多喜城

多喜城([和田城  周辺城郭])

和田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「多喜城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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多喜城の口コミ情報

2024年11月01日 RED副将軍


伴四党の一角である多喜氏の本拠地🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。多喜氏により築かれたと云われています。
多喜氏は大伴姓富永氏の系譜であり、伴四党(大原氏、上野氏、伴氏、多喜氏)のひとつとして鎌倉時代から甲賀東部に勢力を奮った伴家継(多喜彦太郎)が祖とされます。
近江国守護である佐々木六角氏に味方した甲賀五十三家にも数えられ、1487年の室町幕府による六角氏征伐である長享の乱において、多喜俊兼が六角氏方として戦功をあげたことが伝わります。
山岡道阿弥や中村一氏は多喜氏の一族と伝わります。

見所
滝集落南側の丘陵北端に築かれています。
甲賀特有の単郭方形であり主郭にはコの字状に土塁が残り、南東部は大堀切で遮断。
現在は墓地となっている主郭東側も三段の郭であったとされ土塁が認められます。
郭内部は竹ヤブですが高土塁が見事です。

2021年10月18日 内記かずりヾ(・ε・。)


多喜城は和田城の北西約2.1km、標高約219mの丘陵北辺端部上平場に主郭が存します。北麓の舗装路からの比高は20m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東北麓の金乃比羅宮を目標に設定して下さい。金乃比羅宮南側の舗装路を西方へ150m位進むと左手にたぶん埋蔵文化財を示すコンクリート製の標柱が立っていますので、此処から南側へ延びる道を使って取り付きます。登り始めると墓地を抜けて2分位で城域に入る事が出来るでしょう。

築城年代は不明ですが、築城者は多喜氏で、同氏は甲賀二十一家、南山六家の在地土豪の一つ、近江伴氏四党、大伴氏(伴氏)の後裔とされています。

甲賀は城館数が多く、細かく区分されている事も手伝って一度訪ねただけでは理解出来ない事態に陥る事が多いです。多喜城も立派にその一つでして、周辺直近には多喜北城、多喜南城が存します。多喜城は以前に多喜北城の名称で呼ばれていて、新たに南西約0.2kmの位置に多喜北城が追加されました。自分も初めて訪ねた際に混乱してしまい、結果的に城域の一部をかすめただけという事態に…

お城は素晴らしいです。主郭は謂わゆる単郭方形ですが、縄張はそれに留まらず周囲に広がりを持っています。主郭の北側には虎口を兼ねる堀切で分断された郭を持ち、特に東側の郭は三段の段付き、西側の郭は櫓台と思しき高まりも確認出来る他、西端部は段郭として下っていきます。主郭は北側に虎口が付き、周囲を前述の郭の切岸と高土塁で囲みます。又、主郭の南東側は大堀切でぶった斬り、更に南東へ向けて城域が広がります。初回訪問時は別ルートからこの南東方向への広がりしか見ていなかった事に今回気付きました。

事前勉強をしっかりしときましょう。情報の少ないお城ですが、甲賀の城館としては比較的ある方だと思います。が、情報発信者の捉え方次第でこれら(城館の名称、位置等…初回訪問時、自分は主郭に到達していないブログを参考にしていました…)に錯綜を招く場合があるので注意です。特にGoogleマップは混乱の極み(甲賀では多喜城に限った事ではない。)でして、今後は甲賀市史に沿って情報が統一される事を望みます。和田城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

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