菅野城(すがのじょう)

菅野城の基本情報

通称・別名

菅野谷城

所在地

奈良県宇陀郡御杖村菅野字城坂

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

菅野氏

築城年

室町時代後期

主な改修者

主な城主

菅野氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

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菅野城の口コミ情報

2019年06月26日  蔵人頭 毛呂モロ就
菅野城



昭和38年3月20日の地元御杖村の広報の「郷土御杖」に郷土史家の橋本重省氏の記述があった。

南北朝時代、伊勢の国司で南朝方だった北畠氏の本拠地伊勢と南朝の本拠地吉野との連絡途上にこの菅野城(誌上では「菅野谷城」とあった)が有り、北畠氏の配下の菅野谷氏がこの城を領有していた。

北畠具教の時代に織田信長の圧迫を受け、三男の信雄を養子に受け入れ降伏し、後に具教は暗殺されたが、具教の弟の北畠具親は六角氏の援助を受けて抵抗し、それを知った領主の菅野谷氏も連動して、具親に加勢し蜂起、菅野谷城に篭った。しかし衆寡敵せず、織田勢に攻め込まれ落城し、廃城となったよう。

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