三雲城(みくもじょう)
三雲城の基本情報
通称・別名
- 吉永城
所在地
- 滋賀県湖南市吉永字城山
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 三雲典膳
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 三雲氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸、枡形虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
水口城(滋賀県甲賀市)[6.7km]
多喜山城(滋賀県栗東市)[7.7km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[8.1km]
望月城(滋賀県甲賀市)[8.6km]
甲賀郡中惣城館(滋賀県甲賀市)[9.5km]
小堤城山城(滋賀県野洲市)[9.9km]
青地城(滋賀県草津市)[10.8km]
桜生城(滋賀県野洲市)[11.1km]
星ヶ崎城(滋賀県蒲生郡)[11.4km]
大塚城(滋賀県東近江市)[12.1km]
三雲城の解説文
三雲城の口コミ情報
2024年10月16日 もふもふ大蔵少輔
三雲城
途中道の狭い住宅街を通るので合ってる??と不安になりますが大丈夫です👍駐車場も綺麗です。結構急坂な山道なので足元はしっかりしたものの方がいいですね
2024年10月14日 ひでき左京亮
三雲城
お城の案内所の近くにある駐車場はとても広く、舗装もされているので、とても車がとめやすいです。ただ、そこからお城の入り口までは遊歩道もしくは林道をどちらを歩いて利用してもなかなかの急な坂なので、林道を車で登ってお城の入り口まで行ったほうが楽だと思います。(お城の入り口付近に3〜4台ほど車がとめれるスペース)があります。
お城については、枡形虎口等、随所に石垣が使われ迫力があります。後、なんと言っても城の最高所から見る眺望が素晴らしいです。
2024年03月24日 RED副将軍
三雲城
六角氏家臣で甲賀五十三家のひとつである三雲氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。1487年に三雲典膳が六角高頼の命により築いたとも云われる三雲氏の居城。
三雲氏は甲賀五十三家のひとつにも数えられる在地土豪であり、近江国守護職の六角氏に従っていました。
六角氏は観音寺城を居城としていましたが、攻め込まれると観音寺城から三雲城に逃れていた様で、観音寺城の奥城とも呼ばれていました。
1537年に六角承禎(義賢)、1563年の観音寺騒動と1568年の織田信長との観音寺城の戦いの際には六角義賢・六角義治が三雲城に逃れ、ゲリラ戦を展開していたようです。
1570年に織田信長の家臣である佐久間信盛により攻められ降伏。天正年間(1573年〜1592年)には廃城となった様で、1585年に豊臣秀吉の家臣である中村一氏が水口岡山城を築城する際に三雲城の石垣等の資材が転用されたと云われます。
三雲氏はその後も織田信雄、蒲生氏郷や徳川家康に仕えて存続。江戸時代には旗本となっています。
見所
標高334mの三雲城山に築かれています。
山頂に主郭を置き、主郭の北側下には二郭を配しています。二郭は最も広い郭であり、東側が桝形虎口が開口。最大の見所であり六角氏らしい巨石が用いられています。
また二郭の西側に大土塁が設けられており、大土塁上には二段削平された段郭があり、ここにも巨石を用いた石垣があります。
主郭南側は堀切で遮断され三郭へと連なります。
北東尾根の先が出郭とされ、八丈岩と呼ばれる幅10mの巨石があり見張り台として使用されました。八丈岩の後方の岩群の中には六角氏家紋の刻印もあります。
行き方は、北側麓の住宅地奥に林道が付いており車で登ることが出来ます。案内板周辺に駐車し、歩いて10分程度で辿り着きます。
2024年02月20日 はるきち
三雲城
気になっていたので行ってみました。遺構がよく残っていて見どころが多かったです。奇岩にも圧倒されました🪨
