芝村陣屋(しばむらじんや)

芝村陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

奈良県桜井市芝(織田小学校)

旧国名

大和国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

織田輔宜

築城年

延享2年(1745)

主な改修者

主な城主

織田氏

廃城年

遺構

石垣、移築南門(慶田寺)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

戒重城(奈良県桜井市)[2.6km]
柳本城(奈良県天理市)[2.6km]
十市城(奈良県橿原市)[3.7km]
龍王山城(奈良県天理市)[4.0km]
田原本陣屋(奈良県磯城郡)[5.0km]
今井環濠(奈良県橿原市)[6.3km]
豊田城(奈良県天理市)[8.0km]
箸尾城(奈良県北葛城郡)[9.0km]
高田城(奈良県大和高田市)[9.2km]
福住城(奈良県天理市)[10.4km]

芝村陣屋の解説文



芝村陣屋(しばむらじんや)は、奈良県桜井市大字芝村(桜井市芝、大和国式上郡)にあった芝村藩の陣屋。当初は戒重(かいじゅう)に陣屋を構えた。

概要 

織田長益の四男長政が元和元年(1615年)に1万石を分知され、式上郡戒重に陣屋を構えたのが始まりである。関ヶ原の戦いで東軍に与し、戦功を挙げ、その後は豊臣氏の家臣になっていた。

豊臣氏滅亡後に徳川氏への配慮から所領3万石のうち、1万石を自分の隠居領(味舌藩)に、1万石ずつを四男長政と五男尚長に分知させ、四男長政の系統が芝村藩として存続するが、陣屋が芝村に移るのは第7代藩主輔宜の代の延享2年(1745年)である。

長政以降第10代長易の代に明治維新を迎えている。

遺構 

陣屋址は桜井市立織田小学校の敷地となり、周囲に石垣が残存している。また、陣屋南門が慶田寺山門として移築されている。

芝村陣屋の口コミ情報

2023年01月09日 しろぷろ
芝村陣屋



織田家に関係があるらしいです。箸墓古墳のすぐ近くで、陣屋の雰囲気が残るのみになっています。小学校になっていてその名も織田小学校! 門の前には看板もありました。

2021年06月03日 【城郭道】たっきー
箸墓古墳[芝村陣屋  寺社・史跡]



倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと)の古墳とされる箸墓古墳で、この人物の陰部に橋が突き刺さって死没した頃から箸墓古墳というそうです。国指定史跡、全国11位、奈良県3位の規模を持つ前方後円墳です。
現在、遠くから見ると一つの大きな森林となっていて、中へは入ることができませんが、方墳の近くに鳥居が建っています。

一説では卑弥呼の古墳ではないのでは、と言われています。

2019年10月24日 蔵人頭 毛呂モロ就
芝村陣屋

近くの慶田寺には織田有楽斎の墓所があります。

2018年09月10日 課長大和守Ver.B
芝村陣屋

現在の織田小学校が陣屋跡とされています。
遺構としては小学校の周囲南西部に石垣が残り、小学校南側と北西の弁天池に水堀の痕跡が認められます。
また近年になって小学校隣の建勳神社内に織田信長像も設置されたようです。
駐車場は周辺にありませんが短時間であるなら神社横や小学校周辺道路が広いので路駐が可能です。
時間が許すのであれば周辺の古い町並みや、国道沿いにある織田家の菩提寺で移築門がある慶田寺なども併せて訪問されると良いと思います。

2013年10月09日 河内守まきゅさま
芝村陣屋

織田小学校の西側に織田信長が祭神の建勲神社があります、児童公園と一緒になった小さな神社です。
祭神の信長公「しんちょうこう」がなまってか?地元の方には「しんちょこさん」と親しまれて毎年夏に信長公祭が催されているそうです

芝村陣屋の周辺スポット情報

 柿本人麻呂屋敷(周辺城郭)

 箸墓古墳(寺社・史跡)

 慶田寺(寺社・史跡)

 纒向遺跡(寺社・史跡)

 史跡 纒向遺跡辻地区(建物群)(寺社・史跡)

 纒向遺跡見学者用トイレ(トイレ)

 織田信長像(その他)

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