他(地図は新宮城を示す)

旧国名

近江国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

不明[寺前城・村雨城・竹中城]、服部氏[新宮城・新宮支城]

築城年

15〜16世紀[すべて]

主な改修者

主な城主

不明[寺前城・村雨城・竹中城]、服部氏[新宮城・新宮支城]

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口[すべて]、堀切[寺前城・村雨城・新宮城・新宮支城]

指定文化財

国史跡(甲賀郡中惣遺跡群)

再建造物

碑、説明板[すべて]

周辺の城

望月城(滋賀県甲賀市)[1.2km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[5.5km]
水口城(滋賀県甲賀市)[5.9km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[6.1km]
和田城(滋賀県甲賀市)[7.3km]
三雲城(滋賀県湖南市)[9.5km]
柏野城(三重県伊賀市)[11.5km]
土山城(滋賀県甲賀市)[11.8km]
福地城(三重県伊賀市)[12.0km]
日野城(滋賀県蒲生郡)[13.8km]

甲賀郡中惣城館の解説文



甲賀郡中惣(こうかぐんちゅうそう)は戦国時代の甲賀武士の自治組織のことである。物事を合議で決めていた。

概要 

戦国時代、侍身分をもつ甲賀郡の土豪は、同じ苗字を持つものによる「同名中」という同族集団を形成していた[1][2]。その中心は惣領家、庶子家(分家)で、構成員として近隣の他家の土豪も入っていた。同名中では惣領家と庶子家が横並びであることが特徴的であった。同名中では掟を定め、談合による合議制で物事を決め、その際、多数決を原則とし、決まらない場合はくじを用いた。なお、決められたことの執行は、「奉公中」という集団で行われた。

伊賀の国一揆や近江に侵攻する織田信長への対抗として、より大きな郡規模の組織として永禄年間頃に「甲賀郡中惣」が形成されたと考えられ、地域の紛争の調停機能を果たした[3][4]

権力をもった領主が地域全体を支配するのではなく、小領主が地域の案件を合議で決定することは全国的にも極めて珍しいことであった。

1585年(天正13年)豊臣秀吉が守護を命じていた堤が決壊した責任が問われ、甲賀武士10名が所領を没収、改易されて甲賀郡中惣は消滅した[5]

甲賀郡中惣遺跡群 

惣領家と庶子家が同等の立場であることから、庶子家でも城郭を建てることができた。また、突出した規模の城が作られることはなく、ほぼ同一の規模、構造を持つ城郭を構えていた。

その構造は一辺3-50mの方形単郭構造の小規模なものだが、その周囲の土塁は高さ8mに達する巨大なものもあった。これは戦国時代の山城としては最大級のものであり、水平的には小規模だが立体的には小規模ではなかった。

2008年(平成20年)、滋賀県の旧甲賀郡域に属する甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在する甲賀郡中惣に関する遺跡群のうち、甲賀市甲南町新治地域に残る城跡(寺前城跡・村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡)が国の史跡「甲賀郡中惣遺跡群」に指定された[6]

2009年(平成21年)、油日神社境内と矢川神社境内が「甲賀郡中惣遺跡群」に追加指定された。

注釈 

甲賀郡中惣城館の口コミ情報

2024年04月03日 RED副将軍
虫生野城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



甲賀特有の典型な単郭方形の城館🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

虫生野城(むしょうのじょう)と読みます

築城年代等の詳細不詳。
貴生川町誌には「虫生野に望月某の屋敷跡あり」と記されており、ここが屋敷跡であり望月氏に関連する城館と云われています。

見所
堂の前集落の東側背後にある北西に突出した丘陵に築かれています。
甲賀の典型的な単郭方形であり、南西部に虎口が開口。
郭内部は竹が密集しており、あまり整備はされていませんでした。

行き方は、城域西側麓の丸山集会所を目標に設定。ここに駐車させてもらい東へ歩くと登城口に案内板があります。

2024年03月08日 RED副将軍
望月村嶋城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



三方を大規模な土塁が巡る望月氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1480年に望月重元により築かれたと云われます。望月重元と嫡男の望月重房の二代にわたる居城とされ、北の望月青木城には次男の望月重武が配されたとされます。

見所
崇福寺の西側背後の丘陵に築かれています。
主郭は尾根先端を掘り込んだ削平地であり、北を除く三方を大規模な土塁が巡ります。土塁は南西隅が櫓台状に高くなっており、土塁上に二基の墓石と村嶋城の看板がありました。主郭内は竹ヤブとなっていますがなかなかの広さです。