小雨が降っていたのですが、第3廓に着いた時に目の前に虹が!!🌈綺麗でした😊
2023年11月18日 フー甲斐守
登城路[三雲城 その他]
登城路としては少し手前に弘法杉とあわせて登城路の看板がありますが、人家の裏道感満載ですし、雑草も茂ってます。で、結果的に写真から進んだ道に合流しますので、初めからこちらを進んだ方が歩きやすいです♪
三雲城、しっかり整備もされていて、想像以上に良かったです。流石は近江六角家家老、甲賀五三家筆頭格、三雲家の居城ですね。
2023年10月23日 蔵人頭 毛呂モロ就
長谷商店[三雲城 御城印]
お城近くの長谷商店さんで御城印を販売されてます(自販機あり)
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
三雲城
[登山編]登城口に到着して案内板(写真①②)を見て八丈岩🪨経由で登山開始。<合格祈願の八丈岩>は迫力がありました(写真③)八丈岩を見て本丸方向へ少し進むと<六角氏家紋の刻印岩(隅立て四つ目結)>の岩がありました(写真④)さらに上に進んで行くと<枡形虎口の穴太積み>(写真⑤)があったり、穴太衆による古井戸があったりと遺構が良い状態で残っているように見受けられました。
城郭1の説明板(写真⑥)に「元亀元年(1570)織田信長により落城した」とありましたが、落城させるにはかなり大変だったのではないかなぁというのがリア攻めした感想です。
城郭1周辺を散策したところ、城郭2からは琵琶湖方面の眺望(写真⑦)が素晴らしく、近江富士(三上山)も良く見えました⛰城郭3からの水口方面への眺めも(写真⑧)良かったです。三雲城の御城印を販売されていた長谷商店の方はこちらから初日の出を拝まれたとのことでした。
三雲城は数多くの遺構があり、標高334mと山登りに手頃な山で遺構も景色も素晴らしい山城でした。
2023年08月25日 尼崎城駿河守一口城主
三雲城
[進軍編]7月16日登城。JR草津線で草津駅から三雲駅に向かいました🛤乗車中、甲西駅〜三雲駅間の車窓(進行方向右側)に三雲城が見えてきました(写真①)山頂付近の岩(八丈岩)が目印です🪨
三雲駅南口のパネル(写真②)を撮って、駅前の案内図(写真③)を確認して進軍開始。大沙川隧道(おおすながわずいどう)付近の長谷商店(写真④)で御城印が販売されていたのでお邪魔して御城印を購入し、お店の方に三雲城の魅力や行き方のアドバイスを頂きました。※店内が留守の場合は店外の自販機でも御城印、御城印帳、お守り石を求めることが出来るようです。
長谷商店の方に教えてもらった通り、大沙川隧道を抜けてすぐ左の坂(写真⑤⑥)を上がり川沿いの堤防を進みました。(写真⑦)
ところが城址入口まであと20分という地点で痛恨のミス😱道中、炭次郎が切った岩🪨も見たかったのに写真⑧の案内図を撮った後なぜか林道ではなく遊歩道を進んでしまい見落としてしまいました。写真⑧の案内にしっかりと載っているにも関わらず情けない限りです😖見えていない時はそんなもんだなぁと反省しつつ、次の登城時の楽しみが残ったとプラスに捉えておきます。
2023年08月14日 鈴木剛
夏見城[三雲城 周辺城郭]
甲賀五十三家・夏見氏代々の居城長享年間(1487年~1489年)に夏見兵内が築城。長享・延徳の乱で六角高頼方に従軍その功によりこの地の領主となったそうです。城は甲賀には珍しい複郭式で竹林の中に土塁と堀跡が残存しているようで井戸や柵列の痕跡も見つかっています。2007年の発掘調査では堀底から真鍮製の毛抜きが発見されたそうです。
2023年04月28日 きむねこ
三雲城
大通りから城跡まで道幅が狭い住宅街を通るため、駐車場に着くまでより対向車に気をつけながら向かいました。着いてからは案内にあるように20分弱で到着。山城としては程よい感じで、ちょうどいい運動になりました。石垣もしっかり残っており、何より落ちそうで落ちない石には本当に自然の強さを感じると共に本当に感動しました。
2023年04月11日 焼肉左衛門督とん
三雲城
登りやすくてよかったです。八丈岩も見どころです
2023年03月15日 OK☆越前守☆STYLE
三雲城
