望月家累代之墓所

望月家累代之墓所([望月城  寺社・史跡])

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望月家累代之墓所の口コミ情報

2021年10月12日 内記かずりヾ(・ε・。)


望月家累代之墓所は望月城の北方約1.1km、川北城の存する北東へ延びる標高244.7mの山塊北東麓、標高約188mの緩斜面上平場に位置する墓所です。

甲賀望月氏一族の墓所の一つと推測されますが、誰のものかは判らないし、惣領家当主の物かも判りません。ただ墓石群には最近の物もある事から滋野三家、信濃十六牧の筆頭、望月牧を支配した信濃望月氏の末裔が遠く離れたこの甲賀の地で綿々とその血を繋いでいるのでしょう(幾つかの墓石に残る家紋は九曜紋だ…)。

勅旨牧・御牧とは奈良時代後期に滞りなく朝廷に馬の供給が保たれるように信濃、甲斐、上野、武蔵に設けられた官制の牧場です。信濃は十六牧あり、望月牧はその筆頭でした。望月の地名は貞観七年(西暦865年)八月十五日(満月の日、すなわち望月っす。)に武徳殿において同牧の駒を天皇が叡覧すると定められた事に由来します。ちなみに自分的には武蔵国小川牧は歩いて5分の近所でして、小川牧に関係があったと推測される小川氏は承久の乱の際に功を立て、薩摩国甑島に所領を得ました。城めぐ登録城の亀城城主ですね。

話は脱線しましたが、朝廷に献上する馬は平安京周辺諸国に設けられた飼養牧と呼ばれる牧に預けられ、必要に応じてその都度活用されていたようです。そしてその飼養牧の一つが近江国甲賀郡にありました。これにより甲賀郡と信濃望月氏は古くから何らかの関係があったとされています。

平将門の乱において望月三郎兼家は功を立て勅命により甲賀郡主、十六ヶ村を賜り甲賀望月氏の祖となりました。甲賀望月氏は甲賀五十三家の筆頭でしたが戦国時代には衰退します。寛永十四年(西暦1637年)、島原の乱において同氏の末裔、望月与右衛門は老中松平信綱に従い原城に何度も潜入、城内の兵糧が尽きかけている事を察知、報告する等、忍びの者としての活躍が有名ですね。

実は川北城への登城路を探している時に偶然発見したのですが、最近信濃の望月城のリア攻めマップをこそこそと作成していたのが御導きだったのでしょか。何だか少し不思議な気持ちになりました。

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