梅垣城

梅垣城([和田城  周辺城郭])

和田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「梅垣城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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梅垣城の口コミ情報

2024年02月26日 RED副将軍


伴四党のひとつである多喜氏の支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

梅垣城(めいがきじょう)と読みます。

築城年代等は不詳。在地土豪である多喜氏により築かれたとされます。
多喜氏は、大伴氏の庶流である富永氏の一族とされ伴家継が祖とされます。1287年にこの地を領して多喜氏を称しました。
多喜北城を本拠地とし、多喜北城・多喜南城・梅垣城・青木城の四城の総称を多喜城と云われています。
また、伴四党(大原・上野・伴・多喜)、甲賀二十一家、甲賀五十三家のそれぞれひとつに数えられる有力土豪であり、豊臣三中老のひとりである中村一氏は多喜氏の一族とされます。
1487年の長享の乱において多喜俊兼は戦功をあげたとされます。

見所
多喜北城の西にある丘陵上に築かれています。
単郭方形で周囲に土塁が巡る甲賀特有の縄張りで北側に虎口を開口。南側に帯郭が付帯します。
城域北東部の道路沿いのほぼヤブの中に案内板があります。とりあえずその周辺から直登しましたが主郭の周囲は網に囲まれており中には入れませんでした。私有地の様です。
周辺に駐車スペースもありませんのでかなり離れた路肩に駐車しました。

2021年09月09日 内記かずりヾ(・ε・。)


梅垣城(めいがきじょう)は和田城の北西約2.2km、標高約215mの丘陵北東辺端部上平場に主郭が存します。北側舗装路からの比高は15m位でしょか。振り仮名とか付けさせて頂きましたが、現地説明板を見るまでは「うめかきじょう」と読んでました…

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ただピンの位置は若干西側にずれています。お城の北東側直下にはびっくりする事に説明板が控え目な場所に立っていますが、自分は入口を見付けられなかったのでこの説明板の場所から直登しました。お陰様で土塁の切岸はしっかりと生きている事を確認出来ましたわ…

築城年代は不明ですが、築城者は多喜氏と伝えられ、同氏は甲賀二十一家、南山六家の在地土豪の一つ、近江伴氏四党、大伴氏(伴氏)の後裔(初めて知りましたが天神系氏族の一つらしい。)とされています。

お城は謂わゆる単郭方形の土塁囲みの縄張です。主郭にはササユリが広範囲で栽培されており、土塁に沿ってグリーンネットが養生してあるので郭内には入る事が出来ません。今も水が湧き出る泉井とかあるらしいのですが当然確認出来ませんでした。が、主郭はただの削平地だったと思うので入らなくてもきっと後悔しないでしょう。又、土塁は段付き、全周で健在で虎口もしっかり残っています。

甲賀のお城をリア攻めしていて素直に感じた事ですが、何だか夏場でなくても薮が多いように思います。鬱蒼とした木々に覆われ昼間でも薄暗く、雨中だったとはいえ多湿な環境はリア攻めに全く優しくない…藪蚊の数が凄まじく、虫除けスプレーを全身に隈なく吹き掛けましたが、藪蚊の殺る気度が半端無く気持ちがどんどん折れてきます。晩秋から初春に行きましょう…

甲賀市はお城の密度も半端無い地域です。自分は事前情報を殆ど持たずに片っ端から攻めまくりましたが、写真も念入りに撮りながら1日で12城を攻め落としました。ネガティブな事書きましたが甲賀だからこそ出来るリア攻め行軍は何だかんだで楽しかったです。そしてこの梅垣城はその最初のお城でした。マニア向け。

※和田城のリア攻めマップの既作成スポットを活用して口コミさせて頂きました。どなたか存じませんが感謝です。

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