櫛羅陣屋(くじらじんや)
櫛羅陣屋の基本情報
通称・別名
- (櫛羅城)
所在地
- 奈良県御所市櫛羅字岸野(私有地)
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 倶羅氏[櫛羅城]、永井直壮[櫛羅陣屋]
築城年
- 室町時代[櫛羅城]、文久3年(1863)[櫛羅陣屋]
主な改修者
- -
主な城主
- 倶羅氏[櫛羅城]、永井氏[櫛羅陣屋]
廃城年
- -
遺構
- 石垣、移築御殿玄関(九品寺)、移築門[櫛羅陣屋]
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
越智城(奈良県高市郡)[5.5km]
佐味城(奈良県御所市)[6.0km]
平石城(大阪府南河内郡)[6.3km]
高田城(奈良県大和高田市)[6.4km]
白木陣屋(大阪府南河内郡)[7.4km]
千早城(大阪府南河内郡)[7.4km]
上赤坂城(大阪府南河内郡)[7.4km]
二上山城(奈良県葛城市)[7.6km]
下赤坂城(大阪府南河内郡)[8.3km]
今井環濠(奈良県橿原市)[8.4km]
櫛羅陣屋の解説文
櫛羅陣屋の口コミ情報
2023年01月09日 しろぷろ
布施城[櫛羅陣屋 周辺城郭]
「道の駅かつらぎ」の近くから車で10分くらい上がったところに獣除けのフェンスがありますがそこが登城口です。フェンスを開けて、(開けたら閉めてね)少し歩くと「布施城まであと900メートル」の看板があり、そこからが本格的な山道になりますが凄いです悪路です。特に残り100メートルのところは完全なる藪こぎでした。しかし、その分本丸跡に到着した時の嬉しさはすごいです。虎口跡に遺構の説明と城の縄張り図のがあることや100メートルおきに「布施城まで○○メートル」という看板があることはまだありがたいです。登城道から外れて遺構を見に行く際には気をつけて!
2021年07月05日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
櫛羅陣屋
楢原氏の勢力圏の城、古代大和の豪族から南北朝は楠木正成に与力、戦国時代は大勢力に翻弄されながら生き残りを賭けて活躍も筒井氏の伊賀へ転封で帰農し廃城へ。
兵も今は昔···。
2枚目の写真の九品寺裏の駒形大重神社の鳥居の左側の林道が楢原城の登城路入口です。4枚目は、その林道途中、ヤブ蚊が多く時間切れで次回に。
追記:九品寺から30号線を南へ進み長柄郵便局過ぎたら梅本豆腐店があります。
豆乳鍋セットは遠くから買いに来る美味しさ。また、おからを原料にした豆腐ドーナツは売り切れ早い人気メニューです。午前中にお電話予約をしといて下さい(笑)
店の駐車場あります。お車の方もご安心を。
2021年06月05日 heihachiro
吐田館[櫛羅陣屋 周辺城郭]
吐田氏の居館跡。309号線から入り、大きな木の下あたりに短時間なら駐車できます。そこから50m南に戻ると居館跡。
南西側に水堀が残るが、田んぼになってます。
2021年02月04日 百済門徒衆修理大夫とら
陣屋長屋門[櫛羅陣屋 遺構・復元物]
櫛羅集落内にある千代酒造に、移設された陣屋長屋門があります。
2020年10月12日 百済門徒衆修理大夫とら
布施城[櫛羅陣屋 周辺城郭]
国人の布施氏が葛城山系に築城の長大な連郭式の山城。東西500メートルに及ぶ。標高468メートル、比高320メートル。山麓の布施氏の平地拠点の新庄城とセットの根小屋式城郭。
東西2ヶ所にある畝状竪堀群は見物で、ここで筒井順慶を匿い、松永相手にゲリラ戦を展開し、10年以上布施氏は籠城に耐え抜いた。
布施氏はその後、筒井氏から豊臣秀長に仕え、大坂夏の陣には大坂方として参陣したといわれる。
今も布施一族の子孫は地元の有力者です。
2015年10月15日 まるき〜陸中守
櫛羅陣屋
屋敷山公園内、新庄藩の後進として櫛羅藩が発足、葛城ロープウェイ手前の私有地が櫛羅陣屋だったらしく、おおっぴらに近寄り難い。近くを通るだけの雰囲気だけでも感じられる場所
約1.6キロ程離れた九品寺に移築された御殿の玄関と近くの民家に門が残っているらしいです。
九品寺には駐車場あり。
県道30号線から九品寺の案内がある所を葛城山の方向に上がって行くのですが途中狭い道になっていますのでお気をつけて。
屋敷山公園内、新庄城跡の城址碑の辺りは古墳になっていて
掘り起こされた石棺は近くの葛城歴史博物館にて実物を見学できます。
2011年12月05日 邦順大和守大八郎宗久
櫛羅陣屋
地図に示された場所は現在私有地であり、入る事は容易いですが不法侵入になります。
また周辺の集落にある旧家と九品寺には、陣屋の一部が移築されているらしいので、他サイトを参考にして探し、撮影しました(他所様の家を撮影するのは、正直いい気がしません)。
九品寺には駐車場がありますが、旧家付近は狭道、跡地は前述の通り私有地ですので、徒歩での散策が望ましいでしょう。