大原城
大原城([和田城 周辺城郭])
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大原城の口コミ情報
2023年03月01日 RED副将軍
土塁囲みの郭に末裔の方がお住まいである現役の城郭🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。室町時代に大原数馬によって築かれたとされます。大原氏は、伴四党(大原、上野、伴、多喜)の一族で、甲賀五十三家、甲賀二十一家にも数えられる在地土豪。戦国時代は佐々木六角氏に属していました。1585年に他の甲賀衆と同様に豊臣秀吉から紀伊太田城攻略の不手際を理由として所領を没収されました。
見所
現在も大原氏末裔の方がお住まいです。しかも土塁囲みの中に民家があります。という訳で現役城郭であり、現役の土塁です。全国的にも珍しいですが外から眺めるのみです。
2021年09月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
大原城は和田城の北西約2.1km、杣川と櫟野川の合流点、標高約200mの平野部平場に主郭が存します。
築城年代は不明ですが、築城者は大原数馬と推測されています。大原氏は大伴氏(伴氏)の後裔とされ、平安時代末期に三河伴氏から近江国甲賀郡大原村に遷住した伴資乗を祖とする氏族で、同地の大原氏、上野氏、伴氏、多喜氏の四氏は伴四党と呼ばれていました。ちなみに織田信長の家臣、滝川一益はこの大原氏を出自とする滝川氏の者とする説が最有力で、織田氏自体も甲賀伴氏を出自とする説があります。他の伴氏の著名人としては中村一氏(諸説有り。)なんかが指摘されていますね。
室町時代には近江守護六角氏の事実上の被官となっていたようで、六角氏が室町幕府の征討を受けた鈎の陣(六角氏の権力強化を目的に公家領、寺社領、奉行衆の所領を横領し、領内の国人衆に分配した事が征討を受けた一因であった。)において六角氏に従った甲賀の地侍衆を甲賀五十三家、その内の信頼厚い諸家を特に甲賀二十一家と呼び、大原氏もその甲賀二十一家の一つでした。征討を受けた六角高頼は観音寺城を退去、甲賀山中で非正規戦を展開し戦を膠着状態に持ち込む事に成功していますが、これを助けたのが甲賀の地侍集団だったのでしょう。
お城は居館城だったと思うのですが、高くて厚い土塁がほぼ全周で健在、現在も帰農した御子孫の方が主郭に館を構えています。本来の大手虎口は南側に開口し、東南角にも大きな虎口(写真の虎口です。)が開口しています。が、どうやら後世の造作のようです。他には堀跡なんかも確認出来ますが、小学生の集団に付き纏われてしまい写真撮影は断念しました。又、単純な単郭方形の縄張ではなく、若干の広がりがあったようです。
土塁囲みのお家は虫が多そうだけど、お好きな人には堪らない物件でしょう。塀や柵を造らなくてもOK♪現況は正しく人の家ですが、じっくり見たい方は家人に声を掛けるとよいでしょう。自分は土砂降りの中だったし、不審者の烙印を前述の小学生に押されたようで速攻で陣払いしちゃいましたが…
和田城のリア攻めマップにある既作成スポットを活用しました。どなたか(城友さんかな?)存じませんが感謝です。