行き方は、崇福寺北側の畑に案内板がありますがそこからではなく、南側の民家脇から入ります。比高は約20mです。
甲南公民館第3学区分館の駐車場を利用させて頂きました。

2024年02月05日 RED副将軍
新宮支城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



高土塁が見事な甲賀特有の方形単郭の城郭🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代、築城主等の詳細不詳。
甲賀五十三家のひとつで荘内三家に数えられる服部氏の本城である服部城が近くにあることから服部氏により築かれたとも、甲賀五十三家の筆頭である望月氏が関与したとも云われます。

見所
磯尾川西岸の丘陵上に築かれた方形単郭の城館。
50m北に新宮城が築かれており、単郭方形が二城並ぶ甲賀群中惣城館特有の二城並立型。
方形の主郭は最高10m近い土塁が四方を巡り、東側に虎口が開口し二郭に続きます。
南北両尾根は深い堀切によって遮断されています。

新宮城とともに国史跡に指定されています。しかし駐車場は無く、新宮支城入り口前の路肩に駐車しました。
ここも甲賀を代表する城館のひとつです。

2024年02月04日 RED副将軍
甲賀郡中惣城館



登録地点である新宮城の口コミです。

桝形虎口が特徴的な甲賀特有の方形単郭の城郭🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代、築城主等の詳細不詳。
甲賀五十三家のひとつで荘内三家に数えられる服部氏の本城である服部城が近くにあることから服部氏により築かれたとも、甲賀五十三家の筆頭である望月氏が関与したとも云われます。

見所
磯尾川西岸の丘陵上に築かれた方形単郭の城館。
50m南に新宮支城も築かれており、単郭方形が二城並ぶ甲賀群中惣特有の二城並立型です。
方形の主郭は高さ約4mの高土塁が巡り、南東に虎口が開口。北と南西にも開口部があるも後世の破壊と考えられています。
西側と北側は深い空堀と鋭い切岸で遮断。
東側の二郭は鈎状にクランクする桝形虎口が付き、さらにその先に階段状に郭が展開されています。
他の甲賀の城館には見られない技巧的な桝形虎口が特徴的で戦国時代後期の改修が指摘されています。

新宮支城とともに国史跡に指定されています。しかし駐車場は無く、新宮支城入り口前の路肩に駐車しました。
昨日、4年振りに再訪しましたが以前よりヤブが伐採されて見やすくなっていました。甲賀を代表する城館のひとつです。

2024年01月15日 RED副将軍
望月青木城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



高い切岸で防御された望月村嶋城の支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。望月氏による築城。
望月村嶋城の支城とされ、望月重元の次男である望月重武の居城であったとされます。

見所
浅野川に向かう谷の標高200mほどの丘陵先端部に築かれています。
最高所に主郭を配し、北側には尾根筋に小郭が連なり、南側は腰郭を経て堀切状の鞍部となり南尾根に自然地形と削平地が連なります。
主郭には「青木城先祖之碑」が立っています。
土塁は見受けられず、高い切岸により防御されています。

行き方は、城域東側麓に案内板があり登城路が付いています。比高は約30m。
駐車場はありませんので路肩駐車しました。

2023年10月02日 上田図書頭雪娘
甲賀郡中惣城館

新宮支城の高さ10mの土塁は圧巻です。また土塁の上も歩けます。寺前城、村雨城、竹中城にも土塁があります。甲南駅から徒歩で散策可能です。

2023年04月06日 RED副将軍
竹中城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



国史跡指定の甲賀郡中惣遺跡群のひとつ
典型的な甲賀の単郭方形の城館🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代や築城者など詳細不詳。甲賀郡中惣遺跡群のひとつであり、甲賀五十三家に数えられる倉治氏が支配していたとも云われますが定かではありません。

見所
杉谷川の河岸段丘に築かれた甲賀特有の単郭方形の城館です。高さ3mほどの土塁囲み、南側と北東側に虎口が開口しています。また北側から西側にかけて明瞭に空堀が残っています。

2022年09月18日 大納言Z武蔵守369
甲賀郡中惣城館

新宮城は、東側県道49号沿いから登城することをお勧めします。説明板があるのでそこから登っていけば、雛壇状の城郭にたどり着きます。
西側の新治上団地からも登城口はありますが、倒木あり、ジャングルと化していたり、どう行けば本郭にたどり着くかわからなくなるのでお勧めできません。

2021年11月03日 天道式部卿早雲
新宮城西側入口[甲賀郡中惣城館  その他]



