戒重城(かいじゅうじょう)

戒重城の基本情報

通称・別名

開住城、(戒重陣屋)

所在地

奈良県桜井市戒重

旧国名

大和国

分類・構造

平城、(陣屋)

天守構造

築城主

戒重西阿[戒重城]、織田長政[陣屋]

築城年

南北朝時代[戒重城]、元和5年(1619)[陣屋]

主な改修者

主な城主

戒重氏[戒重城]、織田氏[陣屋]

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

芝村陣屋(奈良県桜井市)[2.6km]
十市城(奈良県橿原市)[3.8km]
今井環濠(奈良県橿原市)[4.9km]
柳本城(奈良県天理市)[5.2km]
田原本陣屋(奈良県磯城郡)[6.2km]
龍王山城(奈良県天理市)[6.4km]
越智城(奈良県高市郡)[8.3km]
高田城(奈良県大和高田市)[8.4km]
高取城(奈良県高市郡)[9.5km]
箸尾城(奈良県北葛城郡)[9.8km]

戒重城の口コミ情報

2023年06月03日 RED副将軍
雷ギヲン城[戒重城  周辺城郭]



小規模ながら堀切と横堀が残るナゾの城跡🏯⁡

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎⁡

築城年代、築城主等は不明。近隣の雷城とともにナゾの城跡です。
かつて発掘調査が行われた際には古代から中世にかけての遺物が出土しています。⁡

見所
丘陵上に築かれ、砦程度の小規模な単郭です。
但し、北側の尾根は深さ4mほどの堀切で分断され、そのまま西側に回り込むように横堀が設けられており、それなりに城郭遺構を楽しむことができます。

⁡行き方は、県道124号の雷交差点北西に雷城があり、雷交差点から県道124号を北へ400m行くと雷ギヲン城があります。
南の田んぼの畦道から登城することができ比高も20m程度です。
両城ともに駐車場はありませんのでご注意を。私の場合は観光駐車場に停めて古墳や奇石、巨石とともに徒歩で巡りました。

2023年04月07日 RED副将軍
飛鳥城[戒重城  周辺城郭]



横堀と段郭が残る激ヤブ城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代、築城主等の詳細不詳。大和誌によれば、城主は飛鳥氏とされていますが定かではありません。南方に鎮座する飛鳥坐神社の関連の可能性もあります。

見所
市街地の比高15mほどの丘陵上に築かれています。ほとんどヒトが入っておらず倒竹に苦戦必至の激ヤブ城です。削平された段郭と横堀が竹ヤブの中に確認できます。激ヤブのマニア向け。ということで★1です。

行き方は、飛鳥坐神社を目標に設定。神社から北へ進み城域南西部に路地から入れる入り口があります。

2022年12月28日 RED副将軍
戒重城



有力国人の戒重氏の居城跡であり、織田氏の陣屋跡🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。南北朝時代に南朝方として活躍をした戒重西阿により築かれました。
戒重氏は、戦国時代には越智氏に属しながら勢力を拡大し、筒井党の十市氏と対峙していました。
1580年に、織田信長は大和の国人衆に検地を指示し、戒重氏は所領を1,500石と報告しましたが、直後に岡氏、大仏供氏、高田氏と共に興福寺金蔵院で誅伐されています。所領は没収となり織田信長に接収されました。
1600年の関ヶ原の戦いで織田有楽斎長益は東軍に付き、戦功により大和国に32,000石の所領を拝領します。
その後、織田有楽斎は豊臣氏の家臣となっていましたが、豊臣氏が滅亡すると1615年に大阪城から退去し、所領の内の一万石を四男の織田長政に分知して隠居。織田長政は戒重に陣屋を構え立派藩しました。
1745年、第7代藩主の織田輔宜は芝村に陣屋を移し、戒重陣屋は破却されました。

見所
市街化により完全に遺構は消失しています。
春日神社は城跡の中央南部にあたる推定地とされています。
境内には土塁の様な土盛りがありますが遺構であるかは不明です。

2022年11月02日 RED副将軍
雷城[戒重城  周辺城郭]



万葉集や日本書紀等にも記載がある雷丘が始まりとされる城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の城史は不明。
万葉集や日本書紀等に記録が残る雷丘であると推定されており、かなり古い時代からあったと云われます。
雷丘は柿本人麻呂の句にも読まれています。
元々あった古墳を利用したとも考えられています。
中世は城郭として利用された様で山城の縄張りが残ります。

見所
飛鳥川右岸の丘陵上に築かれています。
主郭と副郭が東西に並び、土橋が付いた堀切で遮断しています。
主郭東側、南側には腰郭が敷設。
古墳を利用とも云われ鋭い切岸が印象的。
奈良県の城郭は未整備が多いですが、公園整備されており見やすい為、遺構は甘めですが★3としました。

