小川城(おがわじょう)

小川城の基本情報

通称・別名

春戸城、鷲家口城

所在地

奈良県吉野郡東吉野村鷲家口字ハルトヤ山

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

小川氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

小川氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、竪堀、土橋

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

宇陀松山城(奈良県宇陀市)[9.6km]
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小川城の口コミ情報

2025年08月07日 尼崎城信濃守一口城主
小川城



[登城口探索編🧭]
8/2、丹生川上神社⛩️3社巡りで下社→上社と巡り、ラストの東吉野村の丹生川上神社(中社)のお参り前に登城⛰️東吉野村役場に到着前にニホンオオカミの象を見かけたので、小川城(山城)を背景にオオカミ像🐺を撮ってみました(写真①)※写真①では見えにくいかもしれませんがオオカミ像沿いの道と城山の間には城山山麓に川上神社(中社)方面より高見川が蛇行するように流れており往時は天然の堀の役目を果たしていたと思われます。
川上神社まで約3.2㎞との看板が近くにあった出会橋から東吉野村役場方面に進み、役場前の駐車場🅿️に到着。駐車場に「ここより奥は行楽用として使用可能です」とあったので奥のスペースに停めてもらいました。神社&歴史好きの元同僚が車を出してくれたので登山にも同行してくれるのかと思いきや歴史は好きだけど登山はイイヤ🙅🏻‍♂️ゆっくり見学してきてとのことでした😅
東吉野村役場出発の小川城ヘの登山口へのアクセス法の一例を書いてみます✏️東吉野村役場から役場の駐車場方面を眺め後方に見えている山が小川城です(写真②)写真③でパトカー🚔が駐まっているのが小川駐在所なので駐在所右側の坂を上がってミラーの所を左折。左折して進み山城側を注意しながら見ていくと見落としそうな細い道(写真④)があり、こちらの道を進みます。※駐在所付近で出会った地元の方に道を教えてもらったのに私は始めこの道を見落とし通り過ぎてしまいました💦写真④の道を進んでいき、ホース収納箱と消火栓(写真⑤)がある道を直進。写真⑤から村役場方向を振り向いた景色も村役場からの位置関係に役立てばと載せておきます(写真⑥)
写真⑤地点から山へ登っていくと設置して下さっている遊歩道(写真⑦)が見えてくるので遊歩道を辿っていけば鳥居⛩️(写真⑧)をくぐって、主郭へ辿り着けます‼️

2025年08月07日 尼崎城信濃守一口城主
小川城



[山城散策前編]
登山口探索編の写真⑧の鳥居から、設置して下さっている遊歩道に沿って進み、私の足で約10分で主郭手前のNTTさんの鉄塔(写真①)に到着。
主郭入口の鳥居へ進む道(写真②)は両脇に堀(写真③)があり、ボトルネックのように進軍ルートが狭まっていました。鳥居を通過すると正一位豊姫大明神・豊春大明神のお稲荷さん(写真④)があり狛狐🦊の顔の横にはセミの抜け殻(写真⑤)がありました。※セミが苦手な方、申し訳ありません🙇🏻‍♂️訪城日が夏シーズンということもありセミの大合唱が鳴り響いている1日でした。
神社からさらに奥を見ると広い曲輪(写真⑥)があり石垣があったので行ってみました。石垣上には城跡碑(写真⑦)があり、裏の説明板(写真⑧)から城跡碑の文字は小川氏の手紙の文字から採用したとのことでした。
※写真⑧の説明文、見えづらいかもしれないので文字起こしをしてみます。
「小川氏ハ南北朝戦乱時代ニ興起シテ丹生川上神社ノ祭祀ヲ司リ旧神領ノ東吉野地方ヲ支配シテ郷土ノ安泰ヲ全ウシタ。就中一五世紀半ニ弘光ハ神璽宝還ノ殊エカヲアゲテ奥宇陀地方ヲモ恩賞セラレタノガ知ラレル。
織豊政権ノタメ小川氏ハ亡ンダガ郷民ノ敬慕ハ永続シテ近世ニ小川殿懺法講ヲ興シ昭和盛代ニハ小川殿顕彰会ヲ組織シテ城地ノ顕彰保存ノ美挙ニ及ぶ茲二顕彰碑建設ノ由来ヲ述ブ。
昭和四十六年七月
文学博士永島福太郎撰文
碑面文字天正十五年小川次郎置文より採摭
顕彰碑設計并城地復元指導
工学博士 森蘊」
碑文より昭和46年(城の年‼️)に小川氏の顕彰とお城の復原されたことが分かり、整美して下さった方々に感謝したいです🙇🏻‍♂️