看板などはありませんが、こちら側(ニシガワ)からも新宮城跡に行けます。
※東側入口に説明板が設置されています。

西側入口からは、新宮城跡へは2つめの分かれ道(足元に赤の小さい杭)を左に曲がるイメージです。曲がると少し藪が覆っていますが、すぐに道が開けて、しばらくすると城跡の表示杭と土橋・土類・虎口があります。
入口は、カーブミラーと緑の忍者が目印
※2021年11月3日現在確認

2021年03月04日 イオ右近衛中将
寺前城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



室町期に築かれたと考えられますが、文献等には登場せず、城主や歴史など一切が不明です。

新名神・甲南IC近く、大谷池西岸の丘陵地に築かれた城で、丘陵北側の頂部に主郭を設け、南側の尾根続きには村雨城があります。村雨城を主郭とし、寺前城を副郭とする別城一郭の城とも考えられるようです。

主郭は東辺を除く三方を高土塁がめぐり、北部と北西部に虎口があります。どちらの虎口も主郭北部の横堀を土橋で渡り、進路を屈曲させるなど技巧的な造りになっています。二つの虎口は北西部の櫓台(状の土塁)のあたりで合流して城外に通じていたようです。
この北西部が大手口だと思われますが、この日は村雨城から登城しましたので、主郭南下の深い堀切と、主郭南辺土塁外周の堀切の土橋を越えて主郭に至りました。しかし、お隣の村雨城の主郭内は笹がきれいに刈られていましたが、寺前城の主郭は藪に沈んでいました…。虎口などはよく整備されればなかなか見応えがあると思うんですけどね。

それにしても、主郭の東側には土塁がなく、大谷池に面した削平地が広がるだけですが、大谷池は近世に用水池として整備されたもののようですし、やはりその際に改変されたものなんでしょうか。

2021年03月03日 イオ右近衛中将
村雨城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



室町期に築かれたと考えられますが、文献等には登場せず、城主や歴史など一切が不明です。「謎の村雨城」ですね(笑)

新名神・甲南IC近く、大谷池西岸の丘陵地に築かれた城で、丘陵南側の頂部に主郭、西下に副郭と小曲輪群を配し、北側の尾根続きには寺前城があります。村雨城を主郭とし、寺前城を副郭とする別城一郭の城とも考えられるようです。

駐車場はないため、新治口交差点から北に少し行った説明板近くに路駐して登城しました。登城口すぐの小曲輪からは主郭北西部の土塁が聳え立って見えます。小曲輪から南に斜面を登ったところが副郭で、北辺と西辺、南辺の三方に土塁がめぐっています。副郭北辺の土塁上を東に進み、虎口を抜けると四方を分厚い土塁に囲まれた主郭に至ります。主郭の南側は堀幅の広い堀切で尾根を断ち切り、南辺の土塁からの攻撃にさらされています。主郭の北側も堀切が設けられ、土橋を越えた先は浅い土塁のある未削平の曲輪です。そして、その北側の堀切の先は寺前城になります。

高さもさりながら、土塁の分厚さが印象的で、特に主郭南辺の土塁などは土塁上に三段の小曲輪があるくらいの広さでした。

2021年03月02日 イオ右近衛中将
新宮支城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



室町期に築かれた服部氏の城とも望月氏の城とも言われますが、詳細は不明です。

磯尾川西岸の丘陵地に築かれた城で、新宮城から谷をはさんだ南隣の尾根に位置します。方形の曲輪を分厚く高い土塁で囲んだ典型的な甲賀の城ですが、土塁の高さと厚みは甲賀でも一二を争う圧倒的なスケールです!

新宮城東側登城口の少し南に新宮支城の登城口があり、登り始めてすぐにたどり着く北東の曲輪は北西端を仕切土塁で区切り、南西部には大土塁が壁のように聳え立っています。大土塁の裏側(南側)は主郭との間を隔てる深い堀切です。東の曲輪から斜面を登っていくと、虎口受けを経て主郭東部の虎口に至りますが、東の曲輪にはイノシシの罠が何箇所か設置されていますので、ご注意を。虎口を抜けて主郭に足を踏み入れると、自分が巨大なすり鉢の底に立っていることに気付かされます。主郭を囲む高土塁に上ってみると、曲輪内がはるか下に見えます。非常識なまでの高さです。何だこりゃ…。また、主郭南側の堀切と土塁は、主郭の土塁上から見ても、下から見上げてみても見事なものでした。

