平石城(ひらいし(ひらいわ)じょう)
平石城の基本情報
通称・別名
- 平岩城
所在地
- 大阪府南河内郡河南町平石
旧国名
- 河内国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 平岩氏
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 平岩氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 府史跡(平石城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
白木陣屋(大阪府南河内郡)[2.1km]
二上山城(奈良県葛城市)[3.8km]
下赤坂城(大阪府南河内郡)[5.4km]
上赤坂城(大阪府南河内郡)[5.9km]
櫛羅陣屋(奈良県御所市)[6.3km]
龍泉寺城(大阪府富田林市)[6.5km]
高屋城(大阪府羽曳野市)[7.1km]
七郷山城(奈良県香芝市)[8.0km]
高田城(奈良県大和高田市)[8.6km]
千早城(大阪府南河内郡)[9.1km]
平石城の解説文
平石城の口コミ情報
2022年04月18日 尼崎城駿河守一口城主
平石城
4月17日、近鉄上ノ太子駅からレンタサイクルを借り登城。(電動1日¥500)
毎度長い枕になりますが当日は上ノ太子駅から源氏三神社の壷井八幡宮と源氏三代の墓(頼信公、頼義公、義家公)をお参り。次に聖徳太子のお墓がある叡福寺や向かいの西方院、蘇我馬子殿のお墓(塚)にお参り。余談ながら馬子殿の塚から西方院に戻る道中城攻めタップしたところ平石城を攻略出来ました。平石城に登城した後、弘川寺、リア攻めで白木陣屋、狭山陣屋を訪れて上ノ太子駅にダッシュ🚲💨で戻る1日でした。
ようやく本題に戻ります。太子町から南河内グリーンロードを進んでいきます。道中、小野妹子殿のお墓や推古天皇のお墓があったので寄り道し、推古天皇陵から平石城の遠景を撮影📸再びグリーンロードに戻り平石城を目指しました。平石トンネルというトンネルを抜け(南側出口)さらに進むと(南進)丁字路に到達するので左折し緩やかな坂道を進みます。小さな道標に平石城の矢印があるので矢印方向に従って進みます。進んでいくと左右に登口がありますが道標の磐船神社の矢印の方角ではなく、写真左手のレンタサイクルを停めている辺りのが平石城の登山道入口です。10分前後で【史跡 平石トンネル跡】の石碑に辿り着きます。登山口から石碑迄の道中、立派な堀切がありここを攻め上がったら討死確定した的だなとなぜか嬉しくなってきました(自転車を漕ぎ過ぎて疲れていたからか変な妄想をしてしまいました😅)
自転車を停めた登山口に戻る前に平井トンネルの出入口から登る道があるのか確かめてみましたが発見出来ませんでした。近つ飛鳥博物館からの登山道(遊歩道)はあるようです。下城後は、弘川寺に向かいましたが道中の持尾の展望台という大阪府内を見渡せる絶景ポイントがありました🏙🗼🌅
2021年07月07日 HS刑部大輔
平石城
登城口は見つけにくく 駐車出来そうなところも近くにありません。ただ登城口さえ見つけれれば登城路はまぁまぁ整備されてて分かりやすく すぐに本丸に辿りつくことが出来ます。登城口から入って最初の堀切が迫力があって良かったですね。これでも府指定史跡です。
2019年06月18日 みず
平石城
上ノ太子駅からレンタサイクルしました普通車(¥250)電動(¥500)です166号をしばらく走ります途中から南河内グリーンロードに入りますトンネル手前を左折すると平石城へと行ける看板ありますレンタサイクルは入り口に停めれました
アップダウン繰り返しなので、約40分くらいかかりました富田林駅にもレンタサイクルあるので交通機関利用で探訪考えてられてる方がいればご参考にしてみて下さい
2017年05月08日 ねこ式部丞すずめ
平石城
近つ飛鳥博物館からも行けます。まずは風土記の丘の展望台を目指して下さい(歩いて15分~20分ぐらい)。そこから3~4分ぐらい上に向かって歩くと平石城の方向を示す木の棒があるので、そこから細い山道に入ります。そこから歩いて15分~20分ぐらいでしょうか。ところどころ案内があるので道を間違えることはないと思います。往復1時間ぐらいなので、水筒は必要です。
2017年01月23日 太閤 なつりん
平石城
平石(ヒライワ)城は、河内の豪族 平岩茂直が楠木氏の赤坂挙兵に応じて築いた城で太平記にも登場する城です。
現在、周囲は山と民家に囲まれており駐車スペースの確保は困難です。
近隣に迷惑をかけないように心がけて下さい。
本丸跡へは登山口から約10分弱で到着しますので、木戸跡や出丸跡などお見逃しのないように!
また、車で5分程南進すると近隣の持尾地区に持尾展望台があり河内平野や一望出来ます!
PLの塔は勿論、右手にはあべのハルカスまで見渡せる絶景があります。
ここで忘れてはいけないのが、すぐ山手には城めぐり未登録の『持尾城跡』があります。
狼煙台が見れるので、是非ともお立ち寄りを!
歴史
築城年代、築城者は定かではない。南北朝時代には南朝方の城として機能したと考えられる。豪族の平岩茂直が、楠木正成の赤坂挙兵に応じて築いたようだ。平岩氏は元弘3年(1331)に後醍醐天皇を迎えようとしたと『平石城旧記』にある。北朝方の畠山国清らが河内に侵攻すると、平石城は「城戸」「逆木」を破られ、城兵は金剛山へ逃げ落ちたとされる。
『太平記』巻34「平石城軍事付和田夜討事」によると、正平14年(1359)に足利勢が河内に攻め入った際、楠木正儀が17の城を整備して対抗。平石城もそのひとつとされ、茂直の子の茂幸が防戦したと伝わる。
遺構
大和国境に近い、平岩集落の標高244mの城ヶ塚と呼ばれる山に築かれている。東西に長い谷地形の平石には、平石峠街道が走る。山頂部の集落側に築かれた、50m四方にも満たない小規模な城だ。曲輪は削平されておらず、臨時性が感じられる。
帯曲輪は北西のピークや尾根が派生する部分で堀切となり、逃断線が横堀のような形態になっている。こうした特徴が戦国時代に機能した近隣の城と類似性があることから、戦国時代に再利用されていた可能性が指摘されている。
交通
・南阪奈道路羽曳野東ICから車で約20分参考文献
・『大阪府中世城館事典』戎光祥出版、2015年。