思ってた以上な良い城跡でした。八丈岩はもちろんのこと堀切や桝形虎口など見応えありです。
2022年11月23日 Onoh
岩根城[三雲城 周辺城郭]
岩根城の城主は甲賀五十三家のあの人、応仁の乱の子供を倒した人です。
2022年11月23日 #@@@
岩根城[三雲城 周辺城郭]
城跡正栄寺にあります。国宝善水寺に行く道があります。歩く方🚶♀️は善水寺登山道に沿って歩いてください。しばらくするとあります。
2022年07月20日 Idusha
岩根城[三雲城 周辺城郭]
岩根城🏯今、曲輪や堀や土塁のようなものや門跡のようなものが見られます。が見られます。お越しの際はマップで善水寺で検索してください。岩根城は国宝の善水寺内に含まれます。案内図などは善水寺しかありません。城主は、岩根氏です。
2022年06月20日 毘沙門天摂津守
三雲城
結構な山城です。規模的にも大きく、小谷城、観音寺城に次ぐ大きさです。
2022年03月21日 三上駿河守
三雲城
長谷商店から登城口まで徒歩で25分くらいかかります。登城口まで歩く途中に竈門炭治郎が切ったとされた岩があり、鬼滅の刃ファンにはちょっとした見所です。登城口から本丸跡まで時間は個人差がありますが、距離にすると450m程度らしいです。
2022年02月23日 別損山城守瓶割公園前派出所
長谷商店[三雲城 御城印]
旧東海道が走る隧道近くの旧東海道沿いにある駄菓子屋さんです。
三雲城愛にあふれた気さくな店主さんがおられます。
「三雲城」御城印とお口のお供、駄菓子を販売していますので、御城印と小腹が空いた方は此方へ
2021年05月01日 左近衛中将かめかめ
東丸岡城[三雲城 周辺城郭]
丸岡城の東に向かい合うように存在します。道路脇は深い堀のようになっていますので、車で訪れる際は運転に注意しましょう。
遺構は、西に虎口を配し、主郭は高い土塁をめぐらせています。主郭の東から南を経て西に至るまでは、幅広い横堀らしき遺構を確認でき、高低差を伴って非常に攻めづらい作りになってます。
【写真】
写真1:主郭南西の段差を伴った横堀
写真2:主郭南の横堀
写真3:主郭東の横堀
写真4:主郭の高い土塁
2021年05月01日 左近衛中将かめかめ
丸岡城[三雲城 周辺城郭]
墓地の駐車場に車を停めさせて頂きました。城跡は駐車場の西に位置し、東には東丸岡城があります。さて、城郭遺構は城攻め開始したらすぐに横堀、土橋、虎口が現れ、典型的な甲賀の城を堪能できます。
城郭西には北へ下りる急な階段があり、段郭の下段へ行くことが出来ます。更にヤブをかき分けて進むと当時からあるものかは分かりませんが、池がありました。どの方向からも防御の固い城のように感じました。
【写真】
写真1:主郭北の池(水の手?)
写真2:主郭への虎口
写真3:主郭南の竹ヤブ。掘ってるようにも見える。
写真4:主郭南の横堀
写真5:横堀にかかる土橋
2020年10月20日 丹波守丹波の赤鬼
三雲城
近くの落ちそうで落ちない大岩「八丈岩」も必見
2019年04月25日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
三雲城
二の丸・矢穴の空いた大石垣に大土塁☆巨大石垣に巨大な土で築かれた三雲城☆近江の戦国大名・六角氏の家臣、甲賀武士の三雲氏の居城☆巨大な石垣を持つ枡形虎口は必見☆八丈岩には六角氏の家紋(四つ目結)が刻まれる☆
【見所】
①二の丸の巨大な石垣を使った枡形虎口☆
②近江の石工集団穴太衆による矢穴の空いた巨大石☆
③二の丸の北側を守る大土塁☆
④北段郭群石垣跡☆
⑤落ちそうで落ちない八丈岩☆
2016年11月20日 木下近江守湖一郎
三雲城
アクセスは他の方の書いてある通りですが、今年の春に各遺構に標柱が建てられたそうです。非常に整備されており、見ごたえのある城跡です。
2016年01月24日 カーネル
三雲城
草津線三雲駅から草津線に沿って西へ
三雲城の北に位置する西往寺を目指すと、そこからは道標がいっぱいあるので、迷うことなく城域までたどり着けます
下草が刈られ、階段もキレイに整備されてて歩きやすいです。でも何故か井戸以外に遺構に関する標柱が少なく、南郭に着いた自信が持てずにかなり先まで歩いてしまいました。あとは主郭の北の竪堀が、藪で埋ってたのが無念