2025年08月07日 尼崎城信濃守一口城主
小川城



[山城散策後編]
主郭の城跡碑やお稲荷さん⛩️(写真①)到着後、城跡碑地点から写真①のお稲荷さん方向(スタート地点の東吉野村役場)へ引き返しても良かったものの山城の雰囲気に魅了されてさらに奥の方へ散策に向かいました。
主郭から奥は向かおうとした矢先、道を狭めて敵の侵入を遅らせようとする土橋や堀の縄張りの痕跡(写真②)が見られました。反対側から敵側目線で見ると土塁があり進軍ルートも屈曲している様子が分かりました(写真③)
散策をしていると天然の岩の斜面(切岸)もあり、天然の石垣のように見えてきました(写真④)次に高低差が分かりにくいかもしれませんが尾根道から下がった所(草が生えている所)の削平地は広い曲輪(写真⑤)のように見えました。
ある程度主郭の奥の方を見学して引き返し、帰路に進軍中にさっと横を通り過ぎたNTTさんの塔(写真⑥)も眺め上げました。塔の手前の草むらも削平地でなんらかの曲輪だったように思えました🤔
最後に遊歩道やその周辺に見えていた岩🪨(写真⑦⑧)を見学。往時は伏兵を配置するのに適していた岩かもしれず、たとえ伏兵がいなくても敵兵が警戒して恐る恐る進んだりして進軍速度を落とす効果もあるかもなど妄想してしまいました😅

2022年12月03日 なりぶ
小川城



【小川古城】 登城口  
坂を上がると神社があり車も数台停めれるスペース有ります。

2019年06月13日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
小川城



文久三年九月二十七日。維新の魁、天誅組総裁吉村寅太郎の慰霊碑。熱い思いとはかけ離れて敗走、逃走···辿り着き喉の渇きに入った所で藤堂勢の金屋健吉の銃弾により無念の最期を遂げた。

2017年03月27日 蔵人頭 毛呂モロ就
小川城

豆知識として、1905年に最後のニホンオオカミがこの付近で捕獲されたようです。この時捕獲されたニホンオオカミは剥製として大英博物館に保存されているようです。城の近くにニホンオオカミの説明とブロンズのニホンオオカミ像があります。しみじみと物悲しさを感じます。

2016年04月24日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
小川城

東吉野村役場近い天誅組義士の墓所から高見川を渡る出合橋を渡り役場より東から小学校通学路の案内看板を上がった標高500mの山頂に小川城です。
高見川が山を囲むように流れ堀の役目をなし電波塔のある曲輪から三段階の階段状に上がった所が本丸です。
曲輪を囲む土塁と両側を深く切り抜いた竪堀、本丸手前の虎口と見所は多いです。

小川氏は南北朝時代、戦国時代をよく乗り切り松永久秀の侵攻によって落城。最後の城主の小川次郎さんは戦って敗死や自害ではなく一族に解散命令を出して故郷を離れたそうです。現代でいう自主廃業。自分の代でこのような事態になり悔しい思いはあったが一族、家族愛のある優しい武将、やったんやな~と感じました。
本丸裏から鳥居の奥の200m行くと謎の石垣があるが、役場の方に聞くと昔老夫婦が住んでた跡らしいです。それにしても立派でした。
登城される方は村役場で駐車許可をお願いしてから登城して下さい、散策マップも頂けます(^_^;

山頂まで30分位、NTTの電波塔が余計ですがそれ以外は大変立派な城です。
山城好きなら一度は訪城して下さい。

H28年4月23日登城 


小川城の周辺スポット情報

 石碑(碑・説明板)

 登城口(分岐点)(その他)

 登山口分岐点(その他)

 登山口(その他)

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