公方屋敷

公方屋敷([和田城  周辺城郭])

和田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「公方屋敷」の地図・口コミがご覧頂けます。

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公方屋敷の口コミ情報

2024年06月23日 RED副将軍


室町幕府十五代将軍である足利義昭の居館跡

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。和田氏により築かれた居館跡です。
1565年に室町幕府十三代将軍の足利義輝が三好三人衆や松永久通らによって二条御所で殺害されると、細川藤孝らと共に興福寺一乗院の門主であり松永久秀に幽閉されていた覚慶(足利義輝の弟であり、後の足利義昭)を救出。
その後、覚慶が匿われた屋敷が公方屋敷です。甲賀の複雑な地形と勇猛な甲賀衆が守っていたため、時の権力者の格好の潜伏地になっていました。
覚慶はこの地で足利将軍家の当主になることを宣言し、各地の大名らに御内書を送っています。
その後、六角義賢の協力を得て野洲郡矢島に移り、翌1566年に還俗して足利義秋と名乗ります。
更に越前朝倉氏を頼り一乗谷に移り足利義昭に改名。
1568年に織田信長により室町幕府十五代将軍として上洛を果たしました。

見所
和田支城群のひとつであり、和田川東岸の殿山の南西に位置します。
三方を高土塁により囲まれているとの解説もありますが、尾根に囲まれた窪地の様に思えます。

行き方は、和田城へ向かう県道51号沿いに案内の標柱が立っており、民家の脇に説明板があります。

2021年09月16日 安濃津中納言壱午


興福寺の一乗院門跡である覚慶が、奈良興福寺から抜け出し、甲賀に落ち延びた際に、和田惟政が匿った屋敷を公方屋敷といいます。その後、野洲郡矢島村に移り住み還俗し、足利義秋と名乗り、京を目指しました。

現在は、屋敷跡の三方を土塁で囲まれています。が、あまりにも大きいので、ちょっと違和感(ーー;)屋敷内部は、モフモフの草原となっており、看板が設置されております。ここまで辿り着くのに、案内板が設置されているため、迷う事は無いと思います。民家のすぐ近くなので、お静かに…(^^♪

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