しかし、虎口の大岩の石積は圧巻です。本当に来てよかったです
見学時間を含めて三雲駅からの往復で2時間半でした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2015年06月22日 梅鉢近江守Silvine
三雲城
大きな石を使った石垣が特徴的で、八丈岩など自然の巨石も見応えがあります。八丈岩の裏手の岩には六角家の家紋も彫られています。なお、最初に見える小さな石垣は近年砂防工事のために作られたものだそうです。
2015年06月21日 源山城守@ポンコ2…
三雲城
青少年自然道場手前の道路際から、舗装された林道を歩くこと約20分で三雲城址の石碑が建つ登城道に。
山道は北尾根を登るようにつけられているが、この尾根の東斜面は傾斜が緩やかで、至るところに石垣や空堀,堀切などを見ることできます。
2010年10月18日 三河守コーキしゃん
三雲城
井戸跡や石垣の枡形虎口等が残って見応えがありました
三雲城の周辺スポット情報
六角氏家紋の刻印岩(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
城郭跡5(兵站地)(遺構・復元物)
主郭北・東辺の石垣(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
竪堀群(遺構・復元物)
城郭跡1(主郭)(遺構・復元物)
城郭跡2(山頂部)(遺構・復元物)
城郭跡3(見張り郭)(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
城郭跡4(見張り郭)(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
三雲城説明板(碑・説明板)
三雲城想像図(碑・説明板)
三雲城跡と八丈岩(碑・説明板)
丸岡城(周辺城郭)
東丸岡城(周辺城郭)
夏見城(周辺城郭)
針城(周辺城郭)
菩提寺城(周辺城郭)
石部城(周辺城郭)
平子城(周辺城郭)
源太屋敷城(周辺城郭)
西正福寺城(周辺城郭)
青木館(周辺城郭)
青木城(周辺城郭)
岩根城(周辺城郭)
三雲館(周辺城郭)
東正福寺城(周辺城郭)
飯道寺城(周辺城郭)
飯道山城(周辺城郭)
平松城(周辺城郭)
八丈岩(見張り台)(寺社・史跡)
廃少菩提寺跡(寺社・史跡)
鍛冶屋敷遺跡(寺社・史跡)
新宮神社遺跡(寺社・史跡)
金山遺跡(寺社・史跡)
宮町遺跡(寺社・史跡)
紫香楽宮跡(寺社・史跡)
長谷商店(御城印)
簡易トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車スペース(駐車場)
三雲城址案内所(関連施設)
登城路(その他)
三雲駅(その他)
弘法杉(その他)
遺構
八丈岩と呼ばれる巨大な磐座のある、標高334mの山に築かれている。麓には三雲氏館もある。最大の特徴は、石垣が多用されていることだ。とくに主郭北側の曲輪の高さ3mの石垣で固められた虎口、その曲輪の西側の塁線を固める石垣は圧巻だ。
主郭と見られる山頂部からは眺望が効き、琵琶湖まで見える。櫓台のように機能していたのだろう。主郭西側は堀切を隔ててさらに曲輪が配されている。
歴史
長享元年(1487)に六角高頼の命により三雲典膳が築いたとされる。三雲氏は15世紀頃から勢力を拡大し、六角氏の領国支配に関わっていた。永禄11年(1568)に織田信長によって六角義賢・義治が観音寺城を追われ甲賀に退転してからも、三雲氏は六角氏を支援していた。六角氏は観音寺城から逃れるたび三雲城に入っていたようで、天文6年(1537)には六角承禎が逃れてきている。
六角氏の没落後は織田信雄・蒲生氏郷に仕えたことから、織豊期に石垣が導入された可能性も指摘されている。しかし小堤城山城などとの共通性などから、六角氏の意向もうかがえる。
交通
・草津線三雲駅から徒歩約30分。参考文献
・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年