小川城(おがわじょう)
小川城の基本情報
通称・別名
- 春戸城、鷲家口城
所在地
- 奈良県吉野郡東吉野村鷲家口字ハルトヤ山
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 小川氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 小川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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小川城の口コミ情報
2022年12月03日 なりぶ
小川城
【小川古城】 登城口
坂を上がると神社があり車も数台停めれるスペース有ります。
2019年06月13日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
小川城
文久三年九月二十七日。維新の魁、天誅組総裁吉村寅太郎の慰霊碑。熱い思いとはかけ離れて敗走、逃走···辿り着き喉の渇きに入った所で藤堂勢の金屋健吉の銃弾により無念の最期を遂げた。
2017年03月27日 蔵人頭 毛呂モロ就
小川城
豆知識として、1905年に最後のニホンオオカミがこの付近で捕獲されたようです。この時捕獲されたニホンオオカミは剥製として大英博物館に保存されているようです。城の近くにニホンオオカミの説明とブロンズのニホンオオカミ像があります。しみじみと物悲しさを感じます。
2016年04月24日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
小川城
東吉野村役場近い天誅組義士の墓所から高見川を渡る出合橋を渡り役場より東から小学校通学路の案内看板を上がった標高500mの山頂に小川城です。
高見川が山を囲むように流れ堀の役目をなし電波塔のある曲輪から三段階の階段状に上がった所が本丸です。
曲輪を囲む土塁と両側を深く切り抜いた竪堀、本丸手前の虎口と見所は多いです。
小川氏は南北朝時代、戦国時代をよく乗り切り松永久秀の侵攻によって落城。最後の城主の小川次郎さんは戦って敗死や自害ではなく一族に解散命令を出して故郷を離れたそうです。現代でいう自主廃業。自分の代でこのような事態になり悔しい思いはあったが一族、家族愛のある優しい武将、やったんやな~と感じました。
本丸裏から鳥居の奥の200m行くと謎の石垣があるが、役場の方に聞くと昔老夫婦が住んでた跡らしいです。それにしても立派でした。
登城される方は村役場で駐車許可をお願いしてから登城して下さい、散策マップも頂けます(^_^;
山頂まで30分位、NTTの電波塔が余計ですがそれ以外は大変立派な城です。
山城好きなら一度は訪城して下さい。
H28年4月23日登城