行き方は、県道124号の雷の交差点を目指してください。
交差点の直ぐ近くで登城路も整備されています。比高も10m位で1分も登りません。
近くに駐車場が無いので注意してください。

2022年10月04日 RED副将軍
安倍山城[戒重城  周辺城郭]



南北朝期には細川顕氏、戦国期には松永久秀が布陣した陣城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1341年、南北朝の戦乱の時期に、南朝方である戒重西阿の戒重城を攻めるため、北朝方の細川顕氏が陣を構えたと云われます。
1565年には松永久秀が鳥見山城の筒井順慶との争いの際にはここに陣を布きました。

見所
現在は桜井公園として整備されていますが、山頂の削平地以外は城郭遺構の様なものは見当たりませんでした。
元々、砦の程度のもので凝った造りでは無かったかも知れません。

山頂から直ぐ近くには#土舞台 と呼ばれる日本書記にも登場する芸能発祥の地があります。
推古天皇の時代に摂政の#聖徳太子 は百済より帰化した味摩之(みまし)に少年たちに伎楽の舞をここで習わせたとの記録があります。
日本最初の国立劇場、国立演劇研究所であったとされます。

2022年09月29日 真田能登守幸貞
雷城[戒重城  周辺城郭]



雷城(いかずち)

奈良県明日香村にある小高い丘に存在したとされる城。

登城口は、雷交差点の北西にあります。登ると城南にある帯曲輪?に出ます。さらに上がると主郭にでます。主郭の西側に堀切が存在し堀切を渡るともう一つの郭にでます。

雷城の北側には雷ギヲン城もありますのでご一緒にいかがでしょう?

写真
1.登城口付近の看板
2.堀切(北側より撮影)
3.城の南側、画面中央の窪みは堀切
4.堀切(主郭より撮影)
5.帯曲輪より西側を撮影
6.主郭の北側斜面
7.主郭(登城道より撮影)
8.帯曲輪?(登城道より撮影)

2022年02月01日 課長大和守Ver.B
小山城[戒重城  周辺城郭]



小山城は雷ギヲン城の北側小山地区にあった城で、越智氏の配下小山氏によって築かれた環濠形態の城だったようです。

居館域であった内郭・外郭とされる場所は集落となっており痕跡は残っていませんでしたが、明日香庭球場に接する丘陵内には環濠を形成していた空堀があるようです。
ただ丘陵全域が県有地とのことで厳重に金網と擁壁で守られており見学が不可能となっています(ノД`)
丘陵部にまで空堀を穿つ異形の環濠城なので当時どのように守られていたのか非常に興味をそそられる城ではありますが…(^^;

明日香の城ではたぶん唯一説明板がある城ですので他の城郭のついでにでも寄ってみてください☆

2021年11月21日 課長大和守Ver.B
土舞台[戒重城  寺社・史跡]

安倍山城と同じ公園内に土舞台というモノがあります。こちらはかの有名な古墳とは違い、聖徳太子が伎楽を披露したり伝習した地とのことで文字通り芸能に因んだ遺跡のようです。

説明板があるだけですが石舞台古墳見学の際には此方にも立ち寄って両舞台制覇を目指してみては如何?(笑)

2021年11月21日 課長大和守Ver.B
安倍山城[戒重城  周辺城郭]



安倍山城は1341年戒重城攻略の為に細川顕氏が、また1565年筒井氏と対峙する松永久秀が陣を張った記録があるようです。
遺構は古い城郭らしく数段の小郭のみで構成されており土塁、堀切などは見られません。

現在は桜井公園となっており一応主郭付近まで車道はついていますが、周辺道路が狭く駐車スペースも僅かなので徒歩で向かうのが良いかと思います。

2021年04月18日 課長大和守Ver.B
雷ギヲン城[戒重城  周辺城郭]



雷ギヲン城は雷城から県道沿いに歩いて10分程離れた所にある丘城で、飛鳥資料館方面から雷交差点へ向かっていると両城とも視界に入ってくる程のご近所城です。
こちらも築城者や来歴等不明ですが、雷城よりもよりくっきりとした遺構が残っており思わずテンションupします☆

縄張りは主郭と副郭を深めの堀切で区切り、更に西側に横堀が回り込んだ外側に土塁が残る形です。
虎口は南側で周囲がかなり切り立っているので此方から登るのが良いと思います。
この城も平地にボコっと存在している為古墳かと思うのですが、発掘ではむしろ水堀の痕跡が出たとのことで城としてはもっと大きなモノだったのかもしれません。
(周濠だったら古墳ですが…)