2021年03月01日 イオ右近衛中将
甲賀郡中惣城館



【新宮城】

室町期に築かれた服部氏の城とも望月氏の城とも言われますが、詳細は不明です。

磯尾川西岸の丘陵地に築かれた城で、方形単郭の城が主流の甲賀にあって、丘陵頂部を主郭とし、東側斜面にいくつかの曲輪群を段状に配した縄張になっています。

駐車場はないので、東側登城口近くの県道脇に路駐して登城。歩き始めてすぐ右手に段状の曲輪群が広がり、主郭東下の曲輪に至る虎口は土塁により枡形が形成されています。主郭東下の曲輪の西辺には主郭の土塁が高くそびえ立ち、その南端に開けた虎口から主郭に入ると、四方土塁が高く囲んでいます。主郭北下には堀切と土塁を設け、その東下には水の手と思しき貯水池がありました。主郭南西隅の虎口を出ると、土橋が掛かった幅広い堀切で西尾根を断ち切っています。

藪化していて見づらい箇所もありましたが、一般的な甲賀の城の要素に加えて、織田信長に近江を追われた六角氏の影響ともいわれる土造りの枡形虎口も見られるなど、なかなか見応えのある城でした。

2021年02月27日 イオ右近衛中将
竹中城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



甲賀郡中惣遺跡群として国史跡の指定を受けていますが、築城時期、城主など詳細は不明です。

杉谷川東岸に築かれた方形単郭の城で、主郭を高さのある四方土塁が囲み、南部と北東部に虎口が開口し、西辺から北辺にかけての土塁外周を横堀がめぐっています。

竹中城の南にある民家の西辺の竹塀沿いに奥に進むと南側の虎口に至りますが、気付かず通り過ぎてしまい、土塁外周の南西部にたどり着きました。
西側の横堀はとりあえず整備されていて堀底を進むこともできましたが、北側の横堀は竹藪で進めず、土塁は急峻で高さがある上にびっしりと竹が伸び盛り、取りつく隙間も見当たりません。それでも南西隅から何とかよじ登って主郭内を見てみると……めっちゃ整備されてるやん! 

先人の投稿にあるように、その名の通りの「竹藪の中の城」を覚悟して訪れたのですが、主郭内の竹藪は大規模に伐採され、整然と積まれた大量の竹からはこれまでの壮絶な竹藪ぶりが窺えます。伐採は大変なご苦労だったと思いますが、おかげさまで主郭内に立ち入ることも見渡すこともでき、高土塁に囲まれた甲賀の城を堪能することができました。

年初には竹藪だったようですから、最近伐採されたばかりだと思いますが、竹が伸びるのは早いので、登城されるのであれば早いうちがおすすめです。

2021年02月26日 イオ右近衛中将
倉治城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



詳細は不明ながら、倉治城は室町期に倉治氏(甲賀五十三家)が築いた城と伝わります。

倉治城は磯尾川の西岸段丘上に築かれた城で、城域は現在では住宅地と農地になっていますが、西側と南側(北東部も?)に立派な土塁が残っています。

汁善寺池から東に入ったあたりが城域と考えられますが、西側の土塁の位置をスポット指定しています。

2021年02月26日 イオ右近衛中将
服部城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



詳細は不明ながら、服部城は室町期に築かれた服部氏(甲賀五十三家、甲賀二十一家、荘内三家)の居城と伝わります。

服部城は、新宮神社の裏山から谷部をはさんで西側の丘陵地に築かれた方形単郭の城で、主郭の東辺から南辺を分厚く高い土塁がめぐっており、南東部外周には堀も見られます。北東部には虎口があるようですが、竹藪でよくわかりませんでした。主郭内部も藪化しているものの、足を踏み入れられる程度には整備されていました。

駐車場はないため、新宮神社の北にある新宮神社表門脇の空きスペースに駐車し、新宮神社に参拝した後に保育園との間の道を西へ進むと、服部城の北側に至ります。北側にあるはずの虎口からは入れそうにないので、北辺の小道を西側に回り込むと、主郭内への進入路がありました。…といっても、西側に回っても格別見どころはありませんし、東側から土塁をよじ登るほうが早いですけどね。

2020年09月27日 天道式部卿早雲
竹中城[甲賀郡中惣城館  周辺城郭]



竹永城の遠景。 近くまで行きましたが名の通り竹に覆われていて、私有地っぽっかたので、中には入らず。
ネット、書籍、地元の案内地図によって竹中城・竹永城両方の表記が見られます。

2020年09月13日 天道式部卿早雲
村雨城・寺前城登城口[甲賀郡中惣城館  その他]



登城口から村雨城を経て寺前城まで行けます。片道15分ほどです。
両城の説明板や顔出しパネルもあります

2020年09月08日 天道式部卿早雲
「新治の七城」説明板[甲賀郡中惣城館  碑・説明板]



各城の配置・位置関係と縄張り図がとても参考になります。

2020年09月08日 天道式部卿早雲
新宮城登城口・説明板[甲賀郡中惣城館  碑・説明板]