アクセスは県道124号交差点から少し西側に入った辺りから伸びる畦道を歩いて行かれるのが一番かと思いますが城跡自体は整備されている訳では無く明瞭な道は無いので主郭へは直登となります(^^;
とは言え此方も小さな城跡ですので他の小城郭と一緒に廻られると良いと思います。

2021年04月17日 課長大和守Ver.B
雷城[戒重城  周辺城郭]



雷城は甘樫丘の南、雷交差点のすぐ脇に位置する築城者、来歴不明の小城郭です。
城としてよりは雷丘という史跡のほうが有名なようで麓に立つ説明板も雷丘についてのモノでした。
因みに名称の由来ですが、雄略天皇が家臣に命じて捕らえさせた雷神が落ちていた丘だったからとか…(^^;

縄張りは頂部に主郭があり堀切を隔てて西側に2郭と一段下がった段郭、主郭から東側にも段郭と堀切から犬走り状の帯郭があり本来の虎口は堀切北側にあったようです。
平地にボコっとある丘なので古墳では?と思いましたが、実際発掘では埴輪片等が出土しているらしく古墳利用の城だったのでしょう。

城跡は雷交差点側から急坂の遊歩道があり主郭までは気軽に上がれますので周辺の小城郭と一緒に廻られるのがオススメです☆

2021年04月01日 課長大和守Ver.B
奥山城[戒重城  周辺城郭]



山田寺跡の西、飛鳥資料館北側に奥山城があります。
築城者や来歴は不明ですが街道を見下ろす要地にあることから街道監視の役割を担っていた城と思われます。

飛鳥資料館脇から北へ集落内を歩いて行くと正面に山肌が露になった所が見えてきますがそこが城跡です。
集落を抜け暫く歩くと公園と神社があり、手前の公園に入って南側の雛壇状になった竹林を進んだ先が城域です。
公園から暫くは道も無くただ南側へ登って行くのみですが、かつて整備されていたのか丸太の階段が城域手前にありますのでそこを目印にして頂ければ解りやすいかと(^^)

縄張りは道中見えた山肌露な箇所が主郭となり周囲に横堀、南西斜面に竪堀があります。
更に北東側へ堀底道と堀切を経て2郭、3郭と広がっており各郭端部に堀切が切られています。
また2郭には櫓台を思わせる高まりや塹壕状の窪みなど見られました。
ただ個人的には主郭とされる先端部は充分な広さも無く、ある程度の広がりを持つ2郭と堀底道で連絡させていることから2郭が主郭で先端部は出丸では?などと思ったり…(笑)

前述のとおり城跡は全般的に未整備で主郭周辺は草刈りもされていましたが他は竹が密生しているので移動は非常に疲れます(^^;

駐車場は周辺に観光駐車場が点在していますので問題無いかと思います。
明日香古代史跡を観光の際は是非御一緒にどうぞ☆

2013年11月06日 邦順大和守大八郎宗久
戒重城

南朝の戒重西阿が築き、江戸期は織田家が土塁等が残る跡地を、帰農していた戒重氏郎党と交渉・接収し陣屋を構えた。
西阿は吉野への街道守備の為、六城や石原田砦を築き、北軍に安倍山に陣取られるも奮戦…が1341年に陥落。
六城の現在
戒重…東西185m南北225mの単郭平城、土塁・竹藪・堀を所有…だが名残は鎮守の神社や織田時代の寺程度。北の川辺に少し竹が生えるが城と関連不明
河合(川合)・安房(粟殿)…軽く散策、遺構見つからず
鵄(鳥見山)…等弥神社から登城(宗像神社からも可能らしい)。堀切などあり(戦国期の改修?)
赤尾…押坂山口坐神社の南の山に存在。竹林化しているが見応え充分。戦国期に利用され土塁・堀切を備えたとか
外鎌…愛好会が登山道を整備。大和朝倉駅から北側ルート利用。道中に郭風の場所や石積(関連不明)がある。山頂に西阿の碑あり。愛好会の説明ではここで自刃したという
平城より山城の方が魅力があると思う。徒歩を心掛ける、行儀良くするなど地元とのトラブルは避けるように

戒重城の周辺スポット情報

 奥山城(周辺城郭)

 雷城(周辺城郭)

 雷ギヲン城(周辺城郭)

 安倍山城(周辺城郭)

 小山城(周辺城郭)

 飛鳥城(周辺城郭)

 岡城(周辺城郭)

 祝戸城(周辺城郭)

 石川土城(周辺城郭)

 五条野城(周辺城郭)

 五条野山城(周辺城郭)

 土舞台(寺社・史跡)

 奥山城登城口(その他)

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