甲賀の館城の一つ、新宮城の登城口と説明板があります。

2019年05月29日 【麒麟】大宰帥しらいとはま
甲賀郡中惣城館



【村雨城】遠望~甲賀郡中惣城館の一つです… 長閑な田園風景の先に城跡の丘が見えます♪

2018年06月26日 カーネル
甲賀郡中惣城館

草津線甲南駅から

駅前の県道124号を南西に200mほど進み、県道127にぶつかったら南下します。野田交差点を超え甲南幼稚園の先で右折して、南西へ進むと善願寺の先の交差点に「新宮神社0.1km」の案内があるので左折します

ここに、甲賀郡中惣城館の案内板があります。新宮神社にお参りし、神社南の最初の交差点で右折して住宅地へ

ここから服部城によじ登りました。城は土塁に囲まれた曲輪が残ります

反対側に下り、新宮神社から南に続く道に復帰し、緑の忍者がついてるコーナーミラーから林に入ると新宮城です。反対側に抜けた南下して、新名神高速道路沿いに西へ向かい、新治口交差点に、寺前・村雨城の看板が草に埋もれてます

藪をかき分けて、尾根にムリムリに登ると道があり、土橋を渡り虎口から曲輪に入ると本丸で、周囲を高土塁に囲まれます。曲輪の南側にはどでかい空堀があり大迫力です。帰りは、キレイな道に沿って歩くと、新治口交差点の北に出ました。こっちから林に入ればよかった。次いで望月城へ

2017年11月09日 織田上総介晃司
甲賀郡中惣城館

新宮支城に行きました。
駐車場はありませんので広いスペースに停めるしかありません。

新宮支城主郭の高土塁は圧倒されます。写真ではこの高さは表現しにくいので直接その目で確かめたほうがいいですよ。

2017年05月05日 木下近江守湖一郎
甲賀郡中惣城館

新宮城、新宮支城、寺前城、村雨城に訪れました。それぞれ、単郭方形型の城跡です。
見所は先人も書かれていますが、新宮支城の超ド級の土塁。新宮支城の虎口から土塁を見ると圧倒される高さの土塁です。写真では表せない高さでした。また、南北の尾根と分ける2つの堀切も見応えありです。
寺前城と村雨城の方は、連携して1つの城で、信長の南近江侵攻に合わせて、改修され、寺前城の複雑な虎口が形成されたようですが、複雑すぎて、私にはどのような虎口かわかりませんでした。教えて偉い人。。。
村雨城の南端の堀切・土塁から村雨城の郭と2本の堀切を越えて、寺前城の北端の土塁跡まで歩くと規模と大きな土木工事であったことが感じられました。また、古い地図を見ると西側の川も今よりも、城跡に近い所を流れていたようですので、池と川に囲まれた堅城だったのではないでしょうか。
4城とも、整備されて歩きやすかったです。ちなみにキツネとヘビが出迎えてくれました。
各城ともに、粘土質の土壌で、濡れると滑りやすいのです。
お城を訪れた後は、お土産に、竹中城の近くの菓子長というお菓子屋さんで忍者最中を買ってください(^ω^)

2016年01月13日 近江守Silvine
甲賀郡中惣城館

新宮支城のこれでもか!という程の高い土塁は必見です。
甲賀は信楽焼の産地であるように、粘土質の土が豊富な為、高い土塁が可能だったという事だそうです。

甲賀郡中惣城館の周辺スポット情報

 虎口(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 村雨城顔出パネル(碑・説明板)

 新宮城登城口・説明板(碑・説明板)

 「新治の七城」説明板(碑・説明板)

 竹中城(周辺城郭)

 新宮支城(周辺城郭)

 村雨城(周辺城郭)

 寺前城(周辺城郭)

 服部城(周辺城郭)

 望月村嶋城(周辺城郭)

 望月青木城(周辺城郭)

 野川城(周辺城郭)

 谷出城(周辺城郭)

 西出城(周辺城郭)

 倉治城(周辺城郭)

 虫生野城(周辺城郭)

 北虫生野城(周辺城郭)

 新宮神社表門(寺社・史跡)

 新宮神社(寺社・史跡)

 矢川神社(寺社・史跡)

 新宮神社表門(寺社・史跡)

 甲賀郡中惣遺跡群(寺社・史跡)

 甲賀流リアル忍者館(御城印)

 矢川神社 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 矢川神社駐車場(駐車場)

 甲賀流忍術屋敷(関連施設)

 村雨城・寺前城登城口(その他)

 新宮城西側入口(その他)

 新宮支城入口(その他)

 新宮城入口(その他)

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